マンデラの名もなき看守 プロット

南アフリカ初の黒人大統領となったネルソン・マンデラの知られざる若き日々を、「ペレ」「愛の風景」の名匠ビレ・アウグストが映画化。反政府運動の指導者として27年間に渡り獄中生活を強いられながらも希望を持ち続けたマンデラの姿を、彼との交流の中で美しい魂を取り戻していく白人看守の視点から描き出す。マンデラ役に大ヒットTVシリーズ「24」のデニス・ヘイスバート、白人看守役に「恋におちたシェイクスピア」のジョセフ・ファインズ。

マンデラの名もなき看守 俳優

マンデラの名もなき看守 写真

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マンデラの名もなき看守コメント(20)

qljbew
qljbew
そう、ラグビーワールドカップ南アフリカ大会のマンデラ。孤独から生み出された寛容のオーラーに包まれた天使のマンデラ。憎悪からは何者も生まれないと言い放った男の謎。憎しみによって生まれる連帯、一体感ほど空しいものはない。頭の中では分かっている。しかし、憎しみは共感を呼びまるで強い絆が生まれたような高揚感に包まれる。獄中のマンデラもそうだったんだ。実は、ホントは、ちょっとだけ安心したんだ。マンデラも普通の人であったことに・・・・。
しかし、この看守の行動には驚かされた。当時の南アフリカの社会のなかで、このようなマンデラ擁護的な行動がとれたということが、ある意味不思議だった。黒人は人ではなく家畜だと心底信じていた人間とその家族たち。何が変えたのかは、この映画では粗をされていないような気がした。僕が見逃しただけなのかもしれないが、それが残念なだけだ。
wiyrvyn
wiyrvyn
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映画「マンデラの名もなき看守」(ビレ・アウグスト監督)から。
マンデラとは、もちろん「南アフリカ初の黒人大統領となった
ネルソン・マンデラ」のこと。
彼の担当となった白人看守が、彼の発言・行動に触れることで、
人間の大きさ、懐の広さを感じたのだろう。
「昇進より大事なことがある」と言い切り、昇進を棒に振る。
妻に「なぜ、こんなことになってしまったの?」と問いつめられた時、
「マンデラに会えばわかる」と言い返すシーンがある。
この場面が、私には一番印象的だった。
その後も彼は「黒人びいき」と白い目を受けながらも、
マンデラの理解者として、看守と接していくのだが、
反政府運動の指導者の魅力に惹かれていく姿が映し出される。
そして1990.2.11、27年ぶりの自由を得たマンデラを、
看守の奥さんが初めて目にするシーンへと続く。
その時、夫の言った「マンデラに会えばわかる」の意味が
彼女には理解できたのだろう、とても優しい顔になっていた。
派手なアクションもない、静かな映画だが、素敵な作品である。
Nkohmsipsxg
Nkohmsipsxg
彼がこの手記を残そうと思ったのは、もちろんマンデラとの交流が彼の人生において輝かしいものであったからだと推測する。

アパルトヘイト
南アフリカの人種隔離政策。

アフリカ大陸の中で唯一 アフリカという名を冠している白人主体の国家。
その国は長らく、国の法律の中に堂々と人種差別の条項を持っていた。

20世紀も末になる頃にやっとそれが撤廃されるが、それは国連主体の世界からの厳しいバッシングに折れたからであり、国の内部からの盛り上がりであったとは言い難い。

国の体制はずっと黒人に対する侮蔑と脅威を持ち続け、そのために彼らを檻の中に閉じ込めることしかできなかった。
白人たちにとって黒人たちは、野に放てば野生のライオンの如くに荒れ狂い、彼らを食い散らかすだろう存在であったのだろう。

しかしその黒人の1人 ネルソン・マンデラは大学に行き学位があり法律家である。
食い散らかすライオンなどではなかったし、無闇なテトリストでもない。
だからといってガンジーのような無武力主義者でもない。

人には 人の器 のようなものがある。

部族の首長の息子として生まれたマンデラは、人を導くべき人間として取るべき行動の指針を持っていた。

彼のその器に魅せられた看守である主人公の彼は、
もちろん世界の中においてのマンデラの評価も聞き及んでいただろうが、実際に自分が彼と対峙している事、そして自分こそが獄中内で唯一 彼を理解している人間である事に誇りのような物を感じていたのではないか。

