カティンの森

6.8/10
合計13件のレビュー
ジャンル   プロット
ランタイム   122分
言語   まだ情報はありません
劇場で   12月05日 2009
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カティンの森 プロット

1943年にソ連国内の森で数千人のポーランド将校の遺体が発見された「カティンの森事件」を、巨匠アンジェイ・ワイダ監督が、実際に遺された手記や手紙を基に描き出す歴史ドラマ。1939年、西からドイツ軍に追われる人々とソ連軍に東から追われた人々が、ポーランド東部にあるブク川の橋の上で偶然出くわす。西側からはソ連の捕虜となった夫・アンジェイ大尉を探すアンナと娘のニカ、東側からは大将夫人ルジャがおり、彼らはそれぞれの目的地へ向かうため川を渡る。

カティンの森 俳優

カティンの森 写真

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カティンの森コメント(12)

Yeerhgvcnae
Yeerhgvcnae
あとで、監督のコメントを聞いたんですが、世界では知っているが、1989年以降にポーランドが自由になってから作品にすることができたと。でも、『カティンの森』のロシアの他殺事件をどう作品にするかなかなか決められなかったと。目撃者は一人だけ(Jozsf Czapski)で、この大量殺人に関して無関心な人が多いし、犯罪に焦点を置こうか、嘘に焦点を置こうか迷ったそうだ。そして、嘘に焦点を置いたと。
やっと1990年にゴルバチョフがソ連のNKVDが大量虐殺をしたことを認めた。

日本が犯した中国/韓国への戦争犯罪を思い起こさせる作品だった。
Hoyupsahnptu
Hoyupsahnptu
ゴルバチョフ体制のときに、ようやくソ連が認めたカティンの森でのポーランド将校虐殺事件は、世界史上に残る忌まわしい国家犯罪のひとつだ。それがついに、ポーランドの名匠アンジェイ・ワイダ監督にらよって映像化されたのだが、この作品ではじめて、ワイダ監督の父親がカティン事件の犠牲者だったことを知ると、なおのことこの作品の重要性は増してくる、というものだ。

しかし、映画はカティン事件そのものではなく、事件の犠牲になった将校の家族たちの物語だ。だから、観る側は最初、少し肩透かしをくらったような気分になるのだが、物語が進むにつれてワイダ監督の演出意図がわかってきて、画面から目を離せなくなってくる。

この映画の中で印象的なのは、ナチス・ドイツが敗れ去り、かわってソ連がポーランドを支配するようになってからのカティン事件への関わり方だ。ソ連は、カティン事件はドイツ側としていたが、ポーランドの民衆のほとんどはソ連の仕業であることがわかっていた。だから、カティン事件がソ連支配への服従の踏み絵、となっていたことには、かなり驚かされた。カティン事件を口にできなかったこととは、戦後ポーランドが暗いトンネルの中を歩んできたのを意味しいたことを、ワイダ監督は物悲しく、切実に描いている。「灰とダイヤモンド」以降、ワイダ監督が語ってきたポーランドがポーランドであり続けることの難しさを、この作品でもよりしっかりと観せている。

この作品の中で、古い映画ファンが思わずニヤリとするシーンがある。それは「灰とダイヤモンド」の主人公の青年マチェックに似た若者が、少しの間だけだが登場するのだ。支配体制に敢然と挑戦するマチェックは、若い頃から変わらないワイダ監督の熱い心の象徴なのだが、それを再び登場させたのは、ワイダ監督がカティン事件の映画製作への執念を表現してみせたように思う。そして、そのマチェツクのような青年たちによって現代のポーランドが立ち上がってきたことも、ワイダ監督は忘れさせないようにしたかったのだろう。

ラスト、カティン事件で死んだ将校が残した日記が、人の手でなく、一塵の風に吹かれてろめくれていく。その孤独さは、現代への警鐘のように感じた。ワイダ監督がひたすら、戦後ポーランドを描いてきたのは、革命によって生まれたソ連がそうであるように、民衆によって成された革命とは万人のためにあるものではないからだ。だから、国が民衆の力によって変わろうとも、国を信じてはならないということを、ワイダ監督はこの作品でも観るものに訴えかけている。民衆の手は、常に国を支えるべきであることを、ラストシーンは物語っているような気がする。