まどろみの彼女たち
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日本
02月09日 劇場で
QUEEN ROCK MONTREAL
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アメリカ
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ネクスト・ゴール・ウィンズ
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落下の解剖学
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02月23日 劇場で
コヴェナント 約束の救出
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神探大戦
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02月23日 劇場で
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ザ・ヴァンパイア 残酷な牙を持つ少女コメント(9)
本作のように、切実なテーマがある映画は特に。
今までで一番むかついたキャッチが、『シェイム/SHAME』の"愛なら毎晩ティッシュにくるんで捨てている"ですが、本作はその次くらいにむかつく邦題です。
配給会社のギャガ・プラスさんは、何を思って本作を配給したんだろうか。
イライジャ・ウッド制作総指揮だから?
韓国でソ・ジソプが配給権を獲得したから?
本作の監督アナ・リリー・アマポアーの次回作の主演が、キアヌ・リーヴス、ジム・キャリーだから?
映像がジム・ジャームッシュ的なモノクロで、お洒落っぽいから?
なんとなく、次きそうな感じだから(笑)?
因みに主演の少女には牙が生えてますが、ヴァンパイアとは言及されていません。
首筋に噛み付いて相手を殺しますが、指も食いちぎります。
噛まれた相手はヴァンパイアにならないし、鏡にも映ります。
汚れた血(ドラック漬け)を襲っても、平気。
少女が襲うのは、全て悪い男です。
そしてなにより、十字架は出てきません。
牙が生えた少女の格好は、所謂ヴァンパイア的なマントに見えますが、同時にイラン女性が身にまとう"チャードル(体全体を覆う黒い服装)"であることが分かります。
監督は、イラン系アメリカ人の女性。
本作の舞台はイランの架空都市"バッドシティ"です。
原題「A Girl Walks Home Alone at Night」の意味は、"少女が一人で夜中に我が家を目指す"でしょうか?
イランでは夜間の女性の外出は、禁止だったように思います。
また本作では猫が色んな場所で登場しますが、イランでは猫は外に出してはいけないようです。
少女は家の中では80年代のアメリカのポップスを聞き、カットソーにジーンズでダンスしています。
マドンナのポスターが、意図的に何度も画面にアップになる(マドンナ風ですが、監督が変装してるようです)。
イランでは、西洋の音楽は禁止です。
この点については、イラン出身のバフマン・ゴバディ監督の"ペルシャ猫を誰も知らない"をご覧になると分かると思います。
さて、本作の少女が向かう原題の"Home"が、単なる家でないことはもうお分かりだと思います。
"Home"は全てのイラン女性が目指しているものなんでしょう。
でもタイトルに"ヴァンパイア"とついているせいで、ネット上の評価は散々です。
映画の評価は観る方の知識や経験、そしてなによりその時の精神状態で大きく左右されると思います。
今の私には「分かるよね?」と、まるで縋ってくるような映画でした。
私の"我が家"も遠い。
熊本ではDenkikanさんで、1週間の限定公開でした。
見終わると隣の隣に座っていたロマンスグレイなおじ様が、「傑作だったね」と仰いました。
私は傑作って言葉は好きじゃないなぁ、と思いつつ、やっぱりそんなおじ様がいるDenkikanさんが好きだ-!と思いました(笑)
上映館がかなーり少ないですが、もしお近くであれば是非!
※本年観た映画の中では、上位にくるくいらい好き。
評価するのは観手の感性のみ、説明なんてないし。
ただ、監督の感性は凄いなと伝わってきた。
確かにジム・ジャームッシュ風なところはあるが、不条理の中にもある筋を通しているのは小気味よかった。
音ビックリを使いすぎなのと、無駄に爆音なのは若さかもしれないけれどもね。
主演の男女が魅力的、故にかの余韻が素晴らしかった作品。
この凡庸極まりない邦題からは全く想像がつかない、ホラーというジャンルには収まりきらない独特な雰囲気を持った小品。ヤク中の父の面倒を見ながら暮らす孤独な青年アラシュが深夜に出会った風変わりな女の子と絶妙に不器用な仕草で少しずつ心を通わせていく様を淡々と見つめる映画。全編ペルシャ語で綴られる陰影の深いモノクロ作品で、作品中に使われる楽曲のチョイスまでもが個性的でいつまでも余韻を味わっていたくなる、ジム・ジャームッシュやクエンティン・タランティーノの初期作品群のように個性的な愛おしい作品でした。
しかし、小生の生涯ベストワン映画である『ぼくのエリ』もそうですが、吸血鬼モノの邦題ネーミングセンスが今ものすごく危うい気がしてしょうがないです。邦題もまた映画史に残るものだということを認識して慎重に選んでもらいたいものです。