その気持ちはもちろん彼が釈放された時に頂点となっただろう。

看守である彼の妻は 当然のように 日々の暮らし〜部屋の間取りとか庭の存在とか給料など〜こそが重要で、そこにはなんの間違いもない。私だってそうなる。

そういう美しい妻と子どもたちを彼は心から愛し、そしてマンデラという男にも傾倒して行く。

それは この国 この時代には 相反する事象だった。

黒人たちに対する白人たちの態度は
例え相手が 人間でなく鬼畜であったとしても見る者の目を逸らしたくなる程の下劣さである。

それらは、奴隷船に乗せられアメリカ大陸に売られていった黒人たちの姿とも重なる。

解放を訴え続け、国に民族による差別撤廃を訴え続けた男の
長きに渡る刑務所暮らしを見守って来た男の手記。

それはもう素晴らしい価値のあるものに間違いない。
そして手記をしたためたのち そう長くない年月で彼は癌で亡くなっている。
彼は当初 自分が意図せずともスパイのような行為をしてしまっていた事。
それは 自分にとって心の基盤であった黒人少年との友情である言語がもたらしたものであったこと。

長らくその罪の意識に苦しみ、我が息子を亡くしたのはその天罰であると悔いる。

この手記は これらの感情が全て絡み合った事から成されたものである。
誇りであり そして懺悔である。

そういう時代背景を知り 1人の「名もなき」看守の人生を味わう映画だった。

今の南アフリカという国家は
最近で言えばラグビーの対戦相手であり、数年前にはサッカーのワールドカップが行われた。
最大都市あるヨハネスブルクの治安は 治安と呼ぶには相応しくないくらいの荒れ様であり、4人に1人がエイズを発症そている国である。

当然 白人からの不当な支配があるべきとは思わないが
マンデラは 今 こういう南アの状況をどう思っているのか聞いてみたいような気もする。

そして 感想の最後に。
「24」で 突然命を落として出番のなくなったパーマー大統領がマンデラ役をやっていたのは嬉しかった。
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ネルソン・ロリハラハラ・マンデラ:Nelson Rolihlahla Mandela, 1918年7月18日生まれ。
南アフリカ共和国における黒人解放運動指導者。
アフリカ民族会議(ANC)党員としてアパルトヘイト(人種隔離政策)に反対する運動を始める。
94年には南アフリカ共和国大統領に就任、99年まで任期を務める。
他にネルー賞、ユネスコ平和賞、アフリカ賞、サハロフ賞、ノーベル平和賞、国際検察官協会名誉章など受章。

ネルソン・マンデラが被った27年間に及ぶ投獄生活、そこで出会ったある一人の看守との交流を実話に基づき映画化したもの。
当然マンデラ氏本人も公認である(もう90歳だそうだ)
主人公は、マンデラというよりも、むしろ彼に就いたジェームズ・グレゴリーという看守と言っても良い。
黒人をすべてテロリスト呼ばわりする冷酷な人物グレゴリーが、出世と家族の将来を夢見てロベン島収容所へ赴任するところから物語は始まる。
先ずはグレゴリー家の温かさや幸せ感、島の雰囲気と美しさを十分に魅せつけられる。
出勤、仕事、昼食、休暇とパーティ、島の住人とのふれあい・・・etc.収容所の島という陰湿なイメージとは全く逆な健全さだ。
よくありがちな中流家庭の核家族化がコンパクトに描かれている。
自分も昔、こんな家庭で育った気がするな?とその姿が等身大に思えてならない。
この当り前で普通な幸せというものの中に、大きな誤算が含んでいることをさりげなく描写している。
グレゴリーの妻グロリアが子供たちへ説くシーンに「黒人というのはテロリストなのよ!」というセリフがあった。
美しい白人の妻が、可愛らしく幼い子供たちへ飄々と「テロリスト」などという言葉を使って説明する。
何ともやるせなく信じがたい。
僕ら日本人、特に戦争も紛争も皆無な世代にとっては、あまりにも真実味がなく奇妙なおとぎ話を語られている雰囲気がした。
世界(特に第三世界や欧州)との温度差を認めざるをえないシーンだった。

