ミーン・マシーン
プロット
アメリカ
10月05日 2002 劇場で
ミーン・ガールズ
プロット
アメリカ
03月05日 2005 劇場で
ストリート・ソルジャー
プロット
アメリカ
05月11日 1991 劇場で
ストリート・オブ・ファイヤー
プロット
アメリカ
07月21日 2018 劇場で
ストリート・オブ・クロコダイル
プロット
イギリス
01月06日 1989 劇場で
ストリート・オブ・ヒーロー
プロット
アメリカ
08月11日 1990 劇場で
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ミーン・ストリートコメント(4)
魅力的に映る事がある。リトル・イタリーにおける裏社会の模様を描く
この映画は決してジョニーボーイ以外の人間も褒められた人間ではない。
それでも守るべきルールや彼らなりの流儀があって、それを悉く破る
「異端」たるジョニーボーイが全ての事件の火種である。
こういう人間はどこにでもいる。邪悪かというとそうではない。
そうであれば、仲間に恵まれない。しかし、存在そのものが時に有害となり
周りを傷つけるのだ。かといって大人しく皆分別を弁えて生きるのが正しい
のだろうか。それは果たして人生を生きているのだろうか。ふとそういう事を考えてしまう。
本作はニューヨークのイーストサイドにあるイタリア人街リトルイタリーを舞台にしてイタリア系の3人組の青春群像を描く
ミーンストリートとはヤバい街の意味
主人公の叔父はマフィアの顔役
つるむ仲間もろくでもないばかりだ
公開は1973年の10月3日だから、撮影はその9月だろうか、それとも前年の9月だったのだろうか
毎年9月半ばに10日程続くリトルイタリーのお祭り、サンジェナーロ祭の最中のその3人組の日々を描く
フェリーニの青春群像はラストで大人になっていく姿を描いて見せたように、本作ではスコセッシ監督が彼らの青春の終わりをラストでみせる
それはミーンストリートの名前のとおりの無惨な結末だが
若いデ・ニーロはどうしようもない最低のクズを好演している
見終わった感触は、なるほどスコセッシ監督がこの3年後、タクシードライバーを撮ると予告しているのだと思えるものだ
そんな奇妙な世界の一つリトル・イタリーに育ったマーティン・スコセッシが自身のルーツをたどった"私映画"である。
極端ではあるが、言ってしまえばこの作品は監督が育った時代のリトル・イタリーの縮図である。
ナンパしたり、道端にたむろったり、屋上から射撃をしたり、エピソードの多くは自身の経験であると彼は語っていた。
そして、同時に破滅的に毎日を生き延びる青年達の青春を切り取った時代を反映したニューシネマであり、何があっても絶えることの無い友情を描いた作品でもある。
まさに"今を生きる"男ジョニー・ボーイを演じたデ・ニーロの演技も素晴らしかった。
大作主義のブロックバスターの時代が続き、作品の舞台やストーリーがパターン化され型が決まってしまっている今日、このような自身を表現する個人的私映画は改めて映画からにじみ出る"人間臭さ"を感じさせてくれる。