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ポトフ 美食家と料理人コメント(20)
冒頭の30分に及ぶ調理のシーン。無理に無理を重ねたノーカットではないけれど、人物の動きに寄り添い複数の人物に次々と乗り換え追うカメラ。人物から料理へ、鍋の中まで覗き込むスムースな移動撮影。しかもカメラマンが追う事による画面ブレが一切ないのが驚愕です。多分、一挙の撮影の上で無駄な余白はカットしたのでしょう、あの調理場の中だけで30分を費やす暴挙をやってのけ、それが映画的カタルシスまで昇華しているのですから凄いとしか言いようがありません。
この方の前作を調べましたらなんとフランス版「キャメラを止めるな!」の撮影をなさっていたとか、あの地獄の撮影が本作で実を結んだと言って構わないでしょう。しかしそれにしても湯気でカメラが曇らないのも素晴らしく、食材の色彩の変化、調理の音、食器の音、外から聞こえる鳥の鳴き声までも収める。しかも19世紀末の設定で照明も最小限に絞った自然のまま。
なによりキッチンのど真ん中に鎮座する巨大なテーブル然とした何口もあるコンロ? あの分厚い鉄板の下は薪?石炭? あの全面が熱いのか丸く印のある所のみが熱くなるのか? まるで分かりません。少なくとも日本の「かまど」とは大分様相が違いますね。いずれにしましても変な例えですが、日本の部屋毎暖房に対し、欧米ではセントラルヒーティングの贅沢と一緒ですね。
対する役者さんも凄い意気込みで感服です。ジュリエット・ビノシュはもちろん、超イケメンも老けてしまったブノワ・マジメルもフランスを代表する大スター。普段はきっとあんな料理をいつも召し上がっているのでしょうが、ここでは調理する側に挑戦です。一歩間違えれば大火傷やケガのリスクを乗り越えての役者魂には感動すらしてしまいます。そしてさらに美少女が機敏に調理のサポートをする、「青いパパイヤの香り」の無垢な少女を否応なく連想させる。セリフは最小限で、総ては料理に奉仕のスタンスだからこそ成し得た領域でしょう。
お話はなんてことなく、美食家の神髄極めに尽きますが、ラストで圧巻のカメラの回転(パン)撮影により、主人公2人の結びつきに収斂させる技は素晴らしい。多分貴族の末裔なのか、大金持ちなのは確かで、領土内の菜園やら家畜を抱え、自然の恵みを最大限に活かす。まるで素材と対話するが如く。その自然の命を頂く人間の崇高なまでの探求心こそが本作のテーマでしょう。
ソースを一口味見して、その沢山の素材から調味料までも言い当てるなんざ人間業とは思えない。よく言いますよね「日本人の繊細な舌に・・」なんて言う日本人の優越感をくすぐる低能な表現。フランス人の極めもとんでもないレベルなんです、ワインやらシャンパンへの蘊蓄も日本人の理解を超えている。すなわちどんな民族でもそれぞれの味覚を有する当たり前を、受け入れリスペクトしたいものです。
(参考)前期214本目(合計865本目/今月(2023年6月度まで))
タイトルの「ポトフ~」については、確かに料理としてのポトフは出ますが、それ以外の料理も多く出てくるし、「ポトフ映画ではない」点に注意です。またフランス映画であり、「ポトフ映画ではない」とはいえ実質「料理映画」には分類されうるのでいい匂いがしそうな(映画館からはしませんが…)タイトルです。
ただそのことは日常生活パートがかなり多く、映画の中で何か大きな「事件」が起きるわけではない(少なくともアクション映画とは絶対に言えない)わけで、一応いくつか区切りになるイベントはありますが、物語自体がきわめて平坦に進んでいくという特徴的な部分を持つという特殊な映画ではあります(何かキーになるイベントはあるといえばありますが、それとて話が極端に変わるわけではないし、実質2時間、フランス料理を色々見たり食べたりをずっと見ている状態の映画と考えたほうがよさそう)。
ただこの点はそういう趣旨の映画もあるのだろうと思うし、フランス映画は何らかの意味で余韻を残す映画(趣旨は自分で考えてね、というもの)が好まれ、この映画も展開が平凡「過ぎる」ところはありますが、この映画にこめられた主義主張は何なのか…は一人ひとり答えは違うのではないかな…と思います。
個人的には100年か150年かくらい「少し前」のフランスにおいて、肉も魚もじゃがいもほか野菜など「食べられるもの」を全て「料理として昇華して食べつくす」という、「この意味における」、日本にいう「いただきます」の文化が流れているのではないかな…と思ったところです。
採点は下記が明確に気になったところです。
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(減点0.3/クレメンス6世のいわゆる「アヴィニョン捕囚」について)
この話、および、グレゴリウス11世によってこれが終わること(歴史としては70年続いた)ことがいきなり話題になるところ、料理と一応「結び付けられて」登場しますが(フランス料理のトリビアのようなものとしての扱い)、この点は高校世界史でちらっと学習するにすぎず、このあと(=グレゴリウス11世による捕囚の終了)の「教会大分裂」(当時のフランスはカトリック教が主流で教会は一つだったが、派閥ができたりして混乱した時代があった。これも40年続いた)の話も、一応は高校世界史で学習しますが趣旨的に後者はミッション系学校で扱うのではなかろうかというような内容のレベルで、一応、映画の趣旨である「フランス料理」に関するトリビアの一つとしての扱いで出る(換言すれば、どうでもいいところで突然出てこない)点で何とかなるかなのレベルで、ちょっといきなり(料理映画でいいなぁ、と思っているところに)この字幕でこの話題は厳しいかな…といったところです。
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序盤の言葉少なにせっせと準備される料理シーンをに、これほどまでに観続けられるものなのかと新鮮だった。
言い訳ばかりになりますが、冒頭部分寝落ちしてしまいました。
その結果、時代背景や主人公二人の置かれている社会的な地位を理解できず、それなのに眼に飛び込んでくる映像は極上の美味であることをビンビンと伝えてくる。
でも、でもですよ、きっとあの二人は有り余る予算を料理にかけられているはず。だとしたら美味しくって目に麗しくって当り前じゃないの!
ウージェニーがこの世を去ってからあれだけ沈み込んでいたドダンがやる気をもたげてきたモチベーションは何だった?
なんて、自分が寝てしまって観られなかったくせにちょっとスネてみました。
フランスを舞台に、民間初のレストランを創り上げた「デリシュ!」の爽快感とは全く異なる作品ですが、ワタシの個人的好みはデリシュだなぁ。
それはそうと、コロナ以後、撮影の問題や俳優組合のストなども影響しているのか、ハリウッド作品を鑑賞する機会が減って、フランス映画やインド、中東地域のものを目にすることが増えたのは寂しい反面自分の視野が広がった気もして嬉しい事なのかもしれませんね。
さあて、来年も(まだ今年ももう少しあるけれど)映画にドキドキ・ワクワクしようっと🎵
使用人のヴィオレタが連れてきた少女ポーリーヌの資質がなんちゃら言いながらコース料理の調理と食事の様子から始まって行くけれど、なんだか料理のシーンが長い。
その後も突然具合が悪くなりつつも料理を続けるウージェニーとか、ユーラシア皇太子の晩餐会招待とかみせていくけれど、やはり一つ一つのシーンが長かったり、そもそもこれいりますか?なシーンがあったり。
いよいよポトフまでも非常に長いし、と思っていたら、あっという間に…。
ストーリー自体は悪くないけれど全体的に長くて冗長気味だし、最後はそんな中途半端な…。
もう30分短くて良かったかな。