ノー・マンズ・ランド プロット

アカデミー外国語映画賞、カンヌ映画祭脚本賞などを受賞。93年、ボスニア紛争下、ボスニアとセルビアの中間地帯“ノー・マンズ・ランド”に取り残された2国の兵士チキとニノの駆け引きに、彼らの周囲の国連防護軍や、マスコミの動きをユーモアを交えて描く。監督はボスニア戦争の最前線でドキュメンタリーを撮影した経験の持ち主。キャストもスタッフも、クロアチア、ボスニア、セルビア、英国、ベルギーなど各国の人材が集合。

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ノー・マンズ・ランドコメント(13)

nhonji
nhonji
・ボスニアとセルビアの中間地帯で両軍の兵士が地雷を挟んで一触即発、だが何だか滑稽に映る戦争の縮図
・中立の立場の国連防護軍は武力を使わない、わらわらと湧くマスコミ、多言語が飛び交う現場、現場と上官の温度差などそれぞれの立場の人々が非常に象徴的な描かれ方をしてるのでリアリティとか心理描写はかなり適当に感じた、というかそこを思いを馳せても意味がない
・地雷を撤去できずに置き去りになってしまう兵士を見つめて、では我々はどうしたらいいんだろうと途方にくれる
abqpko
abqpko
個々の人間性と欲望をぶつけ合って発生したイレギュラーな状況。

もしかしたら人間というのはやはり愚かで、こんな状況も解決出来ないような下等な存在なのかもしれないと思った。

「殺戮を目の当たりにして、中立という立場は存在しない。何もしないのは殺戮に参加しているのと同じだ」
物語の中でとても重要なセリフだと感じましたがその崇高さも、このどうしようもない結果にはコメディのように響いてしまいました。

コンパクトでそこまで高尚な内容でなく、かつ濃密な映画でした。
とても面白かったです。
ouitahe
ouitahe
(2012/1/20)

戦場の土くささを映画の中にみるのと
テレビから現実の惨状を眺めてるのと、
変わりはないですね

映画とかでたまにみる
お金持ちが
人の殺し合いをみてたのしむような感覚なのかな
これ。

わくわく

楽しんでしまってもうしわけない

日本の平和のありがたさに
感謝。
kzbnbtx
kzbnbtx
この作品が日本で公開された当時、『ブラックホーク・ダウン』や『鬼が来た』といった戦争や民族紛争に対する問題作も公開されており、私はこれらの作品を立て続けに鑑賞した。

『ブラックホーク・ダウン』では、映像のリアルさのなかに、ソマリア民兵を撃ちまくる米国兵と、撃たれながらもひたすら米国兵に群がってくるソマリア民兵を延々と描き、「民族紛争」と「軍事介入」の「理不尽さ」を考えさせられた。

『鬼が来た』では、微妙なバランスの中で日本軍兵と中国人村民の交流を描きながらも、とあるきっかけから「戦争の狂気(の一言では言い切れないが)」が発動し、それまでに育まれてきた交流がいっさい破壊されてしまうという「理不尽さ」を感じさせられた。

そして、この作品はというと、『ブラックホーク・ダウン』のように凄惨ではないし、『鬼が来た』のように当事国として意識する事が薄かったこともあり、なにより全編にわたって滑稽さを演出していた事もあって、大いに「楽しんで」観させてもらった。しかしながら、作品の核心である「戦争の理不尽さ」を、私は上記2作品以上に感じたように思う。それはなぜか。

例えば、ボスニア兵とセルビア兵との間で、どっちが戦争を仕掛けたかを言い争うシーンがある。銃を手にしているほうが、相手に「俺たちが戦争をはじめた」と言わせるのだが、最後はそのやりとりをみていた動けない男が「泥沼だ」とつぶやくように言う。この3人の間で繰り広げられるやりとり、世界で起きている紛争の縮図という構図はわかりやすいのに、その解決策は全然見えてこないというもどかしさ。

また、ストーリー中盤以降に登場する国連防護軍。これにより、物語は一気に収束されるのかというと、もちろんそう一筋縄にはいかない。軍上層部のてきとうな指示のせいで、現場(ノー・マンズ・ランドの塹壕内)では一触即発の状態にまで至ってしまう。この辺りのくだりも、笑い話で済ませられない妙なリアル感があって恐ろしい。軍隊の縦割り構造と、多国籍という横割り構造が交錯して、ちょっとしたことでも組織内がうまく機能しなくなるという問題は、実際に起こっていたらしい。

劇中、所々に笑いを誘うシーンがあって、ついつい笑いながら鑑賞してしまうのに、その笑いが収まった後、常に「この作品を観ていて笑っていていいのか?」というジレンマに陥ってしまう。そして、ラストでカメラが塹壕から遠ざかっていく中で、もやもやとした理不尽さを感じつつ、ではどうするばいいのかという自問に何も答えを見出せない自分を発見する…。この、見終わったあとの虚しさは、いったいどうやったら解消できるのだろうか…などと、柄にもなく真剣に考えてしまうパワーが、この作品にはあると思う。

個人的に、映画は自分が楽しめることが最重要と思ってたりするけど、こういう考えさせられる作品をじっくりと堪能するのも映画の良さの一つだとも思う。
wsfeizk
wsfeizk
総合:75点
ストーリー: 80
キャスト: 70
演出: 70
ビジュアル: 70
音楽: 70

戦争をしている。本物の殺し合いである。深刻な話のはずなのにコメディなのか皮肉なのか、時々笑える。
両軍が対峙する戦場のど真ん中で兵士がパンツ一丁で踊りだす。英語がわからないのにわかるふるして、何を聞かれてもイエスだけをひたすら連発する兵士がいる。人の命がかかった任務よりも、ミニスカートの秘書らしき女性を机に座らせてチェスに熱中するほうが大切という本部の指揮官がいる。
そのような中でも人は死ぬ。どうにもならない感情の絡み合いもある。戦争がなければ友人になれたかもしれない人を殺す。描かれる現場の深刻さと上層部の気軽さの差がおかしい。そんな不条理さと人の命の軽さが苦い後味を残す。エンディングの音楽も物悲しい。
マスコミにしても所詮は特種を探して自分たちの報道の手柄が大事なのだが、それでもやはり真実が容易に権力者に都合よく作りかえられる中で、結果的に情報を伝えることの力は大きいというのはつくづく感じる。少なくとも指揮官に魅惑的な秘書とのチェスを諦めさせたという大手柄を挙げた。

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