スタフ王の野蛮な狩り

7.5/10
合計26件のレビュー
ジャンル   プロット
ランタイム   00分
言語   まだ情報はありません
地区   ソ連
劇場で   05月29日 1983
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スタフ王の野蛮な狩り プロット

ベロルシアの北西地方を舞台に、同地の農民王スタフにまつわる伝承をモチーフにしたサスペンス作品。監督は77年全ソ映画祭児童部門で大賞を得た「ソネットの花冠」(日本未公開)のワレーリー・ルビンチク。脚本はルビンチクとウラジミール・コロトケヴィチが執筆した。撮影はタチアーナ・ロギーノワ、音楽はエヴゲニー・グレボフが担当。出演はボリス・プロートニコフ、エレン・ディミートロワ、アルベルト・フィローゾフなど。第4回モントリオール映画祭審査員賞、第1回ミスト・フェスト第一賞を受賞している。英語題は“The Savage Hunt of King Stakh”

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スタフ王の野蛮な狩りコメント(1)

noxurh
noxurh
この映画を最初に観たのは、もしかすると20年以上も前のことになるかもしれない。
当時、千石にあった三百人劇場で、まったく何の予備知識なく観たのだが、それは鮮烈な体験だった。あの頃はまさかソ連映画にミステリ映画があるとも思わず、『妖婆・死棺の呪い/魔女伝説ヴィー』(67)のようなある種のゴシック・ホラーかと思って観始めたので、やがて訪れるよもやの展開に大きな衝撃を受けたのをよく覚えている。

映画は、19世紀末のベラルーシが舞台。
嵐の夜、ひとりの青年が、雨風を避けて古色蒼然たるお屋敷を訪ねるところから始まる。
彼はペテルブルグの大学生で、民俗学の研究者として伝承の蒐集に訪れていたのだ。
屋敷の若き女主人は、先祖が嵌め手で殺したというスタフ王の呪いを信じ、王と眷属の亡霊の到来に怯えながら、息をひそめて暮らしていた。一緒に暮らすのは、怪しげな執事と召使いの老婆だけだ。しばらく投宿することになった青年は、女主人が成人を迎えた誕生会で、豪放磊落な後見人や、なぜか敵愾心を隠さない若い貴族と知り合う。ところが、執事が何者かによって殺され……。

ロジャー・コーマンのポー・シリーズのような幕開け。
陰惨な伝承と、怪しげな因習と、呪いの恐怖で満ち満ちた旧家。
過去の怨念にがんじがらめになった腺病質な美しき女主人。
やがて引き起こされる連続殺人事件。

そう、これはロシアで展開される、もうひとつの「横溝正史」ワールドなのだ。

夜中に鳴り響く侏儒の足音。
女主人に老婆が施す羽毛まみれの民間呪術(サーヴィスカット!)。
精巧なゴシック調のドールハウス。悪しき業を背負った歴代当主の奇怪な肖像画。
首チョンパされると小鳥や蛇が這い出てくる、エグいからくり人形を用いた「スタフ王人形劇」(シュヴァンクマイエルみたい)。
そして、霧のなか現れる幽霊騎士団の幻想的な情景!
彼らは実在するのか、フォルクロアと妄想の産物なのか。
舞台立てと小道具は、とにかく最高だ。
近景の物や人越しに相手を捉える執拗なカメラワーク(常に顔の一部にぼやけた何かがかかっている)も、観るものの不安をそそってやまない。

因習にまみれた地方のクローズド・サークルに、都会からの闖入者が訪れることで、「何かが動き出した」結果、陰惨な悲劇が引き起こされる……。
本作は、物語の枠組みにおいて、まさに「横溝正史」的である。
と同時に、「幻想的な謎の呈示とその解決」という、島田荘司提唱の懐かしい「本格ミステリ理論」とも、驚くほどの合致ぶりを示す。
別段すごい犯人当てとかトリックが出てくるわけではないにせよ、これほどまでに「日本の本格ミステリ好き」の心を奮い立たせるミステリ映画も、そうそうないだろう。

この映画には、転回点がある。
それは「深夜に徘徊する侏儒が実在する」とわかった瞬間だ。
謎が、謎でなくなった瞬間、恐怖は、恐怖でなくなる。
理性の光が、迷妄の闇を打ち払うのだ。
真実の暴露が連鎖するなかで、呪いの澱みに沈んでいた世界は、日常性と輝きを取り戻す。
狂気の縁にいた女主人には、笑みが戻る。
雪に閉ざされた沈鬱な白ロシアの大地は、自然の叙情を醸し出す。
この映画的瞬間。なんとすばらしいのだろう。

「闇を払う理性の光」。これこそはポーやドイルが19世紀末のゴチック小説に持ち込むことで「本格ミステリ」を創始した、「科学的精神」の中核だ。
だからこそ、本作はまごうことなき「ミステリ映画」なのだ。

では、なぜこの作品は、ゴチック・ホラーではなく、「ミステリでなければならなかったのか」。
それは、本作がマルクス・レーニン主義の「プロパガンダ映画」でもあるからだ。
本格ミステリを支える「理性主義」が、ここでは、歴史的迷妄をうち破るソヴィエトの共産主義とほぼ同一視される。だからこその、あの幽霊騎士団の扱いというわけだ。
要するに、19世紀的な因習や呪いや貴族主義や地方の血族主義を「理性の光」をもってうち破り、新たな民衆の蜂起をうながすという啓蒙的な意図を、本作は「裏テーマ」として持っているのだ(あるいは、裏テーマとして持っているように「見せかける」ことで、官憲・検閲者に向けての「ミステリ映画を撮る」口実にした)。
ラスト近く、次代をになう子供たちの顔がクローズアップされ、登場人物の口から「新世紀の到来(1900年の元旦)」を祝福する言葉がことほがれるのは、まさにそういったコンテクスト故である。

いかにもソヴィエトらしい事情といえばそれまでだが、考えてみると、横溝正史の「本格ミステリ」だって、意外と似たようなものなのかもしれない。
敗戦を機に、堰を切ったように書き出された一連の「横溝本格」作品は、まさに「迷妄の時代」を超克し、新たなる「理性の時代」を祝福する「凱歌」のようなものだったからだ。
古いしがらみに囚われた旧家で起こる陰惨な連続殺人を、「アメリカ帰りの名探偵」が解決する。
それは、旧い日本をいったん解体し、新たな日本を欧米の力を借りて組み立てようとする時代の要請ともシンクロしていた。一方で、喪われゆく日本の風土と因習、農村風景への郷愁と愛慕もまた、横溝ミステリの魅力の根幹でもある。
われわれは、お屋敷ミステリの舞台立てを愛し、陰惨な因縁話を愛し、デコラティヴな殺人を愛する。一方で、その蒙昧を理性の光をもって打ち破り、平明な日常へと回帰させる名探偵の存在を愛する。
その二律背反的な愛着をもって、横溝作品を愛する諸氏ならば、きっと『スタフ王の野蛮な狩り』もお眼鏡にかなうはずだ。
なぜか国内ではパッケージ化されず(くそ高い英語字幕の海外盤DVDは、店頭で観たことがある)、今回の上映も35mmフィルムでのものだったが、ロシア関係の特集上映では比較的頻繁に小屋にかかる映画なので、機会があれば(フィルムが劣化して上映できなくなる前に)ぜひご覧になってほしい。