「舟を編む」の石井裕也監督が、韓国人スタッフ&キャストとともにオール韓国ロケで撮りあげた作品。ひとり息子の学を持つ青木剛は妻を病気で亡くし、疎遠になっていた兄が暮らすソウルへ渡る。兄からは「韓国で仕事がある」と言われていたのだが、剛の期待とは違い、兄はその日暮らしの貧しい生活を送っていた。剛はほとんど韓国語も話せないまま、怪しい化粧品の輸入販売を手伝い始める。一方、ソウルでタレント活動をするチェ・ソルは、市場のステージで誰も聴いていない歌を歌う仕事しかなく、所属事務所の社長と関係を持ちながら、仕事や家族との関係について心を悩ませていた。主人公・剛を池松壮亮、兄をオダギリジョーが演じる。そのほか、ソル役に「金子文子と朴烈」のチェ・ヒソなど、キャストやスタッフの多くは韓国人が務めている。
アジアの天使コメント(20)
互いに違う目的を持ちながら、たまたま居合わせた韓国人兄妹と日本人兄弟とその息子が電車や車での旅路で色々な出来事が起きる。
まあオーソドックスなロードムービーな感じだった。
映画の雰囲気は凄く好きで、日本語韓国語、時に英語交じりで展開されるストーリーは、互いの不理解もありながら、旅が進む中、分かり合ってくる感じとか、シンプルな作りだが良い雰囲気だった。
行きつく先は海とかもこれぞロードムービー感。「ノッキン・オン・ヘヴンズ・ドア」を思い出した。
ちょっと天使をなんで主軸に置いたのかがよくわからなかったし、何らかのメタファーなのかなと思ったけど、まああまり気にしなければ問題ない。
日本在住歴があり、日本語堪能なチェ・ヒソさんがキャスティングされていたので、もうちょい日本語交じりの会話もあるかと思いきや、互いの言葉を理解した言葉は「メクチュチュセヨ」「サランヘヨ」と「ありがとう」。言葉の隔たりがあったの、心の理解が後半に如実に描かれていて良かった。
総じていえば、相手の話を聞くことって、気持ちなんだな。
あとオダジョーさんのチャラい役、好きです。
お兄さん役のキム・ミンジェ氏、「新感染半島ファイナルステージ」で狂った軍曹やってた人じゃないか。
鑑賞後、調べるまで全然気づかなかった。振り幅に感服。
劇場公開してしばらく経ってから、この作品を鑑賞することにした。カンテレで放送していた「大豆田とわ子と三人の元夫」にオダギリが出演していて、彼のカッコ良さを再確認したところだった。彼が「まめ夫」で演じた小鳥遊は、大豆田とわ子(松たか子)にとってビジネスの敵であるが、プライベートでは仲が良い。不思議な関係だ。小鳥遊は、とわ子の会社の買収を企て、とわ子に社長の辞任を迫るほどであったが、プライベートでは、まるでそれがなかったことのように気さくに接する。現実社会にそんな人がいたら気持ち悪いことこの上ないが、オダギリの「抜け感」も相まって、作品にリズム感を与えていた。「アジアの天使」においても「抜け感」は健在で、冒頭に挙げたセリフがそれを象徴している。
主人公・青木透は妻を亡くし、息子の学(佐藤凌)と2人で暮らしていた。ある日、透は剛から良いビジネスがあるからとソウルへ来るよう誘われる。心機一転覚悟を決め、渡航する2人であったが、剛のノリはかなり軽い。本当に大丈夫なのかと不安になる透であったが、剛は極めて楽観的であった。ところが、剛のビジネスパートナーがある日突然失踪し、3人は危機を迎える。剛はそのときばかりは動揺を隠せなかったが、別の土地で新しい商売をやるのだと意気込む。透親子もやむを得ず同行するが、移動途中の列車で出会った3人の韓国人兄妹と「日韓友好」を育んでいく。
現代社会においても「反日」や「反韓」というように、両国の関係をネガティブに捉える風潮がやまない。作中でも触れられるように、両国の関係は必ずしも良好ではない。それは世代によって異なる部分もあるが、このような印象が独り歩きし「日韓友好」の障壁となっていることもまた現実である。この作品は最終的に「日韓友好」へと着地するのだが、互いへの敵対感情を吐露する場面もあり、決してユートピア的な表現へ終始することはない。だが、国は違えど同じ人間として助けあう両国の人々の姿を描いていた。「日韓友好」とはいっても、互いが互いの国籍を意識しないようになって初めてその境地にたどり着けるのかもしれない。「メクチュジュセヨ」と「サランヘヨ」が自然と言える関係性が築かれる過程は平坦ではないからこそ余計に愛おしく思えた。人間のあたたかみに触れたい人は是非一度鑑賞してほしい。
