カンボジアの貧しい田舎からタイへ出稼ぎにきた少年が体験する過酷な強制労働の体験を、取材に基づく事実にフィクションを織り交ぜて描いた人間ドラマ。オーストラリア人監督ロッド・ラスジェンの長編デビュー作で、全編をクメール語とタイ語で描いた。第69回ベルリン国際映画祭のパノラマ部門でエキュメニカル審査員賞を受賞。「消えた画
クメール・ルージュの真実」などのドキュメンタリーで知られるカンボジアの映画監督リティ・パンが製作総指揮に参加している。カンボジアの田舎の貧しい家庭で生まれ育った14歳のチャクラは、労働の担い手としか扱われない自分の境遇に納得できず、ひとり家を出る。仕事を斡旋してくれるというブローカーに連れられてタイにやってきたチャクラは、そこで奴隷として漁船に売り払われ、劣悪な環境下での労働を強いられる。陸から遠く離れた海上で助けはなく、船長に歯向かった者や衰弱した者は拷問され、殺され、海に捨てられていく。絶望的な状況下でチャクラの心は摩耗し、人間性は失われ、破壊的な衝動が生まれていく。そして、そんなチャクラは、生きるためにある手段をとる。
ボヤンシー 眼差しの向こうにコメント(8)
漁業での奴隷労働、まさに蟹工船の世界。
主人公の14歳の少年は学校にも行けず過酷な労働に耐えかね、バンコクの工場で稼ぐことを夢見てブローカーを頼りに家を出る。しかしブローカーに払える金がないため、工場の筈が漁船に乗せられる。サディスティックな船長に目を付けられて周囲の大人が1人また1人と死に追いやられ、どこまでいっても海以外何も見えず逃げ場もない中、同じ年齢から漁業で生きてきた船長に目をかけてもらえる主人公。お前の家は死ぬまでこの船だと言われて絶望しか感じない。
この中では搾取しているのは成り上がりの船長達だが、少年の目から見ても憧れではない。それは船長達の人間性の問題だけでなく、彼らもまた先が見えない暮らしだからでもある。
こういった非人間的な労働によって成り立つ経済というのが我々の生活にあるということを忘れてはいけない。これは漁業だが、例えば某ファストファッションTシャツ定価590円とは一体どうなってるのか?ということではないか。
主演の少年の瞳の力が素晴らしいのと、船長の何とも言えない怖い顔!どこで見つけてきた⁈って感じ。主人公が親しくなる妻子持ちの出稼ぎ労働者がラグビーの稲垣選手に似てる(笑)
学校にも行けず親の言いなりで働かされ続けていることに不満を抱き、知人の紹介でタイに密入国をして働こうと決意して巻き起こっていくストーリー。
家族の関係が深くは描かれてはいないけれど、自身のことだけを考えたら、自活した方が確かに生活は良くなりそうだし、昔の日本もそうだけど、未だに長男は偉いという風潮があるのも決意した一因かも。
裏の世界は勿論、世間という程のものも知らない14歳が漁船に売られて奴隷労働させられて、働かないヤツや逃げ出そうとしたヤツは見せしめの様にあっさり始末されという状況を目の当たりにしていく。
抜け出す索を探すのか、這い上がるのか諦めるのかがなかなか見えてこず、嫌~な空気が漂う中でみせる主人公の目つきが期待を膨らませるし、そこからの主人公の行動はしっくりくるし、最後の選択も力強くて自分の好みだった。
家から出て初めてわかる有り難さ
大きくなって流す涙
もう戻らないで
自分の道を歩いていくのかな?
世の中には劣悪な環境の中生きているものはごまんといる。社会的問題になっている東南アジアの奴隷労働者たちももちろんその一部である。そんな東南アジアの奴隷労働者として働かされている14歳の少年の作品である。
貧しい家庭に生まれ育ち、家庭内で働くことも当たり前となっていた日常。そんな環境から逃げ出す事を決めた主人公の少年チャクラ。
当初は金銭が貰えて労働できると考えていたが、実際は金銭も貰えず十分な食料や睡眠も与えられず、地獄のような環境で奴隷労働させられる毎日を送ることになった。
逃げたものは目の前で無残に殺され、また主に海上にいる為逃げるという選択肢すら与えられない環境である。
そんな毎日を過ごしていくうちに周囲は精神的にそして肉体的に壊れ殺されている中でチャクラは強く逞しく育っていく。
ひどい仕打ちをした奴隷仲間を殺した事をきっかけに、奴隷として扱う3人の雇用主達を殺し自由を得て作品は終える。
犯罪者達を殺す事の可否はともかく、本来は経験しなくて済む事をしてまで自由を得るためにあらゆる事を経験して生きるチャクラの姿に強く心を打たれた。
セリフも少なくまさにノンフィクションに近いドキュメンタリーのような作品。その為早い段階で見入ってしまう。
この作品に没入すればするほど自分が幸せな環境で過ごしてきた事への感謝の気持ちと同時にこのような社会問題になにもできない無力さを感じ心が揺れ動かされる。
この問題は決してカンボジアをはじめとした東南アジアだけの問題ではない。法が整備された日本ですら外国人雇用を増やし、低賃金や長時間労働などをはじめとした違法労働などをさせて罰せられた企業もいくらか報道された事もある。発覚したのは一部でありどこまでそういういった状況が社会的に蔓延しているのかは未知数である。
もちろん違法労働、奴隷労働だけではない。弱者に対してその弱い立場を利用し更に追い詰めるような事案はいくらでもある。
こういう作品を観ていると弱者の気持ち、環境の一部を少しでも理解することに繋がる事ができる。
その理解から次は身近にいる弱い、弱っているものへの立場を時には助け、時には優しく接する事ができるきっかけに繋がるのではないか。
この作品を観て感じた事を大切にし、決して忘れる事なく優しい人間でありたいと強く思う。
蟹工船か!
