エデンの東

6.9/10
合計18件のレビュー
ジャンル   プロット
ランタイム   115分
言語   英語
地区   アメリカ
書かれた   ポール・オズボーン
劇場で   01月01日 1955
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エデンの東 プロット

旧約聖書のカインとアベルの物語を下敷きにしたジョン・スタインベックの同名小説を、「欲望という名の電車」「波止場」の名匠エリア・カザン監督が映画化した青春ドラマ。1917年のアメリカ・カリフォルニア北部の町サリナスを舞台に、孤独な青年キャルの苦悩や家族との確執を描く。主演は本作が映画初出演となるジェームズ・ディーン。共演にジュリー・ハリス、ジョー・バン・フリート。音楽はレナード・ローゼンマン。

エデンの東 俳優

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エデンの東コメント(20)

nbenvzw
nbenvzw
男には一生の内で乗り越えなければいけない大きな壁が幾つかある。
その大きな壁は父親だったり、兄弟だったりするわけで ー。
神様は乗り越えられない試練は与えないと言うが、果たしてそうだろうか…。
愛に飢えたキャルの孤独な姿が、たまらなく切ない。
名作の誉れ高い本作だが、演出や演技よりもレナード・ローゼンマンの美しい主題曲が自分の心には一番沁みた。😢
veoyfcp
veoyfcp
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20年ぶりくらいに見たが、とんでもない傑作だ。映画の目指すべき姿のお手本のようだ。こんなオリジナリティあふれる映画は今でも出会えない。

●原作は読んでないないが、物語が秀逸。それぞれのキャラクターの思いと絡み合いが素晴らしい。
●計算されつくした構成。もう無駄の無さには頭がさがる。
●演出と構図が鳥肌もの。
●キャラクターの配置が完璧。
●とにかくジェームズ・ディーンの存在感が半端ない。中心線がないような流れる動き。次の表情が予測できない。兄を殴った後の酒場でのコップの持ち方。伝説になるのがよくわかる。
●ラストが最高。何でこんな看護婦を配置したか不可思議だったけど、あの瞬間のためだった。やはり無駄なキャラはいなかった。「看護婦を遠ざけてくれ」なんてセンス良すぎる。しかもそのあと耳元でささやく言葉をいっさい聞かせない。「この僕に看病してくれって」とディーンは父を見守るが、そんな事を言ったとは思えない。これは気づく人は気づくが、もっと深い愛の言葉をささやいたはず。そう、言葉に出来ない愛の表現をああいう形で表したのだ。「愛してる」とか安っぽい言葉を避けたんだ。なんて発想だ。

愛ゆえに人は罪を犯す。そんな人間ははたして悪人であろうか?カインとアベルの古典的な神話を見事に現代ドラマとして描いた。
まさに教科書とすべき傑作!
okppfr
okppfr
中2でこの映画を鑑賞しましたが、カインとアベル物で最後はスゴい複雑な感じがしましたが、とても良かったです。

兄弟って大変だなぁ〜
iuziiw
iuziiw
本作は映画史上の名作として誰もが題名だけでも聞いたことがあるであろう作品です。コロナ禍によりこうした名作もスクリーンで鑑賞する機会が得られたのは、数少ない吉報の一つでしょう。

映像で観るジェームス・ディーンは、やはりイメージに違わぬ名演です。これが彼にとっての映画初出演作なのですが、母に絶望し父にすがりつく彼の姿は鮮烈で、涙を誘わずにはいられません。

ディーンの熱演は、エリア・カザン監督の導入した、俳優が演じる人物に心身共に一体化する「メソッド演技」によるところも大きく、『波止場』(一九五四)のマーロン・ブランドと同様、後の映画俳優の演技に大きな影響を与えました。さらにまた、カザン監督自身も本作の数年前に、所謂「赤狩り」の矢面に立たされており、それもまた、本作の「陰」の濃さに影響を与えているようです。

