エジソンズ・ゲーム プロット

発明王エジソンとライバルたちがアメリカ初の電力送電システムをめぐって繰り広げたビジネスバトル=電流戦争を映画化。「イミテーション・ゲーム
エニグマと天才数学者の秘密」のベネディクト・カンバーバッチがトーマス・エジソン、「シェイプ・オブ・ウォーター」のマイケル・シャノンがライバルのカリスマ実業家ジョージ・ウェスティングハウスを演じ、共演にも「女王陛下のお気に入り」のニコラス・ホルト、「スパイダーマン」シリーズのトム・ホランドら豪華キャストがそろった。19世紀、アメリカは電気の誕生による新時代を迎えようとしていた。白熱電球の事業化を成功させた天才発明家エジソンは、大統領からの仕事も平然と断る傲慢な男だった。実業家ウェスティングハウスが交流式送電の実演会を成功させたというニュースに激怒したエジソンは、ネガティブキャンペーンで世論を誘導。事態は訴訟や駆け引き、裏工作が横行する世紀のビジネスバトルへと発展していく。監督は「ぼくとアールと彼女のさよなら」のアルフォンソ・ゴメス=レホン。

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エジソンズ・ゲームコメント(20)

uslhjd
uslhjd
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発明王として知られるエジソンだが、自分もこの映画を見るまで知らなかったが、ダブルスタンダードな面をみせるなど裏では色々と汚いことをやっていたという人間としてのエジソンを描いていた。
反面、ジョージ・ウェスティングハウスは人格者として描かれており、電流戦争で対立した人間としてだけではなく、対照的な描かれ方をしていた。
さて、この電流戦争に絡んでくるもうひとりの人物、ニコラ・テスラは卓越した才能をもっていたのに不運な人だった印象が強い。
エンディングでの彼の晩年を知ると努力が報われるという言葉とは何なのかと考えさせられる。
fgfmqgk
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【要約】19世紀末、米国全土にわたる都市配電網敷設にあたり、非効率な直流方式にこだわるエジソンは、経済性で大きく優れる交流方式を推すウェスティングハウスに後背を喫するあまり、交流方式の危険性をこじつけ、電気椅子の醸す死のイメージとウェスティングハウスとを結びつけようとするが、1893年のシカゴ万博における電気設備の落札に失敗したことで勝敗が決した。





【解説】邦題は『エジソンズ・ゲーム』となっているが、原題は"The Current War"とあり、「電流戦争」「通貨戦争」「時事戦争」を意味する。"current"とは、流通するもの、流れるものの意味であり、複数の意味合いを持つダブル(トリプル?)ミーニングとなっている。

このような邦題となったのは、本作の主演の1人ベネディクト・カンバーバッチの知名度と、彼が主演したヒット作『イミテーション・ゲーム』(2014)にあやかってのことだろう。

そもそもカンバーバッチは『ドクター・ストレンジ』(2016)やドラマ『SHERLOCK』でも見られるように、偏屈で天才的な役柄が多い。

もちろんエジソンの名声もあるだろう。(エジソンはやたらと有名であり、発明家、天才といった称号に併せて1+1=2が分からなかった等の逸話も知られているが、実際のところ電球の発明以外に何をしていた人物だろうか?)

(ここであまり関係のない『モリーズ・ゲーム』(2017)を思い出す)

『エジソンズ・ゲーム』という邦題からすると、天才エジソンの頭脳のなかで繰り広げられる戦略的バトルのような(主観的チェスのような)イメージを受けるが、実際にはこの映画の主役は2人いる。

この映画は、エジソンがチェスの盤面を支配して駒を動かすような天才無双モノではない。(そちらがお好みであれば、ガイ・リッチー版の『シャーロック・ホームズ』シリーズがおすすめだ。第3作が製作進行中という噂もある)

マイケル・シャノンのことを映画好きなら当然知っているだろうし、立派な(業績ある)俳優で、本作でカンバーバッチと双璧を成すにまったくふさわしい画面映えだけれども、一般的な知名度はまったく劣るので、興行的判断からエジソン=カンバーバッチを題することとしたのだろう。

つまり映画の内容は、エジソンとシャノン=ウェスティングハウスが並び立つ内容となっており、むしろ後者に軍配が上がる構成となっている。どころか、観客としては有名なエジソン=カンバーバッチよりもウェスティングハウスのほうに好意的な視線を送りたくもなる。(が、これは観る者の思想や立場によるだろうか)



エジソンは発明家で、自分の発明に固執するあまり経済的に効率の悪い直流方式を推す。
一方実業家ウェスティングハウスは、エジソンの発明を土台に改良された効率のよい交流方式を推進することで、米国全土に配電網を整備しようとしている。
というのが本作の製作者が用意した対比的構造だ。

