すべてが変わった日 プロット

「マン・オブ・スティール」でも夫婦役で共演したダイアン・レインとケビン・コスナーが、不幸の連鎖によって危険な場所に連れ去られてしまった孫の救出のために立ち上がる夫婦を演じるスリラー。1963年、元保安官のジョージ・ブラックリッジと妻のマーガレットは、不慮の落馬事故により息子のジェームズを失ってしまう。3年後、未亡人として幼い息子のジミーを育てていた義理の娘のローナは再婚するが、相手のドニー・ウィボーイは暴力的な男だった。ドニーは、ローナとジミーを連れてノースダコタ州の実家に転居し、そのことを知ったマーガレットは、義理の娘と孫を取り戻すことを決意する。しかし、ジョージとマーガレットを待ち受けていたのは、暴力と支配欲でウィボーイ一家を仕切る異様な女家長のブランシュだった。「ファントム・スレッド」のレスリー・マンビルのほか、ジェフリー・ドノバン、ブーブー・スチュワートが脇を固める。監督は「幸せのポートレート」のトーマス・ベズーチャ。

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すべてが変わった日コメント(20)

Llshyifneo
Llshyifneo
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すごく引き込まれた一作です。
正直、映画館を出て思い返すと普通のストーリーなんです。
でも演出、組み立てによって感情移入しやすくしており、
見てる間、次どうなるんだろという緊張感があり、苦しく、辛かったです。

序盤、マーガレットがジミーを取り返しにジョージと向かう時、
ドニーから暴力を振るわれる様子を目撃した以上ジミーを連れ出すのは正しいとは思いつつも、
勝手に連れ出すのはまずいんじゃないかと思っていましたが、
ウィーボーイ一家の異常さを見た後はジョージ同様、マーガレットを応援するようになっていました。
マーガレットはブランチと今までの自分を重ね合わせることで
今までローナの意思をまるで尊重していない様子だった過去の自分の態度を反省し、ジミーだけではなく、ローナも救いたいと決心します。

そしてローナ、ジミーと待ち合わせるはずのモーテルでの修羅場。
ここではジミーとローナが脱出する意思があっても脱出できないこと、
そしてウィーボーイ一家は人の指を切るようなことをしても法では裁かれないことがわかります。
だからこそ、ラストの解決方にそれしかないんだという説得力を持たせています。

モーテルでの修羅場があった後、妻とトラウマを共有したジョージは今まで妻に従ってたのと対照的に今度は自分からローナ、ジミーを救いに行きます。
この救いに行くシーンも銃弾が明らかに足りてなかったりと悲惨な結末を想像させるものになっており、絶望感の中で自分は見ていました。。

ラストは凄まじいカタルシスに満ちていました。
ジョージの今までとは対照的な積極的な行動、そして愛する者を守るための犠牲があったこと、
そしてマーガレットが亡くなった息子と重ね合わせていた、ピーターとの別れによって
息子を亡くしたトラウマを乗り越え、ローナ、ジミーとの幸せな未来を予感させるものだったからです。
ジョージの死から自分は涙が止まりませんでした。

ところで、ポスターにあった正義の暴走が狂気を呼ぶというキャッチコピーは酷すぎませんか?
映画を見て書いたとしたら悪質すぎるので、
見ないで書きましたという方がまだ良心的なレベルだと思いました。
luzkme
luzkme
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暗く重い空気感。特にね何も起こらないねと思ったら衝撃。また不穏な空気が流れて…お相手が異常者家族なら正攻法じゃダメよね。

この世から去りゆくものに耳元で囁く生きていた頃の楽しい思い出。それらを抱えて終わりを迎える。さよならを言えずに逝ってしまった息子との対比なのかな。
Ostagrrned
Ostagrrned
英語で「Let me go」というと「私を行かせて」と直訳するよりも「離して!」としたほうがいい場合がある。本作品の原題「Let him go」はどうだろうか。「その子を離しなさい」または「その子を離せ!」くらいでいいのではなかろうか。
しかし邦題は「すべてが変わった日」である。その意味は映画の序盤で解るが、本当の意味ですべてが変わった日はその3年後だ。前半はある意味で静かに時が過ぎていくが、後半には怒涛の展開が待っている。この邦題は悪くない。

