母親を亡くしたダウン症の女性が残された父と2人で旅をし、悲しみを乗り越えて互いに理解を深めていく姿を描いたヒューマンドラマ。明朗快活なダウン症の女性ダフネは、スーパーで働きながら両親と平穏に暮らしていた。しかし、母マリアが亡くなったことで生活が一変。年老いた父ルイジは自分が死んだら娘がひとり残されてしまうという不安にかられ、ふさぎ込んでしまう。そんな父にダフネは、一緒に母の故郷の村を訪ねてみようと提案。その旅は、母であり妻であった愛する人の死を乗り越え、父と娘が互いを理解しあうための、かけがえのない時間になっていく。監督は、長編劇映画はこれが2作目となるフェデリコ・ボンディ。2019年・第69回ベルリン国際映画祭のパノラマ部門で国際批評家連盟賞を受賞。ダフネ役のカロリーナ・ラスパンティは自身もダウン症で、ボンディ監督に見いだされて本作で演技に初挑戦した。
わたしはダフネコメント(16)
あらすじだけ聞けば『障害を乗り越えて〝父親が娘を〟献身的に支えていく物語』かと思いきや、実際は『妻の死と娘の将来を思い悩む〝父親を娘が〟支えていく物語』だった。
もうお爺さんと言ってもいい高齢の父親に対する、ダフネの厳しすぎる言葉と態度もあって、感情移入はどちらかと言うと父親側。
ダフネが産まれダウン症と分かった時の自身の失意と、その際に妻から受けたメッセージを涙ながらに語る姿に思わず涙×2。
しかしダフネ、立ち直りが早かった。メソメソしていられなかった理由は、父をケアしなければならないから。ダフネには職場というもう一つの社会・居場所があることもとても重要だった。
すでに彼女は母親をコピーしたかのようないろんな知恵や言葉や処世術を身につけていた。そして中盤以降、完全に母親が彼女に憑依したかのようだった。年老いた父親は文字通り「タジタジ」。親子というより長年寄り添ったカップルみたいだった。
「この子を残して死ぬのが心配」と思う親心を聡明な「障害児??(どこが?って感じだけど)」は無意識のうちに察する能力があったのかな。
全編、観光地じゃないイタリアののんびりした景色、ダフネのキレのいい生意気な名言を楽しんだ。
ダウン症関係なく親子の話として良かった。
ダフネ役のカロリーナ・ラスパンティは彼女自身もダウン症らしいからか自然な演技が好感持てた。
主人公ダフネはいわゆるダウン症だ。ダウン症は出生時誰にでも起こりうる遺伝的な障害。それをもって悲観的にとらえるか、楽天的にとらえるか。
悲観的な父親に対して彼女を産んだ母は産まれたばかりの彼女の匂いを嗅いでという。私たちと同じ匂いがすると。そう、障害を障害としてとらえる人間にはそれは障害でしかない。障害を当たり前のように受け入れ、それをものともしない人間にとっては障害は障害ではないのだ。もっとも、同じような意識が周りの人々にも要求されるのだが。
ダフネはしっかりもので普通に仕事もこなし、ジム通いで健康管理も万全。とてもチャーミングで人懐っこい性格であり、人との間に壁を作らないので職場でも愛される存在。むしろ彼女の人柄に周りの人々が引き寄せられる。
ある日、最愛の母を亡くし、残されたのは悲観的な父と娘のダフネのみ。母が健在の頃は互いに距離を置きながらもとりあえずは良好な関係にあった二人。母の存在が父娘のかすがいとなっていた。そんな二人にとってかけがえのない人間を失ったことから、互いの関係はギクシャクし出す。
いまやたった二人きりの家族となってしまった彼らにとって、母の死が互いを見つめ直すきっかけとなる。
母の墓参りを徒歩でしようと言い出すのは娘のダフネだ。この機会にお互いを見つめ直す良い機会だとの提案。本来、それは父親の方からすべきものである。
しっかり者のダフネはなにかと父の健康状態をかまう、それに対しげんなりする父。まるでダフネは父の世話女房だ。
数日間の徒歩での旅で互いの思いをぶつけ合った二人。母の墓参りを終えた旅の終わりにダフネは母の息が入った風船を父に手渡す。私たち三人は今も共に生きる家族なのだと。
そんな娘を頼もしい存在として見つめる父の表情で幕を閉じる。
障害者問題を扱いながらも、なんとも言えない暖かな余韻が残る作品だった。
親子3人コテージで過ごしたヴァカンスの最終日、母親が突然倒れそのまま帰らぬ人となり巻き起こっていくストーリー。
年齢は不詳だけど、スーパーで働きしっかりした大人のダフネ。
母親が亡くなった直後は手が付けられない程の状態だったけれど…。
一方、嫁を亡くしたルイジは最初こそ気丈に振る舞っていたけれど、壊れてしまったのかと思わせる程の様になっていく。
新たな形での父娘の人生を歩き始める為の時間を、時に軽口を織り交ぜつつ堅苦しく無くみせていく物語で、優しく温かくリアルな感じもしてとても良かった。