勝手にしやがれ プロット

ジャン=リュック・ゴダールの初長編監督作。即興演出や手持ちカメラでの街頭撮影など、当時の劇場映画の概念を打ち破る技法で製作され、後の映画界に大きな影響を与えた、ヌーベルバーグの記念碑的作品。原案はフランソワ・トリュフォー、テクニカルアドバイザーとしてクロード・シャブロルも参加している。警官を殺してパリに逃げてきた自動車泥棒のミシェルは、新聞売りのアメリカ留学生パトリシアとの自由な関係を楽しんでいた。パトリシアはミシェルの愛を確かめるために、彼の居場所を警察に伝え、そのことをミシェルにも教えるが……。2016年にデジタルリマスター&寺尾次郎氏による新訳版が公開。

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勝手にしやがれコメント(20)

gqznpv
gqznpv
主人公の刹那な生と散文的な台詞が相まって相当クール。
ゴダール、難しいと思いきやストレートな物語で良かった。
wbwkrkg
wbwkrkg
勝手すぎてイライラするし振り回されっぱなしの女にもイライラする。
ヒモで女好きで自己中な犯罪者のどこに惚れたのかをもっと納得させてほしい
fvboes
fvboes
70年代に20歳で見たときはシーツにおわれたシーンが一番記憶に残ったー真っ白い世界だーとかなんとかのセリフのシーン そこが一番好きだったーという記憶はなんだったのだろうか?
パンフレットの字幕とトリビアから確認ー
何故目を閉じる?真っ暗になるよう きつく閉じてもだめなの 真っ暗じゃない

今みても映像も音楽も斬新で会話はキュート
若い頃みたときよりももっともっと好きな映画になりました
hjvxno
hjvxno
ヌーベルバーグの旗手として・・・映画文法をことごとく打ち破った・・・などなど、ゴダール評価が高い。面白い手法の映像は確かに多いが、男女の会話で突拍子もない展開が多いところが納得いかない。話題が急展開する会話のやりとりにこだわらないほど親密な仲の会話という設定なのかもしれないが、脚本を読んでみたい気がする。車窓の風景だって飛び飛びなのだから、会話も途切れるようにしてあるのか・・・

恋人を束縛しない自由な男女の関係がそのまま映像に表したのか、自由な編集、自由な構図が軽さを強調して、邦題をつけた人の気持ちも窺い知れるような。難しく考えないで済むけど、学ぶことが何もないような。

微妙な男女の関係。男が殺人犯として追われていることを知ったときには刑事の質問にも「知らない」と答え、表情を変えずに電話で密告。ちょっと理解できなかったが、通報したことをミシェル本人にも伝えるパトリシアだった。

映画史を考えると、ターニングポイントとなった映画ではありますが、現代の視点から見ると、画期的なものが感じられないのはしょうがないことか。当時の人たちの目で見ることができないことが残念でならない。
wsgaen
wsgaen
ゴダールによる記念碑的作品。第二次大戦後の、アメリカ文化に恋するフランス(人)の姿がここには見られる。つまり、主人公はまことに「やっかいなことに」アメリカ人女性に恋をしてしまう。最後に裏切られることが予見できるにもかかわらず、彼はその恋から自由になれないのだ。
恋の相手が果たして悪い女なのか、その問いそのものがいかに頼りない価値観の上に立てられているのかは、空港でのインタビューのシーンで語られている。誰のせいにもすることが出来ない自滅への道を、映画は一直線に進む。
フランス映画は、このフィルムも含めたヌーベルヴァーグにより、自らをアメリカ映画と相対化することに成功するのだが、結局は小さなハリウッドとして、他の国々と同様にアメリカの市場戦略にのみ込まれていくのだ。
この作品は、ヌーベルバーグの嚆矢とも言えるとともに、その後のフランス映画の末路までも予見するものとなったのではなかろうか。