ムーンライト・マイル
プロット
アメリカ
06月28日 2003 劇場で
スイート・ムーンライト
プロット
香港
03月03日 2001 劇場で
ムーンライト・ダイナー
プロット
日本
03月05日 2022 劇場で
ダーク・シャドウ
プロット
アメリカ
05月19日 2012 劇場で
シャドウ・オブ・ヴァンパイア
プロット
アメリカ
08月11日 2001 劇場で
渋谷シャドウ
プロット
日本
11月28日 2020 劇場で
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ムーンライト・シャドウコメント(20)
良かったぁ!
以上
大好きな人限定の映画🎦
目に見えない流れ
原作は未読です。
奇跡の仕組みの話から始まる。偶然と偶然が微妙に重ならないと、奇跡は起こらない。それは至極、当たり前なのだが、要するに奇跡は、起きてからおもむろに気がつけばよいと言うことでしょうか。
前半は「流れ」がテーマで進む。ドミノの不規則な流れ。地下の水の隠れた流れ。体内を巡る音の微かな流れ。「流れ」の道筋は、私たちが気づかないだけで、奇跡の種子かも知れない。
我らが生も、あるところ意思とは関わりなく見えない流れで営まれている。それでさつきは等に出会い、柊とゆみこにも出会う。
月の光の中で
等とゆみこの突然の死からが、物語の後半。出会いで紡がれた生が、死の別離で流れを堰き止められてしまう。
放り出されたさつきと柊の悲哀は、口にすることも出来ない大きなもの。しかし、麗と言う不思議な女性との触れ合いの中で、穏やかに変わっていきました。
作中の表現としては、麗は死の世界にも身を置いている非日常の存在だが、そこでさつきも柊も次第に日常を取り戻していく。
さつきと柊がパンを食べるシーンの、温かい溜息が出るような安堵感!
キャラバンは無言で進む
月下、柊はゆみこと再会し、一方でさつきは等の想い出と再会したように、私には見えたのですが。
作品の進行や人物の存在感が静かで、そこに身を委ねつつ、一つ一つのシーンを眺めていました。答えが分からずともよい……みたいで、それが心地良くもありました。いずれにせよ、哀しみはそう容易に消えるものではないです。
良い意味でも、悪い意味でも、透明感の強い作品です。小松菜奈ちゃんを含め、役者さん達もそうですし、作品自体も最初から最後まで感じるイメージです。逆に言えば、作品の中での山と言うか、メリハリが感じられないですね。
小松菜奈が一番好きな女優なんですが、今作とリンクするのが2018年5月公開の「恋は雨上がりのように」だと思います。
その作品は単行本も10巻まで全部読んでいて、怪我をした陸上部の女子高生役でした。そこで速く走るシーンがあって、今作ではこんな格好いい走り方する人いないと感じました。
走るシーンがリンクしたので嬉しくなって、また「恋は雨上がりのように」はとしまえんに行って、そこの映画館がおしゃれで好きな映画館の一つになった事も思い出されました。
頭の中がずっと疑問符(?)ばかりだった。こんな登場人物だっけ?こんな設定だっけ?こんな台詞だったっけ?と。吉本ばなな先生の原作ファンだったので期待していたんですが、解釈違いなのか、監督さんの趣味なのか、全く別の作品を見ているようでした。自分の頭の中で幻想的にイメージし過ぎていたのかなぁ、あまりにも違いすぎて……原作未読の方がいいのかもしれません。
さつきと柊の会話って原作では結構快活なところもあって、絶望を背負いながら痛々しく傷をなめ合ったり今にも崩れ落ちそうにみえたり、危なっかしくも辛うじて立っている二人がいてそのバランスを見事に綴られていたんです。映像で見せるのはやはり無理があったのかな。喜びから苦悩へと変わる表情の落差、美しい月光と朝焼け、神秘的な設定、見せたいのは分かるけど物語の本質はそこじゃないという。ラストの川を隔てた対岸にいる等が笑って手を振るシーンが好きだったのに、無くて残念です。