「孤狼の血」の白石和彌監督が、香取慎吾を主演に迎えて描くヒューマンサスペンス。「クライマーズ・ハイ」の加藤正人が脚本を手がけ、人生につまずき落ちぶれた男の喪失と再生を描く。無為な毎日を送っていた木野本郁男は、ギャンブルから足を洗い、恋人・亜弓と彼女の娘・美波とともに亜弓の故郷である石巻に移り住むことに。亜弓の父・勝美は末期がんに冒されながらも漁師を続けており、近所に住む小野寺が世話を焼いていた。人懐っこい小野寺に誘われて飲みに出かけた郁男は、泥酔している中学教師・村上と出会う。彼は亜弓の元夫で、美波の父親だった。ある日、美波は亜弓と衝突して家を飛び出す。亜弓は夜になっても帰って来ない美波を心配してパニックに陥り、激しく罵られた郁男は彼女を車から降ろしてひとりで捜すよう突き放す。その夜遅く、亜弓は遺体となって発見され……。「くちびるに歌を」の恒松祐里が美波、「ナビィの恋」の西田尚美が亜弓、「万引き家族」のリリー・フランキーが小野寺を演じる。
凪待ちコメント(20)
①この映画が成功するかどうかは郁男という主人公の人物造形に説得力があるかどうかに懸かっている。ギャンブル依存性でも、酒飲みでも、自己嫌悪が強い人間でも、共感や感情移入が出来なくても、説得力があれば映画にも説得力が出てくる。しかし残念ながらこの映画ではなくそういう人間の形(表面)しか描けていない。だから後半になればなるほど同じことを繰り返しているようにしか見えなくてダレてくるし、時間も「長~」と感じてしまう。脚本に問題があるのが一番が、慎吾君が悪いというよりも、もっと俳優を本業にしている“役者”を起用すべきだったろう。②犯人もすぐに察しがつく。犯人探しが主眼の映画ではないのでそれはそれで良いのだが、犯人逮捕が余りに遅い。監視カメラにバカスカ写っていたりDNA鑑定が一致していれば、もっと速く逮捕できた筈である。日本の警察は其ほど無能ではない。ここでも説得力が欠けていて映画のリアリティーが損なわれている。③殆どの登場人物の造型も中途半端か類型の域を出ていない。リリー・フランキーの隣人もよくわからない人物造形で退場したら意外に印象に残らない。従い、組長が義理堅い人で良かったねぇ、という印象で終わってしまうのだ。強いていえば、如何にも「小狡くて器のちっせい」同僚を黒田大輔が好演。
まずは、ギャンブル依存症描写がとてもリアルだった。自分も同じ目に会う機がして、今まで関わってこないで良かったと思える。それ程、共感と強烈が共存していた。
特に自暴自棄になって、お金をツッコむシーン。ある意味、自傷行為に近くて、対象をギャンブルからすり替えたとすると自分にも起こり得る話だと感じた。
この物語で、香取慎吾と言えばドラマ「人に優しく」を連装させる。子供を拾う(助ける)立場を取るのか取らないのかの前半戦で、どちらにしても違うよなと思わせる展開。
最後まで観ると、逆に拾われるのかと思って腑に落ちる。
母殺しの犯人の話は、どんでん返しと言うよりもある程度予測出来る展開にしていたと感じた。
美容室開業の時に母は警戒してる印象だし、娘には軽々しく触ろうとするしで、どこか危ない印象を持った。そもそも、悪役顔の役者さんですし。
むしろ、事件が起こったことによる家族や地元の揺らぎと団結の話が重要なんだと考えた。
香取慎吾が泣きながら帰るシーンは、子供の様に泣いている様を見て、ロクデナシでダメなんだけど助けてあげたくなる
人ているよなとつくづく思った。
自分の身近な人にその様な人がいるので、尚更!
本作の香取慎吾、「半世界」の稲垣吾郎もそうだが、元SMAPの彼らはいわゆるガテン系のキャラクターに扮することで、セルフイメージを壊して演技の幅を広げようとしている。白石監督と香取それぞれの新境地を志向して挑戦する姿勢が合致し、意欲的な社会派ドラマと相成った。
リリーフランキーと白石映画とくればもちろん「凶悪」での怪演が思い出されるが、本作での起用は果たして正解だったのか。観客にある種の先入観を与えてしまうし、人物の内面描写も物足りない。
「ろくでなし」という言葉の意味を、しみじみと考えさせられた。
いくら演者が頑張っても、ギャンブル依存、アル中、キレると暴力に走る主人公、幾度と手が差し伸べられても落ちていく話は同情の余地なく、これを赦す周囲にも寄り添えぬ所。あの突っ張りは失格にすべき。報われてはならぬ。依存症は病気であって、心の弱さや環境に結びつけすぎるのもどうかと思う。