マリー・アントワネットの首飾り
プロット
アメリカ
02月16日 2002 劇場で
マリー・ミー
プロット
アメリカ
04月22日 2022 劇場で
ローズ・マリー(1954)
プロット
アメリカ
09月01日 1954 劇場で
マリーの獲物
プロット
日本
01月27日 1996 劇場で
永遠のマリー
プロット
イタリア
01月15日 1993 劇場で
裸足のマリー
プロット
ベルギー・フランス・ポルトガル合作
12月17日 1994 劇場で
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マリー・アントワネットコメント(20)
全く新しいマリー・アントワネット!
ペールトーンのかわいいファッションや
ポップな音楽など、
今までにない斬新な描き方で、
見るものを引きつける!
マリー・アントワネットは、
14歳でオーストリアから
フランスのルイ16世へ嫁ぐ。
毎日美しく着飾り、朝まで舞踏会を行い、
ギャンブルをして散財する。
それは、孤独を紛らわせるためであった…
次第に悪化していく財政と、
膨れ上がる国民の不満…
フランス革命へと繋がっていく。
全体的に、華やかな時代の描写が印象的で、
ダークな史実は、深く描かれていない。
しかし、ラストのベルサイユ宮殿を後にする
マリー・アントワネットの描写は秀悦!
華やかな過去を懐かしみつつ、
未来への不安をかかえる彼女の気持ちが
良く伝わってくる!
マリー・アントワネットの存在はフランス革命が起こった一因でありますが、ソフィア・コッポラはこの時代設定やベルサイユ宮殿を舞台とした絢爛豪華な貴族社会にロック・ポップスを用いるという斬新さで臨みました。これこそまさに映画革命とでも言うべき手法だったとも言えるのでしょう。しかも、スイーツ好きの女性たちからも圧倒的な支持を得られると予測して、衣装の豪華さと涎腺を刺激する美味しい映像を盛り込んで攻めてきます。
デュ・バリーもそうですが、ポリニャック公爵夫人の描写も弱いし、悪名高き首飾り事件も描かれてません。物語は、周りから世継ぎを急かされたアントワネットがその鬱憤を晴らすかのようにオペラ通いや賭博や夜遊びに興ずる様子が中心となります。世界史で最も贅沢で浪費家という彼女の姿だってそんなに感じられない、ただ普通の女の子が女王になっちゃったというディズニーのラブコメのような雰囲気なのです。ひょっとすると、最大の無駄遣い・浪費家はソフィア・コッポラ監督自身だったんじゃないかと思われるほど(映画製作費がどれだけなのかは知りません)。
そうなってくると、ルイ15世はフランシス・フォード・コッポラを表していて、崩壊していくフランス・ブルボン王朝はコッポラファミリーそのものであり、ルイ16世にジェイソン・シュワルツマンを起用したのもその意図があったのかもしれない。こうなってくると、ニコラス・ケイジにも出演してもらいたくもなるし、スウェーデンのフェルゼン伯爵にはクエンティン・タランティーノを起用してもらいたかったところだ(無理か・・・)。平民の姿は最後のシーンまで全く出てこないほど王室視点を貫いていましたけど、さすがに最後には登場する。この民衆は映画の観客そのものであり、キルステン・ダンストの生まれながらにして女王であるような会釈によって評価を委ねられるのです。
終わってみると、何を言いたい映画なのかさっぱりわからなかった。ポップな感覚の女王。無邪気な女王。外の世界など全くしらない純粋すぎる女王。バスティーユ牢獄がなぜ襲撃されたのかもわからない女王。単に新しい視点を強調したかっただけなのか。浪費家ぶりが靴やケーキやオペラだけだと弱すぎるし、他国の独立戦争に援助することの愚かしさを訴えたかったわけでもあるまい。それに、ソフィア・コッポラが日本に留学したこともあるのなら、「ベルサイユのバラ」が人気コミックであることくらい知っていてもよさそうなのに・・・残念だった。ロザリーだけでも・・・
【2007年1月映画館にて】
マリーの人となりついては深堀せず、表面的なのは残念。
悪人ではなかった王妃をギロチンにかけたという事は、それほど嫌われていたという事か。
ベルサイユ宮殿は見事!
一女性として妻として母として恋するマリーアントワネットが観れる