(送電方式と電球は別々の発明として分離できる気もしなくはないが、映画のなかでは、送電方式と電球はゆるく一体化したものとして描かれている。交流方式は直流方式とは別物であってなお、各家庭や街灯に灯る電球はエジソンの発明であって送電網とともに電球を普及させようとするWHは盗作者だ、というのがエジソンの思惑だろうか)

どちらかというとエジソンは、人々の暮らしを豊かにするとか電気設備維持コストを考えるというよりもエゴの固まりで、「自分が発明した電球だから、この関連分野には関わるな」という強い縄張り意識から動いている。
そんな偏屈なエジソンをも受け入れる広い度量の男として実業家ウェスティングハウスは登場する。元々ウェスティングハウスは技術者エジソンを取り込んで、共に、交流方式を推し進めて行きたかったようで、仕方なく「カレント・ウォー」にもつれ込んだのも、エジソンが頑なに直流方式にこだわるのみならずウェスティングハウスの評判を下げるという手段に出たからだ、という描かれ方だ。

原題には"war"とあるが、どちらかというと躍起になって戦争(というよりやっかみ?)を仕掛けているのはエジソンのほうで、ウェスティングハウス側はそれを意にも介さず立ち回っているように思える。
というのも経済のこととなれば、より少ないコストで広範囲かつ無数の工事・公共設備・家庭により多くの電力を提供できる交流送電が勝つに決まっているからだ。



この目に見えて勝敗の明らかな(というのは現在的な視点だから言えてしまうことだろうか?)陣地争いだが、まるでエジソンが1893年のシカゴ万博で落札に成功すれば彼が挽回できるかのように、決着は終盤にもつれ込む。
「各州都市が直流-交流どちらの送電方式を採用するか?」に関しては、明確にウェスティングハウスが優位であり最初から勝敗が決しているようにも関わらず、その点は曖昧なまま、シカゴ万博前の競争入札においてエジソンの直流方式の電気設備が落札すればWH交流式に「勝つ」ことができるかのように物語は展開していく。(ここは映画を盛り上げる展開だろう。)

実際には、エジソンは純粋に発明一筋でそれ以外は何もできないというわけではなく、多量の特許を元に会社を経営する実業家の側面も持ち合わせていたようだから、本作における天才発明家VS実業家(WHも技術者としての側面を持ち合わせていた)という両極化した対比構造は成り立っていない。

ただ、実業家エジソンが経済的効率の劣る直流方式を推し進めようとしていたのは事実のようで(この辺りについてはよく知らない)、WH交流方式を蹴落とす悪あがきとして電気椅子を利用していたのもまた史実のようである。

経済的効率性の面でエジソン式が劣るのは明らかだった(エジソンがその点を公の場で認めているようにも思えなかったが、理解し、知ってはいただろう)が、エジソンは安全性に訴えることでWH式を押し下げようとした。高電圧の設備に触れれば即感電死だ、というのが彼の主張だった。なんなら街頭の電球に触れただけで人は死ぬ、とまで主張する場面が劇中には存在した。
感電死の危険性については交流方式を推し進める者も対応・対策するであろうし、仮に「電球に触れでもすれば必ず感電死する=確率100%」にしても、防護策が取られたうえで、「実際に感電死が発生する確率(頻度)はどれくらいか」を考慮して技術は使用されるものだろう。その点については触れられていないし、エジソンも劇中で述べてはいない。
(たとえば飛行機事故に遭えばほとんど必ず死ぬとしても、飛行機事故に遭遇する確率がとても低いのと同じ)



エジソンは、交流送電方式の危険性を主張するとともに、交流を利用した電気椅子という新しい処刑方法の開発に秘密裏に知見を提供することで、交流=死のイメージを一般に形成しようとする。(とはいえ、"より人道的な処刑"を目指した結果の電気椅子でもあるらしいのだが)
が、影で暗躍していることが新聞に暴かれたばかりか(劇中ではここでWHもエジソンが内密にやり取りした手紙を盗んで新聞社にリークするという非合法的な手段に打って出ている)、初の電気椅子処刑が囚人に惨たらしい死をもたらすという結果に終わる。つまりエジソンはWHを蹴落とすために悲惨な死を招く協力をしたということになる。
が、処刑に臨む囚人のシーンはまるで神々しく、この辺りも「映像と音楽の調整で盛り上げようとしているな」という気分を誘う。(コーエン兄弟監督『バーバー』の静かな終わりを思い出す)