今日では社会が毒親から子供を守るのがひとつの方向性として主流になっていて、十分とは言えないけれども行政がその任を担っている。しかし本作品の舞台となった1963年は、児童虐待という概念さえ、社会が共有していなかった。それは日本も同じで、本来の意味での児童虐待防止法が交付されたのは2000年になってからである。
本作品は毒親の親も毒親だったという絶望的な状況で、ダイアン・レインが演じた主人公マーガレットは、ケヴィン・コスナーの演じる夫ジョージとともに途方に暮れる。警察は助けてくれるどころか他所者として排除しようとする。先住民の血を引くピーターは本作品の象徴的な存在だ。この時代で児童虐待とたたかうには、本作品のような展開しかなかったのだろう。その意味での説得力はある。

ダイアン・レインとケヴィン・コスナーの芝居が本当に上手で、もはや長年連れ添ってきた夫婦にしか見えない。そして長い年月を経てもなお、お互いを知ろうとする。人には配偶者にも言わない秘密があるのだ。
この穏やかな夫婦のどこにあれほどの勇敢さが宿っていたのか。夫ジョージには結末が見えていたように思える。しかし突き進んでいくマーガレットをどこまでもサポートする。マーガレットは常識人としての自分に自信を持ち、王道を進めば道は開けると楽観しているが、ジョージは30年間の保安官としての経験から、人は善人ばかりではないことを知っている。

ネタバレになるのでこれ以上書けないが、本作品は扱っている問題の深刻さもさることながら、ストーリー展開が波乱万丈で、平凡な夫婦が強力な相手に立ち向かっていく。その勇気は肯定されるべきだ。
東京では3館しか上映しておらず、上映期間も長くないと思われるが、そういう作品に限って屡々名作がある。本作品もそのひとつだと思う。
fwzcwm
fwzcwm
この作品は、現代のアメリカの置かれた状況を、60年代に置き換え、もしかしたら、取り返しのつかないところまで行き着かないとダメなのかもしれないという苦悩を表現したスリラーなのだと思う。

公民権運動の広がっていた60年代のアメリカは、白人の既得権を守ろうとする勢力が非常に強く、多様性が当たり前になろうとしている現代において、白人至上主義者が強く抵抗している様と非常に酷似しているのかもしれない。

家父長制の色濃く残るウィーボーイ家。
父親が亡くなり、母親が家父長の代わりだ。

安倍晋太郎が亡くなり、未亡人で安倍晋三の母親、そして、岸信介の娘が、安倍家を影で仕切り、岸家の復活を目指しているのを考えると、日本でも似たようなことはあからさまに行われている気がする。

この作品に戻って考えてみると、このウィーボーイ家と対峙しようとするブラックリッジ家も、家族のヒエラルキーを重要視していたという側面もあり、昔からリベラルというわけではなかった。

しかし、時代の変化とともに、変わっていく価値観も受け入れなくてはならないのだ。

インディアンの土地を収奪したことも振り返るべきだ。

しかし、トランプにリードされて抵抗を強めている伝統的な家父長制に基づいた価値観がモチベーションの白人至上主義者たち。

連邦議事堂に侵入して破壊行為を行ったトランプ支持者は、ジョージに手斧を振り下ろしたウィーボーイ家の連中のようだ。

これを止める為には、眼には眼を、歯には歯をのような行動しかないのだろうか。

取り返しのつかないところまで行き着かないと、争いは止まらないのだろうか。

幸いなことに、まだ、血で血を洗うような状況にはなっていない。

だが、緊張は続いていて、万が一の事態を否定出来ない苦悩をアメリカは抱えたままなのだ。

前に上映されていた「クローブ・ヒッチキラー」も、アメリカの、こうした家父長制が色濃く残る白人社会の歪んだ側面を見せた映画だったと思う。

娯楽スリラーとして云々するのも良いけれど、もう少し視点を変えて、考えてみるのも良いのではないかと思う作品だ。

ところで、ケビン・コスナーは、やっぱり横顔がカッコいい。
Ntciomeicgxe
Ntciomeicgxe
ノースダコタの人と大地と風景の荒涼とした閉じられた世界の側面が目一杯演出、表現されている。