ペイチェック 消された記憶
プロット
アメリカ
03月13日 2004 劇場で
ザ・クリーナー 消された殺人
プロット
アメリカ
02月07日 2009 劇場で
ビルマVJ 消された革命
プロット
デンマーク
05月15日 2010 劇場で
MI5:消された機密ファイル
プロット
イギリス
01月01日 1900 劇場で
バクラウ 地図から消された村
プロット
ブラジル・フランス合作
11月28日 2020 劇場で
ウィッチマウンテン 地図から消された山
プロット
アメリカ
07月04日 2009 劇場で
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007/消されたライセンスコメント(13)
観るのが苦痛の007シリーズは初めてのことだ
役者や監督はじめスタッフは皆良い仕事をしているにも係わらずだ
大半は製作側の責任にある
ひとつはテーマの選定
前作リビングデイライツでのダルトンの新しいボンド像の出来映えの良さに製作側が惑わされた
これならもっとシリアスに原作に寄り近い生々しいボンド像を作れると
しかしそれは観客が待ち望んでいるボンド像なのか?
もうひとつは予算の制約による製作方針の目線低下
インフレしていくなかでムーンレイカーを超えるような予算の獲得は困難なのは理解できる
その解決の為に現代のIT業界でいうところのオフショアを使った
人件費など物価の安いところで製作するという意味だ
そこはメキシコに決まり、その地に合う脚本は何かという風に映画の内容が決められたのだ
だから麻薬王とボンドの戦いのお話になっただけだ
麻薬戦争は確かに時代性がある
しかしそれはボンドが戦う相手なのか
観客が観たいボンドの敵なのか
ここにはお客さんが観たい007は何かという態度がスッポリと抜け落ちてしまっている
その結果は観客が観たいボンドではないボンド
そしてボンドが相手するに相応しくない敵と、彼らしくない戦い方で暴れまわる映画になったのだ
余裕ある態度、ユーモアを忘れないプロット
スカッとするカタルシス
何もない
あるのは現場の工夫とわかるシーンだけだ
この制約のなかで撮影し映画を完成させた現場は最大限努力しており、質の高い良いものを撮った
どのシーンもクオリティは高い
シリーズの他の作品に劣るところはほとんどない
しかしこれでは本当の007映画ではないのだ
単なる良くできたアクション映画だ
故に興行成績もシリーズ最低となり、ブロッコリを筆頭とする製作陣は責任を結果としてとる事になってしまった
007シリーズは本作以降6年も間を開けることになったのだ
1995年に再開される007シリーズでは、ブロッコリは引退し妻のバーバラの名前があるのみだ
次回作はこの大失敗を踏まえて007シリーズのリブートに取りかかることになる
そこにはもはやジョン・グレン監督、主演のダルトンの名前も無くなって更地からの再出発になってしまうのだ
音楽もジョンバリーが前作で降板したため
クオリティの低下は著しい
ただ主題歌のグラダィス・ナイト、エンドテーマのパティ・ラベル共に楽曲も歌唱も素晴らしい
ただなぜ1989年にソウル歌手を器用したのか?
10年前ならまだ意図が分かる
何故なのか全く理解できない
舞台がメキシコなのでヒスパニック、
その連想でマイノリティに目を向けた起用意図だけのように穿ってしまう
音楽もまた製作側の慢心が感じられるのだ
過去007から考えると、007らしくない作品。
ボンドの人間味がおもいっきり出ている。
ストーリーはとてもバランス良く、アクションも良い。
何より一番ボンドらしいと評価されたティモシー・ダルトンが
とてもマッチしてて、個人的には好きな作品。
これがティモシー・ダルトン最終作なのが寂しい所。
撮影中のまか不思議なトラブルも続出した本作品。
そんな中でもしっかり完成された映画としては良作だと思います。
過去、007らしくないと評価された本作品ですが、
ダニエル・クレイグのボンドとなった今なら
余計にありと思える作品ではないかと思う。
悪役の若造にベニチオ・デル・トロがデビュー、ボンドガールは健康的なお色気の二人、キャリー・ローウェルとタリサ・ソト。
音楽はマイケル・ケイメン、主題歌はグラディス・ナイト。
CIAのフェリックス・ライターが鮫に足を食われたり、その他残酷描写が多め。