★エジソンは、囚人に対しては「人道的な処刑だから」と、ある意味での殺人に関与しながらも電気椅子開発を正当化。それでもなお残る後ろめたさゆえに、開発関与を極秘にすることで世間からの非難を逃れようとする。さらに、開発に関与したのは自分であるはずなのに、まるで電気椅子による処刑がウェスティングハウスによるものであるかのように「交流=死」のイメージを大衆に植えつけようとする。
「人道的な処刑は善」「殺人は悪」という二両取り(ダブルスタンダード)をして、自分は陰に隠れる。そこまでしてなお直流で勝ちたい。この政治力、人間臭さは(現代的な視点での)ステレオタイプな機械オタク科学オタク、ナードのイメージとは程遠い。
元々は「生命第一」主義者であるという描写なのだが、一線を越えてしまったのだろうか……。交流送電方式による事故発生についてもそこまでリスクは高くなさそうだと理解はしていたように思えるあたりからも、「自己」の勝利ということへのこだわりが至上命題だったのではないかと思われる。



よく歴史で語られるように、直流VS交流というとエジソンVSニコラ・テスラの構図だと思っていた。
(ノーラン監督『プレステージ』(2006)でも、鬼才テスラがエジソンに追われる描かれ方がされている)

が、テスラはどちらかというと実業家ウェスティングハウスに「組み込まれた」ようで、本作でも脇役(のわりに張り切った配役)として登場する。
ただ本作におけるテスラは、目立つ人物として描かれているが、主役というわけでもなく、また勝敗の決着に貢献した描写もない。

ウェスティングハウスという人物に注目し(注目させ)、彼の業績を引き立ててやることが本作の一般に対する仕事かも知れない。



結局エジソンは、送電方式の陣地争いに負けたばかりか、シカゴ万博での落札も叶わず、敗北することとなったが、なぜか晴れ晴れとした幕切れが目指されており、「なんかエジソンも幸せになれたんじゃね?」という雰囲気が醸し出されて終わる。
映像の華やかさと音楽の心地よさで終盤を乗り切ったかたちだ。

実験室と家族に寄り添うのがエジソンの小さな幸せだよね?と言いたかったのだろうか。
ndeqpe
ndeqpe
電気学会後援!
みんなのレビューを読んで、自分も観るにあたり、電流戦争(送電に直流を使うか交流を使うかを競った、エジソン=GE社とウェスティンぐハウス社の争い)を、Wikipedia で学んでから、観ました。
なので、勉強になったなあ、というのが最初の感想。

冒頭に、ある駅を汽車で訪れて、汽車を降り、ランプを持って歩く。その先で、多くの電球が点灯する、というシーンがあるが、これは、「電気のなかった時代」を象徴的に示していて、うまいなあと感心した。

面白かったのですが、眠くなるところがちょっと多かったのは残念だった。
aafinfu
aafinfu
エジソンのイメージは、さほど詳しくない人なら発明王、天才、偉人といったところではないだろうか。そんな印象のままベネディクト・カンバーバッチ主演の本作を観ると、傲慢で尊大な性格、実業家ウェスティングハウスを見下した言動、若き天才科学者ニコラ・テスラの芽を潰す仕打ちなど、“嫌な奴”エピソードの数々に驚かされるはず。

もちろん、妻への愛情など人間的な面も描かれてはいる。それでも、本作の主題である電流戦争に関しては、直流方式を推すエジソンが名声と資金力に物を言わせ、ウェスティングハウス+テスラ陣営のより優れた交流方式をあの手この手で潰しにかかる姿が実に憎らしい。ニコラス・ホルト演じるテスラが不憫だ。史実に基づくドラマなので仕方ないが、テスラがもし出会いに恵まれ、若い頃から存分に発明の数々を実用化できていたら、今の世界も相当違っただろうにと思わずにはいられない。
ppkjtw
ppkjtw
今は無きウェスチングハウスと、エジソン時代から連綿と続くGE(ゼネラルエレクトリック)の、最初期の闘いを描く作品。ビジネスゲーム絵巻としては中途半端で、人物対決としては面白い構図である割に、今一歩踏み込めてない感じがした。中身としては面白いんだけどな。

自分の発明を製品にし、世に出す。発明家は概して変わり者が多いが、それがそのままビジネスに持ち込まれると、なかなかに面倒くさい。相手に対するネガティブキャンペーンや、誹謗中傷など、日本なら好感度を気にしてやらないマーケティングを展開するあたりは、もう少しえげつなく描いても良かったかも。

カンパーバッチは、なんだかハリソンフォードの雰囲気だった。あまり彼らしい感じはしなかったので、そこは少し残念。独特な顔立ちのマイケル・シャノンは、大実業家という感じがぴったりで、意外にぴったりはまっていた印象です。もう少し、二人のこじれたやり取りがあると、ラストへ向けて盛り上がったのではなかろうかと思う。ニコラス・ホルト演じるテスラもまたしかり。
何を見せたいのか、少しぼやけてしまっている。せっかくオリジナリティを持った役者陣だったので、もう少し人間ドラマに降っても良かったかな。少しもったいなかった。

”三相交流”あたりの用語を調べてから見ると、現在当たり前のように使っている電気が、どんな状況から広まっていったのか、興味を持てるのではないかと思う。