「エル・トポ」「ホーリー・マウンテン」の鬼才アレハンドロ・ホドロフスキー監督がこれまで作り上げた映像表現を自ら解き明かす集大成的作品。ドイツの精神分析学者エーリッヒ・フロムとともに精神分析を学んだホドロフスキーは、自身が考案したが考案した心理療法「サイコマジック」を「科学を基礎とする精神分析的なセラピーではなく、アートとしてのアプローチから生まれたセラピーである」と語る。ホドロフスキーのもとに悩み相談に訪れた10組の人びとが出演し、「サイコマジック」がどのように実践され、作用しているのかが描かれる。そして、自身の映像表現に「サイコマジック」がどう作用しているかを過去作やさまざまな実験的な映像を用いて実証していく。
ホドロフスキーのサイコマジックコメント(15)
タロットの専門家である事は知っていたが、セラピストとして教祖的存在である事が確信できた。
自身の自伝的な作品エンドレスポエトリー。
様々な出会いと経験から、芸術とスピリチュアルの強い繋がりを感じたが、こんなにも実践的な活動をしていたとは驚きだった。
ホドロフスキー作品の根底はこのサイコマジックにある事にあり、作品を観る我々は、あたかもサイコマジックを受けている様な気持ちになるのだ。
今回はそれを側から見る形なので、大きな気持ちの揺らぎも無かったのは残念だった。
ホドロフスキーを師と仰ぐ身としては本作マストなのですが、意外と足が向かなかった。正直ドキュメンタリーとして観なくても、あらかたサイコマジックの本質は『エンドレス・ポエトリー』『リアリティのダンス』を観れば理解できるからです。
とはいえ、やはりマストなので鑑賞。8割くらいは予想通りだったけど、リアルなケースに触れることができて良かったです。
サイコマジックとは、クライアントが抱えている問題をイメージ化して、それを行動として実行することで、生まれ変わりに近い体験をもたらして変容を目指す心理療法です。『詩は行動である』と喝破した師匠らしいセラピーであります。言葉ではなく行動、接触を奨励するところが特徴です。
精神分析等の深層心理学と違うのは、科学ではなくアートに基づいていること。そのため、師匠の直観的なアートセンスが無ければサイコマジックという心理療法は難しいです。おそらく、師匠一代の心理療法と言えそうです。
個人的な感覚だと、サイコマジックは心理療法というよりも『イメージの具現化・体験化により生まれ変わり・生き直し体験をするプロセス』そのものなのでは、と感じています。そして、そのプロセスを経て変化する体験を俺個人はサイコマジック・ボムと呼んでます。
本作や師匠の作品群を鑑賞してガビーンと何かを体験して、ガラリと自分の中の何かが変わった場合、それもサイコマジック・ボムなのではないかと思います。モデリングに基づいた体験も体験ですしね〜。
さて、本作では師匠の元を訪れた、悩み苦しむ人たちがサイコマジックにより変容していくケースがたくさん映し出されております。バラエティに富んでいるのでなかなか観応えありました。
基本、訪れる人たちは愛の問題に苦しみ、その結果自分の人生を生きることができていないように感じました。多くのクライエントたちは、愛を受け取った実感がない印象を受けます。そして、サイコマジックによって愛を実感していき、それが生まれ変わり体験につながるケースが多いのかなぁとの感想を抱きました。
サイコマジックは本当によく抱きしめます。抱きしめることは愛の根本のような気もします。なので、クライエントが愛を実感するということが本療法の根源なのかもしれません。例外もありますけどね。
以下、本作で報告された印象に残るケースについて述べます。
ドキュメンタリーにネタバレなどないかもしれませんが、結構内容に触れますのでネタバレにナーバスな方はお気をつけてください。
①88歳のおばあちゃん
金もあり、一見リア充的に生きてきたおばあちゃんですが、愛のない結婚をして無意味な日々を送ってきたので心が空っぽ。人生に失敗したと感じているので抑うつと怒りがすさまじい。「移民なんて死ねばいいのよ!」とか、かなりヤバいです。愛のない人生を送ってしまうとこうなっちゃうのも仕方ないかも。俺も気をつけないと!
