パーフェクト・ストレンジャー
プロット
アメリカ
09月29日 2007 劇場で
レス・ザン・ゼロ
プロット
アメリカ
04月15日 1989 劇場で
モーターヘッド ラウダー・ザン・ノイズ
プロット
ドイツ
12月24日 2021 劇場で
パラダイス・ナウ
プロット
フランス・ドイツ・オランダ・パレスチナ合作
03月10日 2007 劇場で
パラダイス・アーミー
プロット
アメリカ
01月23日 1982 劇場で
ハワイアン・パラダイス
プロット
アメリカ
04月23日 1966 劇場で
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ストレンジャー・ザン・パラダイスコメント(18)
人のちょっとした変化や揺れがじっくり見らる
ストーリーはハンガリー出身でNY住みのウィリーのところへブタペストから従妹のエヴァが来る。二人は仲が悪く… というもの。
上記の2作品はそこまで自分の好みの作品ではなかった。だが、本作は完璧に自分のツボだった。ジム・ジャームッシュ監督特有のシュールな笑いが抜群に最高で且つ、モノクロで長いワンショットのカメラワークが絵画を見ているかのように錯覚させる。
たわいもない会話なのに見ていて眠くならないのは何故なのだろうか… この日常のような非日常を見ている感じが心地よいのだと思う。 各キャラが言葉に出さないだけで内に秘めているものがある感じもミステリアスでなかなか興味深い。
ハンガリー出身であることを恥じているウィリーは意図してブタペストに帰ったのか、エヴァはなぜ結局モーテルに戻ってきてしまったのか、意外と考えれば考える程深い作品。
他のジム・ジャームッシュ監督の作品が好きな人にはたまらない作品なのでは。私は鑑賞後、新たな映画の世界を垣間見れた気がして高揚感に浸っていた。
何かを目指している訳ではなく、ルールもない日常。そういった生き方を否定することはなく、むしろ憧れでもある。そういった生き方は選ばない多くの現代人の心に植えつけられる。
2.主要登場人物は3人のみ
・ウィリー(ジョン・ルーリー) 常に不愛想。
・エディ(リチャード・エドソン) ウィリーの相棒 人が好い。
・エヴァ(エスター・バリント) ウィリーのブダペストから来た従妹。不愛想。ウイリーからプレゼントされたドレスを受け取りながら、とっとと捨ててしまったり、可愛らしいのだが、”相当変な”女性。
常に、”スクリーミング・J・ホーキンス”の”アイ・プット・スペル・オン・ユー”をカセットデッキで大音量で聞いている・・。
-今では、”ストレンジャー・ザン・パラダイス”と言えば、あの濁声が響いてくる程、強烈な印象を与えられた。-
3.物語構成
1)ニューヨーク ”The New World"
ウィリーとエヴァが初めて会う。二人の噛み合わない会話が妙に面白い。”TVディナー:当時、そんなものがあるの?と思ったなあ・・”
2)クリーブランド ”One Year Later"
ウィリーとエディがエヴァに会いに行く。ニューヨークでは噛み合わなかった3人だが、エヴァは嬉しそうである。
映画館に行ったり、相変わらずダラダラ感は続く・・が、妙に面白い。
このシーンで、エヴァの叔母さん登場・・(良く喋る・・)
3)フロリダ ”Paradise"
雪深いクリーブランドに飽きたウィリーとエディはエヴァを連れてフロリダに車で出かける。
が、観ていてもリゾート感が全くないし、3人は安モーテルに泊まる。しかも、エヴァがいないことにして、2人分の料金で・・。
・誰がベッドで寝るかちょっと揉めたり
・ウィリーとエディはドッグレースに出掛け(エヴァを置いていってしまう・・)、大負けして、ウィリーとエヴァは口喧嘩。むしゃくしゃしたエヴァは海岸をブラブラしていると、”麻薬の売人に間違われ、”大金を受け取る。
ウィリーとエディが部屋に戻るとエヴァの空港に行くという書置きと大金が置いてある。慌てて空港に向かい、飛行機に乗り込むウィリー。そして飛行機は離陸していく。けれど、エヴァは何故か又モーテルに戻って来る・・
<今作の、”何が面白いのか”と問われると、なかなか難しいのであるが、全編に漂うダラダラ感と妙な会話の数々の面白さであろうか?
鑑賞当時は、ジム・ジャームッシュを観るのは”お洒落”みたいな感があったが、時折NHKで再放送される時は常に見てしまう・・。
きっと、学生時代のダラダラ感と、今作のダラダラ感と可笑しみが妙にマッチングしたんだろうと思う。>
面白くないと思う人にとっては”眠くなる映画”。
しかし、ハマってしまうとやばいくらいに面白くなる。
描き出されている日常は、緊張感もなく特別な意味もない。
ただ、そこに描き出される情景が好きなだけかもしれない。
一日中、特に見るわけでもないのに流していたい映画である。