「祈りのちから」などキリスト教を題材にした映画を多数手がけるアレックス&スティーブン・ケンドリック兄弟が、「赦し」をテーマに、ひたむきに走り続ける少女が自分自身や周囲に変化をもたらしていく姿を描いたヒューマンドラマ。高校でバスケットボール部のコーチをしていたジョン・ハリソンは、町にあった工場が閉鎖されて多くの住民が去ったことでバスケットボールチームが解散になってしまい、やりたくもないクロスカントリー競技のコーチをすることに。しかも、クロスカントリー部の部員は、ぜん息を患ったハンナという女子生徒ひとりだけ。思うようにいかない現実に不満を抱くジョンだったが、ひた向きに練習に励み、大会で優勝を目指すハンナの姿を見るうちに心境に変化が訪れる。
赦しのちからコメント(7)
宗教色バリバリの「祈りのちから」episode2という感じで、信仰を押しつけてくる。
しかしながら、信仰心は微塵も持たない自分がみても、ドラマとして面白い。
その辺も祈りのちからと同様。
宗教映画にありがちな全ては神の思し召し、というオカルト要素はなく、飽くまでもそれは切っ掛けであり、寛大な心を持ち誠実に生きることで人生が上手く回るという流れで、何もかも綺麗に進みすぎるけれど、優しくて、温かくて胸アツ。
…あれ?案外自分はマジメなの?お堅いの?と勘違いさせてくれるベタさが心地良い、人生良いとこ取りな作品かな。
Team - Kendrick Brothers
男3兄弟が主演・監督・脚本・製作総指揮と家内工業的な映画のイメージ。それはあまり映画とは関係ないと言えるのか? ここまでクリスチャン、クリスチャンした映画がマイナーな配給会社でなくて、天下のソニーが配給していると思っているとそこには”Affirm Films”という映画会社の存在が... faith-based filmsというクリスチャン専門の映画制作会社ということ。
シナリオ自体は絵に描いたような話で起承転結がはっきりとしていて努力すれば望みがかなえられるとか、また映画の題名にもなっている人の過去の罪に対して”赦し”をテーマにしている点があげられる。それと”世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。”と重要な言葉の存在も
製作費の8倍近くの興行収入を得、また多くの観客からの高い支持の存在。それらを考えると否定するわけにもいかない個人的には厄介な映画とも言える。また日本の視聴制限のユルユルさが分かる作品とも... Common Sense Mediaによると覚せい剤中毒を示すプロット・ポイントの存在を指摘している。
「全体は安っぽくて偽善的な映画で、強いて慈悲深く言えば教会のようです。」RogerEbert.comまた一方では「この映画は、信仰からなる聴衆を魅了するでしょう。」Quad-City Timesより。個人的には出来過ぎたと言えば酷になるかもしれないが、何か吹っ切れない嫌なものを感じてしまう。ただ安心して観ることのできる映画とは言える。 ... でも目には
劇場公開数が少ない事もあり、あまり大きな期待をせずに鑑賞した事もあってか中々見応えのある作品だった。
この作品はタイトルの通りやはりキリストの教えを大切にするいわゆる宗教色が強めの作品ではあるが、無宗教の僕にとってもその辺りは他に置き換えてみる事ができる為普通に楽しめる。
「赦す」という言葉は中々日常生活で生活のある、馴染みのある言葉行為ではないが、自分自身に置き換えてみると人の過ちだったり納得のいかない出来事運命に逆らわず受け入れて次のステップに進む事だと置きかえながら鑑賞していると非常に見やすく楽しめた。
自分自身含め人は誰しもが長い人生の中過ちを犯し、時としては過ちを受けるのではないか。
その時に大切なのは赦しを受け入れる、受け入れてもらう事だとこの作品で実感させられる。
もちろんその赦しを与える、与えてもらう中には愛がないとダメだ。そこに愛があるから赦しを与え、与えられ次のステップに進めるわけだ。
この作品では15年前に娘を捨てるように逃げた父トーマスとその娘のハナーの関係をいわゆる「赦し」の関係としてストーリーは進む。
赦しが与えられるまでもちろんスムーズにはいかないものだが、クロスカントリーいわゆるマラソンといった人生に比喩しやすいスポーツと重ね合わせてストーリーは進む為とても見やすい。
主人公のジョンも不景気から自分の生活がうまくいかずいわゆる気持ちが下降気味であるが、そんな状況、運命を赦し受け入れることで前に進んでいく。
赦すという言葉、行為を決して簡単に語るつもりはないが、赦すという行為は非常に勇気がいる事ではある。
ましては自分が被害にああいその加害者を赦すという事はとても勇気がいる決断である。
ただこの作品を見て改めて思うのは赦すということは相手に豊かさを与えるものではなく、自分の今後の人生の豊かさに繋がるということでもある。
この作品でいえば捨てれたハナーが父を赦す事で、寂しやさ孤独さといった枷から解放されるのである。
その枷から解放された時、人は今までとは違う新しい価値観や視野から物事を見る事ができるようになり豊かな人生へのきっかけに繋がるように思えた。
もちろん何でもかんでも赦す事が自分の豊かさとして返ってくるわけではない。
上でも書いた通りそこには強い愛や信頼があって初めて意味をなすと思う。
非常に美しい作品を見る事ができ、心が豊かな気持ちになり劇場を後にする事ができた。