で、師匠はおばあちゃんを抱きしめまくり、「良心の司祭になりなさい」と示唆。そして植物園の樹齢300年の木に毎日水を捧げなさい、と伝えます。つまり、愛を与える側になる、ということです。
愛の本質はGiveだと思っています。つまり、与えられるだけではなく、与えることも人の営みにおいては超重要だと感じています。このサイコマジックはまさにそれを体現しているなぁと思いました。そして、与える前にちゃんと師匠から愛が与えられているのもポイント。樹齢300年の木というのもイカす。やはり超越的な存在との対話というのも自我に囚われた人にとっては必要なのかもしれません。
②47歳吃音おじさん
サイコマジックに入る前のカウンセリングシーンがあり、非常に興味深い。フローチャートみたいなものを書いていて、おそらく家族図みたいなものも含まれている様子でした。
おじさんは心の中では12歳なので、師匠はまず子ども時代を思う存分生きることからスタートさせます。遊園地で子どもの格好で思い切り遊ぶおじさん。なかなかステキなんですが、車のアトラクションに乗った時、モブで映っている遊園地に来ている母親が近くにいた子ども2人をそっと連れ出す姿を俺は見逃しませんでしたよ。基本、サイコマジックに登場するクライエントは不審者ですからね〜。
後半、男性性への自信を取り戻すプレイがまた面白かった!師匠はおじさんのタマキンを掴んで「叫べ!」、そしておじさん「俺はここにいる!」。シュールなんだけど、結構グッときましたね。
師匠は経血とかタマキンとか、性的なイメージを重視します。隠されて抑圧されているからかもしれませんが(経血においてはまさにそのような理由だそうです)、性を切り離して生きることはできないですからね。裸になりまくるのも、生まれ変わるには必要なんでしょうね。『エンドレス・ポエトリー』でも何度も脱皮しましたし。
③カップル
序盤で語られるカップルの話が最も印象に残ったかも。カップルそれぞれの個人的な問題に向かい合うと、関係性も回復する…わけではない!ここがかなり本質的でした。結局、偽りの関係であることがわかるんですよね。ここはすごく感じ入りました。
条件とか雰囲気とかで付き合ってしまうことは多々あると思います。そこに愛がなければ、自分と向かい合って行けば行くほど、関係性における真実味が明らかになるのだと感じました。
ただ、別れが爽やかなんですよね。『爽やか』、これが変容における鍵概念だと思います。爽やかに別れを迎えられるのであれば、それは意味があり、未来につながるものではないかと感じます。
また、一方で愛を感じないサイコマジックには疑問です。折り合いの悪い両親や兄弟の写真をカボチャに貼りつけて叩き割らせ、破片を両親に郵送するプレイは、正直効果は一時的なものでは、と感じました。ただ、順番的に怒り→赦しになるかもしれないけど、怒りは自分も傷つけますから、なんとも言えません。俺は割と批判的ですね。
そんな感じで、なかなか面白いドキュメンタリーでした。
サイコマジックとホドロフスキーが名付けたその精神療法は、これまでに彼が作ってきた映画の内容とも密接に結びついている。彼の創作人生の中で編み出したものであり、これは結果的に治療行為の形を取っているが、創作活動の一種のようだ。一見すると変態的な行為なのだが、そうでなければ救われない人々はこの世界にはたくさんいる。というか、人間とはそういうものなんじゃないかと思う。
しかし、本当にホドロフスキーという人はユニークで底が知れない人だなあと感じる。小綺麗な世の中にまだこういう人が残っているということにすごく希望を感じる。
ホドロフスキー初心者は要注意!?互いの趣味趣向に理解がある同士での鑑賞は絶対で、一人で観るにしてもホドロフスキーの世界観を理解していなければ、、。
インチキ?胡散臭い?宗教色強め?変態的?こんな言葉がいくつあっても足りないくらいに、待望のホドロフスキー新作は果たして映画作品として成り立っているのか?ドキュメンタリー映画としてフィクション?ノンフィクション?
真面目に観て良いのやら、不謹慎にも笑えてしまうギャグ要素も垣間見れ困惑してしまう。
モザイクいらずなホドロフスキー、あなたに身を委ねるのに何ら弊害はナシ。