作中でも引用しているように、本作の構成や人物名などは旧約聖書のカインとアベルの物語に基づいています。ただし旧約聖書ではケイン=キャルが兄で、アベル=アロンは弟のところ、映画では逆転しています。またイヴの立場にあるケートが全く子供を顧みない母親であるなど、聖書を相対化した描写があり、興味深いです。
eyvyxf
eyvyxf
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エリア・カザンの作品を初めて観た。この人の名前は、第二次大戦後のアメリカ、とりわけハリウッドの映画界に吹き荒れた赤狩りで告発者側に連なっている。他になんの予備知識もなく、タイトルの「エデンの東」が旧約聖書にまつわるものであることを知っているくらい。
父/神に認められる兄と、疎まれる弟。父の誕生日に婚約者を紹介する兄。父がビジネスで失った金を穀物相場の投機で稼いできた弟。この二人に対する父親の対応がまさに、「旧約」のカインとアベルの物語に相似する。父親は婚約者/肥えた羊の初子という家族的な財産を贈った兄には無上の感謝を表し、戦争によって高騰した穀物で得た金を持ってきた弟を罵倒する。
そして、映画/聖書から消えるのは、(映画と聖書では兄と弟が反対だが)羊を贈ったほうである。聖書では、穀物を贈って無視されたカインが、羊を贈ったアベルを殺害するのだが、映画では殺されるのではなく、志願兵として戦地へと赴き家族の前から姿を消す。
聖書と相似形の物語を紡いでいながら、最後は異なる展開にしたのは、まさにこの点にこそ物語を通じて訴えたかった主張があるのではないだろうか。
この作品は赤狩りが終わった1954年の直後に撮られた。赤狩りに対する否定的な世論は、当然、告発する側に立ったカザンも批判の対象としたことだろう。そんな中どのような思いでカザンはこの作品を撮ったのだろうか。この聖書と映画とのズレには何が込められているのだろうか。

映画の中で父親が非難するように、穀物への投機の成功は戦争のおかげであり、その戦争によって多くのアメリカの若者が命を落としている。そんな言わば汚れた金など受け取れないというのが、人格者を自認する父の考えだ。
しかし、この父がそもそも大きな損失を抱えるようになったのは、西部のレタスを冬場野菜不足となる東海岸へ送って相場の違いをそっくり利益にしようという投機的な企みだった。もちろん、父の中では冬場にビタミン源を失う人々に野菜を提供するという善意の行為ではあったが。
弟が穀物価格の高騰を見越して成功したのも、戦争によってヨーロッパの穀物需要が高まるという、海の向こうの人々の飢えを予想したからだ。
このように、父による弟への非難は、そのまま自分自身への批判となって跳ね返る。どちらにせよ、資本家が当たり前に考えることを実践したまでなのだ。

そして、全てがこのようなマネーゲームに回収される資本主義経済に、家族愛や家庭的な温かみを奪われていくアメリカ社会とは、資本の蓄積に長けた弟に、婚約者を奪われる兄そのものではないか。
婚約者を奪われて自暴自棄となり、戦争へ自らを送り込む兄の姿こそ、資本主義の浸透によって家族を失ったアメリカ社会が、自ら積極的に対外戦争へと突き進むことを、極めて冷徹に予測している。旧約のアベルの如く、弟に殺害されるまでもなく、自ら死地へ赴くのだ。

カザンが赤狩りによって守ろうとしたものが、実は資本主義社会ではなく、その資本主義によって血縁と地縁と家族愛を奪われた、強い紐帯の残る社会であったとしたら。映画は、この時代のアメリカ人に対して、この紐帯を捨てて戦争の続く時代を生きる覚悟を問うている。

「エデンの東」は、20世紀前半のアメリカ農業社会が資本主義経済に飲み込まれていく様を、その作品でつぶさに描いた小説家ジョン・スタインベックの原作なのだ。

赤狩りの波に乗って、資本主義社会を揺るがす恐れがあるとして映画人を追放したカザンその人が、反資本主義的なスタインベックの小説を映画化したということが、自らの批判に対する回答だったのではないだろうか。