だいぶ昔の話し... ある南半球の島国で働いていた時、仕事終わりにシャワーで頭を洗っている最中に、水の蛇口を閉められ同僚が怒り心頭になり、わめき散らしている場面を見た経験がある。蛇口を閉めた奴はただ面白いことをふざけたことをしたつもりでもされたほうは、堪ったものではなく、火傷はしないまでもとても熱い思いをさせられる。そこがミソ
日本では、少し意味が違う "highway" や日本ではあまり馴染みのない "CHECK BOOK "そこで使われる数字を表す文字 "thousand" ... 蛇口を止めた現地人にはそんな簡単な文字も書けはしない。ただし、教育の質や年齢や性別に関係なく勉強や教育を受ける機会など国からの経済的支援は、日本より福祉の発達し過ぎている国は豊かであり過ぎて、お勉強ができなくても生きていけるという事で... 前振りはこれぐらいにして
ブラックウォー.... タスマニア人数十万人を絶滅したあとでも、圧政に生き残ったオーストラリア先住民…人として、アボロジニという名称や人を指す言葉は、差別過ぎるので使うのを拒否するという人は少なくない.... 元々は彼らの国だったのにオーストラリア政府は1967年まで市民権をオーストラリア先住民に与えなかった彼らが、自国の事はほっとおいて他国の差別的で過酷な労働を強いる映画の制作するとは、とても納得がいかない。2018年製作の映画「ナイチンゲール」でもオーストラリア人監督は、ブラックウォーでのオーストラリア人の蛮行を中途半端な描き方で映画作りをしていた。そんなくだらない映画を見たオーストラリアのコケージョンは映画の途中で退席し、それとは逆に日本の方々は何と恐ろしいと... 感想を述べている。
オーストラリア人の蛮行の証:子供の指をパイプの栓にし、親の場合は、鼻や耳をそぎ落とし、ロープで首をつらして見せしめにしたこと。しかも近代人類史上で最も稀なマンハンティングの実行者。
最後のタスマリア人の墓をわざわざ掘り起こし、ホバートの博物館に展示をし、その一番の極めつけは、彼らの戦利品、勲章を残すため... 戦利品のタスマニア人を殺したり、生け捕りにした人数を数えるのに人としてではなく動物の数として日記に残している... 彼らは背が低いタスマニア人を本当に猿人の様に扱っている証拠。
こういう映画を観る時、一般のタイ人がどんな人たちなのか? 日本を含めアジア地域唯一の列強から植民地支配を受けなかった国として、それとは逆にアメリカから占領された日本なんか経済発展したなんて、すり替えのような言葉が横行する国とは違う... 見ている誰もが製作者がどんな人たちであると考えもしないし、ただ単に悪い非道なことをするタイ人とだけ人の頭にすり込められる。タイ人について、この差別行為をしっかりリサーチしてから映画化したのかが疑問に残る。
オーストラリア人がタイ国を差別的な国として描いたのは、自身2度目でこの映画の他、前の差別映画は「Bangkok Hilton」1989年に作られた映画... あの自分のスタイルを保つためだけに代理出産を他人に任せているニコール・キッドマンという自己顕示欲だけで生きている人が演じていた。この映画が酷すぎるのは、死刑に使われる道具が絞首刑台や電気椅子といった物でなく重機関銃、通称:ヘビー・マシンガンというもの。ここでもタイの国の死刑制度を無視しているし、リサーチなんてものはしていない。この時タイは死刑制度すらなかった。詳しく言うなら死刑を中止ていた期間である事。
イギリスの虚言癖のある女性が書いた不敬罪にあたる「王様と私」。タイとインドでは上映禁止。でもこの映画「ボヤンシー・・・・・」はタイのバンコクで6月に上映されている... タイ政府の懐の広さ