僕のスウィング
プロット
フランス
01月18日 2003 劇場で
ファイティング・キッズ
プロット
アメリカ
01月23日 1993 劇場で
KIDS=ZERO キッズ=ゼロ
プロット
日本
10月18日 2014 劇場で
チャーリーと14人のキッズ
プロット
アメリカ
12月20日 2003 劇場で
チャレンジ・キッズ 未来に架ける子どもたち
プロット
アメリカ
05月28日 2005 劇場で
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スウィング・キッズコメント(20)
その純粋で脆弱で非暴力的な存在、そして彼らのステージこそが、力強いメッセージとなって響いていく巧さ。周防作品や矢口作品でもよく見られる「リアルに習得された技」が卓越した映像の強度となって胸を打つ。スウィングすることで足元の困難や壁を軽妙に飛び越えつつも、彼らは腹の底から「自分は自分でありたい」と叫び続けていたのかもしれない。混沌とした世界では純粋に情熱を注ぐことがもっとも難しくて、尊い。その意味について考えさせられる力作だ。
もちろん複雑な時代の複雑な舞台設定のため、ポスターが与える印象のように物語は直線的には進んでいきません。何かの技芸がバラバラだった人々を一つにまとめていく、という定型化した物語を踏襲するようで、次の場面ではその期待をあっさりと裏切ってくれます。本作のもうひとりの主人公と言っても過言ではないタップダンスは、まさに彼ら夢と生きがいを体現しており、そのリズミカルな振動を体感することで、登場人物と観客は文字通り一体化し、彼らの幸福感、熱意をまさにわがこととして体験することを可能としています。
見所の多い作品ですが、とりわけみごとなのは主人公、ロ・ギスが、ある事情で心ここにあらず、という状態でタップダンスを披露する場面で、技法的には素晴らしいダンスなのに、そこに全く心がこもっていないことを感覚的に理解させていたことです。この場面があるからこそ、稚拙でも心のこもったダンスと、そうではないダンスとの違いが際立っています。演技、演出の見事さにはひたすら感心するばかりでした。
意外な結末と、その後エンドロールに挿入される写真の対比がひたすら胸を打つ一作です。
人間はその人間の数だけ考え方が違って当然。生まれや育った環境次第で考え方も違ってくるのが必然であろう。
大事なのは異なる他者をいかに受け入れるかということ。人間は未知のもの、知らないものに脅威を感じ、差別し排除しようとする。
自分とは違う考えだから、一切受け入れないという偏狭的な考え方が今の時代でさえ蔓延しているのだから、当時の混沌とした時代にこのような悲劇は日常茶飯事だったのであろう。
イデオロギーの違いから争いを繰り返す人類、重要なのはイデオロギーではなく異なった思想を持つものをいかに受け入れるかである。そもそもイデオロギーなるものは人間が幸せになるためのツールに過ぎない、にもかかわらずそれが人間を不幸にしてしまうのは本末転倒である。
主人公はただ踊りたかった。日常の何気ない音、就寝時の周りのイビキや歯軋りでさえリズミカルに聞こえてきてしょうがない。寝てる間も踊っていたと指摘されるぐらいに。
しかし彼の純粋なダンスへの思いはけして許されない。所詮、敵対するイデオロギーへの攻撃の手段として利用されるだけである。それでも彼は踊る、例えテロに利用されようとも。
作品を通してダンスチームとなったメンバーの一人一人に感情移入しまくり、その挙げ句の果ての非情な結末。そう、これが戦争なのだと改めておもいしらされる。どれほど愛した人、かけがえのない人でさえ、あまりにあっさりその命を奪われてしまう現実。メンバー四人の死に様がスローモーションを使ったお涙頂戴なものでなく、あっさり描かれていたのがより戦争の非情さを表現していたと思う。ジャクソンの「人殺し!」という叫びが脳裏に焼き付いて離れない。
エンターテイメントとして観客を喜ばせることに特化しながらも現実を知らしめることも忘れない。
まさに本作は韓国映画の真骨頂。
戦時下収容所での即席ダンスチームの結成、よくある日本映画のスポコンパターンと思わせておいての後半のシリアスな展開。いまだ戦時下である韓国だからこそ造り得た傑作。
タップ・ダンスの足ってアレどう動いているのでしょうか?メッチャ目を凝らして足元の動き観ていたのですが、さっぱりわかりませんでした。足を打ち鳴らすだけで、アレだけの音出せるって単純にスゴいなっと思います。帰り道は足を無駄に踏み込んだり、持ってた傘を振り回したくなりました(←危険)。
タップ・ダンスを始める前半、目標があって段々と仲間が揃っていくっていう話好きなんですよね~。皆さんそこそこポンコツ。ロ・ギスがアメリカ兵にボコボコにされるかと思いきや、そこから始まるダンス・バトルには思わず笑ってしまいました。で、そこに仲間が駆けつけてきての熱い展開。ダンス・バトルって観てて楽しいですよね‼️「モダン・ラブ」のシーンも秀逸!
でも、やっぱり本作で伝えたい事は後半にあると思います。今となっては韓国と北朝鮮はもう別な国なイメージも強いですが、本作って時代が1951年ならまだまだ朝鮮戦争の真っ只中な頃のお話なんですね。第二次大戦後、朝鮮半島で北はソ連に、南はアメリカに統治されるようになって、同じ民族だったのに分断されて。どちらの国も大国のイデオロギーに支配され、民族同士での血で血を洗う戦争。劇中の「共産主義だろうが、資本主義だろうがどうでもいい。ファッキン・イデオロギー」って台詞は正に心の叫びのように聴こえました。
実際に暮らしている市民にとっては国や政治のイデオロギーなんてけっこうどうでも良かったりするもんなんじゃないでしょうか?私は日本に住んでいるから民主主義が良いと思ってますが、例えばもし社会主義の国に生まれていたら今度はその状況が当たり前になるので社会主義の方が良いと思うかも知れませんし。個人的には主義主張の違いで戦争するのが一番馬鹿らしいと思います。
後半戦もう不幸にしかならないようなラストに向かって行っているのが観てて辛くって。最後のダンスは圧巻・・・からの急転直下⤵️いや、ハッピーエンドはないかなって薄々気が付いていたのですが、まさか皆殺されるとは。あんなん所長の気分1つやん💢でも、戦時中だし、実際にはもっと悲惨な事もあったのかなぁ。
1つの作品の中でタップ・ダンスの楽しさと戦争の重さと色んな感情に揺れる作品でした。フと昔韓国人の友達が「北朝鮮と一緒になるのは難しいけど、それでも同じ民族なのでどうにかしていつか一緒になれるといい」と言っていた言葉を思い出しました。