やがてグレゴリーはマンデラを直々に担当するよう任命され、その寛大で光明なマンデラの心によって次第に感化されていく姿が、自身の過去へと向き合い独白する姿で投影されていく。
実際のネルソン・マンデラがどれほどの容姿なのか?
実のところ顔しか知らないので何とも言えないが、デニス・ヘイスパートが演じる限りでは相当頑丈そうな大男。
彼の演技というより、もともとの図体の大きさがそのまま威厳らしさを見せている。
本当に役得だ。

息子の死を知らされたマンデラ、その悲しみは鉄格子の外を眺め立ちすくむ背中に凝縮していた。
決してうろたえず静かに嘆く・・・その状況により家族を持つグレゴリーにも衝動が走りだす。
肌の色による無意味な差別へ疑問を抱く。

何か事が動くという場合、必ずしも能動的とは限らないようだ。
語らずとも伝わる、ただ感じ取ることで共鳴し合える。
それだけも真実と信用に一歩近づける。
そこには偏屈な教育とか受け売りな理屈などというものは無い。
無形なものが絶えず流れている心の川があり、そこへ一石投げつけられ生じた波紋の行方が見える。
普遍と思われた時の流れが、一気に逆流しだし渦巻くのだ。

時間の流れというものは過去から現在へ、やがて未来に向けて流れていくと思われがちだ。
それは確かに常識である、その通りである、だが実のところは違うのだ。
今の自分を作り上げてきた過去の自分として、とかく人々は意識を集中しがちだ。
良かれ悪しかれ過去があったから今がある・・・・と、今現在の自分に言い聞かせる。
過去によって支配された今が時間軸となり動く仕組み、つまり今こうして過去を思う瞬間こそ、過去も今も同時に流れていく証拠だ。
同じ原理で言うならば、未来も今と同時に流れてゆくはず。
要は、過去も未来も今も、実は同じ点の上に位置していて僕等は便宜上それらを横一線に並べたに過ぎないのかも?
それをあえて時間として順序だてたに過ぎないのかもしれない。
時は流れてなどなく、自分の心模様だけが流されている。
周りと一緒に並んで、ただ流されているだけだ。

ならば、この一瞬である今(すぐさま消滅し過去へと、あるいは未来へと変貌する)こそが、すべてではないだろうか?
今をどう考えて行動し生きるかが、未来も過去も決定付けるものと言える。

時間とは、「今」の積み重ねに過ぎない。
その「今」と称される一つ一つに、過去と未来が「同居」しているのだ。

おそらくマンデラは鉄格子の向こう側から佇み、常に今を見据えた数少ない人。
27年間の投獄生活は一瞬の積み重ねであり、静かに待ったのだと思う。
グレゴリーは、マンデラの待つ姿勢に感銘を受け、自らも待つ決意を固めた人なのだろう。
結局、グレゴリー本人も27年を同じような面持で、待ち続けた。
流れを逆流させ、マンデラとともに並んで。
Etteiretacxd
Etteiretacxd
黒人の人種差別にあまり関係のない日本!人種差別に少しピンとこず、しかもアパルトヘイトの歴史をよく知らない私。この映画を観て、かつて悲惨だったユダヤ人の大量虐殺を思い浮かべてしまった。
「どうして白人は身分証明書がなくても平気なのに、黒人は身分証明書がないと家族と引き離されて、刑務所に連れて行かれちゃうの?そんなの不公平だよ!」とまだ小さいグレゴリー看守の息子が泣いて訴えるシーン。これが、この映画の一番言いたいメッセージかなぁ~
いつの時代においても弱肉強食で、弱い人間が強い人間の犠牲になる・・・人間の最も汚い強欲を垣間見た気がしてならない。
25年間もの長い年月を刑務所で過ごしたマンデラ。黒人の人権を認めるまでは、なんとしても取引に応じなかった彼はやっぱり偉大ですね^^
誰かが身体を張って人生を犠牲にしなければ、歴史は塗り替えられない・・・そう思うと切なくて悲しい気持ちになります。
それにしてもダイアン・クルーガー相変わらず綺麗だったな^^美しい女性は、頭いっぱいにカーラーを巻きつけていても綺麗なのねぇ~
・・・とまぁ♪要らぬ感心までしてしまい、独り苦笑い^^
彼女はブルー系のファッションばっかを身に着けていたけど、それは実在の奥様の嗜好のせいか???そこんとこ、ちょっと不思議でした(笑)

7月8日イオン高崎にて観賞