仮面ライダー555(ファイズ) 20th パラダイス・リゲインド
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02月02日 劇場で
ダム・マネー ウォール街を狙え!
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02月02日 劇場で
ピッグダディ
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日本
02月02日 劇場で
梟 フクロウ
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02月09日 劇場で
一月の声に歓びを刻め
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日本
02月09日 劇場で
ボブ・マーリー ラスト・ライブ・イン・ジャマイカ レゲエ・サンスプラッシュ
プロット
西ドイツ・ジャマイカ合作
02月09日 劇場で
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Swallow スワロウコメント(8)
ハンターは飲み込んだ後排泄されたビー玉や画鋲などを便器から拾って洗い、宝飾品のように並べてコレクションする。食べ物(有益な物)を消化すると“汚物”になるのと真逆で、無価値で有害な異物を排泄すると彼女にとって貴重品になる。これがあたかも聖なる儀式のように、美しく描写される(もちろんヘイリー・ベネットの美貌と悦びの表情もそうした印象に貢献している)。
心理学的には、モラハラ夫とその両親という富裕な家に嫁いだブルーカラー出身の女性が、受ける抑圧やストレスから解放されるための代償行動と解釈できよう。だが本作において、ハンターにとっての“真の異物”とは、夫一家そのものなのだ。婚姻関係の成果であり結晶ともいえる「あるもの」の扱いに関する彼女の決断が、そのことを象徴している。
狂気をはらんだ映画に私たちが魅了されてしまうのは、人間はどこかしら不完全な存在で、日常では忘れがちな(あるいは意識しないよう努めている)そうした不都合な真実に気づかせるからではないか。ハンターを監視するために雇われたシリア出身の男が彼女に、「紛争地では銃弾を避けるのに精一杯で心を病む余裕などない」といった趣旨の話をする。地球のどこかでは今も戦争や紛争が続いているのに、別の国では豊かな暮らしを享受したり、のほほんとエンタメを楽しんでいたりする世界もやはり不完全で、狂っているとは言えまいか。そんな狂った世界に対する潜在意識下の不安が、たとえば新型コロナのような不測の異常事態によって表面化し増幅されるのかもしれない。
特殊な癖を題材としながらも、人間と世界の本質を突く普遍性を獲得した異色作だ。
ラストはビックリしました。
異物を飲み込むシーンがリアルで下手なホラー映画よりある意味怖いです。
主人公のハンターはビジネスで成功を収めてる旦那を持ち、立派な豪邸に住む。もちろん彼女が外に出て働く必要もなければ表面上は旦那も優しい。ただハンターはどこか幸せでないのは冒頭から伝わる。
旦那の仕事柄上、旦那の家族と関わりが冒頭からあるのだが、その家族からも彼女が一生懸命話していても途中で遮られたり、本人は気に入ってる短い髪型を否定されたり…彼女の存在自体が彼らには大した存在でない事がひしひしと伝わる。もちろんそこには悪意があったり、彼女を虐めてやろうという気持ちもまた無いのは伝わる。シンプルに彼女の存在がはっきりと伝わり、それが返って彼女をさらに苦しませる。
結局そこのわだかまりが妊娠しても尾を引く。旦那も家族も表面上はハンターに優しく接するが、ハンターの心配以上にお腹の中の子がとにかく気になってるのが伝わる。もちろんそれは普通の事なのかもしれないが、元々きちんとした信頼関係がない上だとさらに彼女を傷つける。そこで異食症が爆発する。
この作品はもちろんこの異食症が主となるが、決してあれこれ異物を食べるシーンが沢山ある訳ではない。
孤独や寂しさの気持ち、満たされない欲がMAXに近くなるとそういった衝動に出る。その描写が丁寧に描かれているためとても見入ってしまう。
確固たる描写で彼女が明らかに、意図的に苦しめられる、虐められるような描写が決してあるわけではないが、彼女の寂しさ、満たされない欲は十分伝わり心が痛くなる。
後半ではハンターはレイプの末生まれた事が明かされ、終盤ではその犯人(刑期は終えた)に会いに行き気持ちを伝える。
そこで彼女は本心では望んでなかったお腹の中の子を中絶し、そしてこれから一人で生きていこうとする姿で作品は終わる。
このハンターは顔もカッコよく、そしてお金もあり、決して意地悪とかではない旦那を持っているのだから誰もが羨み本来は幸せであってもおかしくない。
もちろんハンターでなければこの生活でも十分幸せに感じ、ハンターの旦那と一生を暮らしていける者も沢山いるだろう。
決してハンターがおかしい訳でもなく、旦那も特別おかしい訳でもない。ただ人それぞれ幸福感、幸せに繋がる欲というのは違い、その違った欲、幸福感を強要することが返って不幸となり人をダメにしてしまうという描写が非常にうまく描かれておりとても好きな作品であった。
決してドラマ性の高い作品ではなく、異食症含め精神病になってしまうありえそうな過程を淡々と描いていくがそれでも見応えはある。
今は便利な社会にどんどんなるにつれて幸福感を満たされにくくなっていくというのはメディアで何度も目にしたことがある。僕自身もその1人であるが、そのような人は沢山いると思う。
時には人が羨む事、望む事が幸せだと思ってしまう事もあるが、自分自身の幸福感というものを明確にし、それを形にする事が大切なんだという事を改めて感じさせてくれる作品であった。
またその幸福感を形にできない、前に進めないのはハンターの様に過去の大きなトラウマが邪魔をしている場合もある。時には幸せを掴むにはまずトラウマを消し去ることが必要であったりもする。
自分の過去を振り替えながら、そして心と会話しながら楽しめるそんな作品であった。
表面上は優しい旦那と義父母との時間だけど、自分への興味が薄く感じてしまい、寂しさを紛らわす様に氷を噛み砕き、ビー玉を飲み込み、様々なものを口に入れる様になっていくストーリー。
徐々にエスカレートしていくそれは、背徳感かスリルか、それとも自傷の一種か…。
スリラーと言われればそうなのかも知れないけれど、誰しも感じることのあるであろうふとした孤独が、そんな行動に繫がってしまう様は恐ろしいというより哀しい限り。
最期の描写は少しボヤかしたところもあるし、何もなければ過激に感じるところはあるものの、言わんとすることはしっかり伝わって来てとても良かった。