妻を病気で亡くした小説家の剛(池松壮亮)は、8歳の息子・学を連れ、「韓国で仕事がある」という兄(オダギリジョー)を頼ってソウルに到着。早々に兄が仕事仲間の韓国人から商品を持ち逃げされて途方に暮れるが、3人は怪しげなワカメのビジネスの話をあてにして北東部の港町・江陵を目指す。
剛はソウルのモールで買い物をしていた時、観客のいない舞台で歌う元アイドルのソルを目にする。ソルは末端労働者の兄ジョンウ、喘息持ちの妹ポムを養うため細々と芸能活動を続けていた。3兄妹は若くして死んだ両親の墓参りのために電車に乗り、たまたま乗り合わせていた剛たち一行と思いがけず旅を共にすることに。
6人が最初に食事をした店で、酔ったジョンウは韓国人の嫌日感情と日本人の嫌韓感情が共に高まっているという世論調査の数字を韓国語で話す。韓国語がわからない剛は黙って聞いているばかり。剛がソルや他の韓国人に話しかける時は、通じていないのに日本語を口にする。観始めてからしばらく、なぜ剛も他の主要人物たちも簡単な英語でコミュニケーションをとろうとしないのか疑問だったが、これは序盤で容易に意思疎通させない石井監督の狙いだろう。旅の途中から片言の英語で、剛はソルたちと少しずつ会話するようになる。
コロナの時代を舞台にした「茜色に焼かれる」に比べれば、日韓関係の悪化はタイムリーさの点で弱いかもしれないが、長年にわたり改善が進まない印象だし、この問題を扱う映画もドキュメンタリーを除けばおそらくなかったのではないか。他の映像作家たちが敬遠しがちな、現在進行形の社会問題や国際問題といった扱いにくいテーマに果敢に挑む姿勢を石井監督に感じる。
「搾取する側と、搾取される側」という台詞が出てくる。あるいは、ソルが仕事をもらうため芸能事務所社長と関係を持っているという話。経済格差、男女格差が根強く残る社会という点でも、両国は似ている。剛の兄とジョンウはそれぞれ“搾取する側”になりたいと望んでいるが、その願いがかなうことはおそらくない。
それでも、たとえば家族を亡くした喪失感のように、ありきたりかもしれないが大切な感覚をきっかけに、歩み寄ったり共感したりできるようになるのかもしれない。あるいは、お腹がすいている時に、おいしい料理を一緒に食べるシンプルな喜びでもいい。
ファンタジックな要素が含まれる点では、「町田くんの世界」と共通する。現代の寓話のような側面はあるが、主要人物たちと同じようにもがき苦しみながらも支え合って今の時代を生きている人は大勢いる。
最後にもう一つ。ソルたちの親戚の家に泊めてもらう場面で、オダギリジョー演じる兄が色目を使うその家の娘・テヨンを演じているチャン・ヒリョンがなかなかに魅力的。これまで韓国向けドラマの出演が多かったようだが、日本で鑑賞できる出演作が増えるといいなと願う。
かなり期待してたんですが感動は得られず残念
天使だすならせめてベルリンのような天使だしてよ。
言葉の違いの中、相互理解というのは難しいもので、英語なら通ずるんじゃないかと英語力を駆使した同僚がいたのですが、案外日本語のほうが通じたりしたものです。「オンナ、オンナ」などと連呼すると、「アナタ、スケベね」とタクシー運転手に諫められたりします。
そんな韓国の思い出がふと頭をよぎったり、やはり基本的なことは伝えられるといいなぁ、などと啓発もされる作品でしたが、日本側、韓国側ともに家族という存在があり、妻、母親をガンで亡くすという共通点で心が触れ合うシーンも見事。怪訝そうな目つきから同情心の目へと変化もし、見つめることによって気持ちが伝わること、そして天使に関してはギャグとしか思えない笑わせ方で心を鷲掴みに・・・
それにしてもチェ・ヒソが美人で魅力的すぎる。『金子文子と朴烈』のときも感じましたが、彼女の存在があってこそ成り立ってる。彼女が6番目だなんて許せない!(チョット違う、little bit)。そんな俳優陣の中、池松壮亮の純朴さやオダギリジョーのちゃらんぽらんな性格も上手く溶け込んでいた。
ロードムービーの魅力も味わえたし、搾取される側の不条理な貧困生活という日韓共通の社会派部分も堪能できる。“天使”というのは互いの接点にすぎず、実際は共通点が何であってもよいのだろう。通じ合うためには語学ではなく、相手の心を理解すること。ともに苦難を乗り越え、生きていこうとすることが大切なんだろうなぁ。