2006年・第50回岸田國士戯曲賞を受賞した、演劇ユニット「ポツドール」の同名舞台劇を映画化。ポツドール主宰の劇作家・三浦大輔が自ら映画用に脚本を書き下ろし、メガホンもとった。フリーター、女子大生、サラリーマン、OL、保育士など、ごく普通の人々が六本木のマンションの一室に集まり、毎夜繰り広げる乱交パーティに明け暮れる姿を通して、性欲やそれに伴う感情に振り回される人間の本質やせつなさを描き出していく。主人公のニートの青年を「半分の月がのぼる空」「砂時計」の池松壮亮が演じ、ヒロインとなる女子大生を東京ガスやチョコラBBのCMで注目を集める新進女優の門脇麦が演じる。そのほかの共演に新井浩文、滝藤賢一、田中哲司、窪塚洋介ら。
愛の渦コメント(20)
娼年を観た時と同じ感じ。
この監督が描く世界は
綺麗過ぎる。
豪華役者人。背景。美術。
何もかも。
無名役者揃えて、
面白い映画を作り上げた
大根監督と才能の差を感じて
しまいますね。
って作品ありましたが
的を得た作品だと思いました
もっと深い内容()を期待していただけに少々残念でした
あとは、乱交なのにタイムリミットまでひたすら一対一かよ笑
って笑っちゃいました
ピアスの女と太った工員
途中参加してきた凸凹カップルの変な喧嘩
もうそこが見どころに思えます
舞台版はトークショーらしいので
そちらが見たいですね
欲を前にすると人の本性見えちゃうよね〜という感じ。
最後の女子大生の「あそこにいたのは私じゃない」という台詞から、欲だらけの人間の醜さも美しさもおかしさも全部愛おしいよねと言いたいのかなと思ったし、私はそう受け取った。
行為に至るまでの会話なんて見ていて恥ずかしくなったし笑いが止まらない、不思議な感覚。
生身の人間というか、肌色の人間だからこそ伝わる感覚があって、人間って愛おしいなと思える映画だった。
言動や行動が特殊過ぎて、これで人間の本性だなんておこがましい。
すけべだから誰でも良いとは思わない。
これに自分が何て考えるとおぞましい。
映画は綺麗でまともな女に近いが、現実に来る女を想像したら、恐ろしさしか残らない。
シャワー浴びてるけど、シーツ汚いままだし、トイレ汚な過ぎる。
シナリオが酷いな。
知性ゼロやな。
犯罪者の新井だけがリアル。
汚いシナリオ、汚いカメラ、汚い展開、汚い結末、汚い映画。
汚いものを見せられたが、吐き出すことも出来ない苦しさ。
沢山映画を見てるとこんな事もあるさ。
始まりはお互い探りの会話から入っていく。
「初めてですか?」「場所分かりましたか?」
合コンと違って一切名乗らないので、会話もぎこちない。
こーゆーところで堰を切るのは女慣れしたフリーター(新井)。
追随するフツーのサラリーマン(滝藤)。
見よう見真似で誘ってみる童貞のデブ(駒木根)。
そしてニート(池松)とブスな女子大生(門脇)が残される。
一戦が終わると、今度は猥談で盛り上がり、
フリーターとリーマンで相手チェンジ。
デブとニートは変わらず2回戦。
3戦目はフリーターが女子大生を指名。
遮るニート。恐らく恋愛感情が芽生えてる。
裸同士の彼らの本音が剥き出しになっていく。
そんなノリノリな乱交パーティーなんてありえないだろう思っていたら、
体をどれだけ重ねても相手のことなんて分からない、という、
この心情描写はかなりリアルだと思う。
途中で変なカップル(チンピラとデブ女)乱入は、
そのカップルの愛の確認とか言ってたけど、
実はニートと女子大生と距離間の確認だったんだろう。
ニートはその後も女子大生とやりまくり終了。
ニートの感情の行く先は・・・、といった感じで、
ロジックもよく出来てると思う。
直前に「愛の流刑地」を見て、あの不自然な関係より、
こっちの方がよっぽどリアル。
「笑うセェルスマン」でも言っていたが、
“人間関係は、浅ければ物足らないし、深ければ煩わしい”
この事が、この映画には集約されている。
しかし、相変わらず池松の役は台詞が少ないなー。
「なんかしゃべれよ」と何度もつぶやいてしまった。
女性陣の裸はスレンダーな方ばかりで、
自分的には50点でした。(デブ女は論外)
門脇のベッドシーンはちょっと不自然。
喘いでるんじゃなくて叫んでる。
地味に役者が豪華なのが面白い。
因みに男性一晩(0時~5時)2万円なら安くないかと、
かといって参加しますかというと、悩むなー。
保育士(中村)とOL(三津谷)くらいが来るなら行くな。
(ハイ、ゲス決定)