道(1954)

7.1/10
合計15件のレビュー
ジャンル   プロット
ランタイム   108分
言語   まだ情報はありません
地区   イタリア
劇場で   08月03日 2020
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道(1954) プロット

イタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニの代表作のひとつで、旅回りの芸人たちの悲哀を描き、第29回アカデミー賞で外国語映画賞を受賞した古典的名作。貧しい家庭に生まれ育った知的障害の女性ジェルソミーナは力自慢の大道芸人ザンパノに買われ、彼の助手として旅回りに出る。粗暴で女好きなザンパノに嫌気が差したジェルソミーナは彼のもとから逃げ出すが、捕まって連れ戻されてしまう。そんなある日、2人はサーカス団と合流することになり、ジェルソミーナは綱渡りの陽気な青年と親しくなる。青年の言葉に励まされ、ザンパノのもとで生きていくことを決意するジェルソミーナだったが……。

「アラビアのロレンス」のアンソニー・クインがザンパノ、フェリーニ監督の公私にわたるパートナーであるジュリエッタ・マシーナがジェルソミーナを演じた。1954年製作で日本では57年に劇場初公開。2020年、フェリーニ生誕100年を記念した「生誕100年フェデリコ・フェリーニ映画祭」(2020年7月31日~8月20日=東京・YEBISU GARDEN CINEMAほか)でも上映。

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道(1954)コメント(20)

lcqksx
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西條八十作詞、古賀政男作曲の「サーカスの唄」という歌がある。1933年の発表だから本作品を遡ること21年である。
(一番)
旅のつばくろ淋しかないか
俺も淋しいサーカス暮らし
とんぼがえりで今年の暮れて
知らぬ他国の花を見た
(四番)
朝は朝霧夕べは夜霧
泣いちゃいけないクラリオネット
流れ流れる浮藻の花は
今日も咲きましょあの町で
西條八十(さいじょうやそ)は「東京行進曲」などで知られる、センチメンタルな詩人である。市井の人々の物悲しい人生をときに明るくときに暗く謡いあげる。本作品にも西條の詞のセンチメンタリズムと通じるところがある。

冒頭のシーンから心を敲たれた。娘を大道芸人のザンパノに売った母親が得た当の娘に金を見せて、これでしばらく暮らせるしあんたがいなくなれば口減らしにもなると嬉しそうに話すが、いざ娘が行ってしまう段になると行かないでおくれと縋りつこうとする。この母親が身勝手なのではない。貧乏すぎて心が壊れているのだ。
売られたジェルソミーナはドストエフスキーの「白痴」のムイシュキン公爵よろしく、従順で欲がない。おまけに少食で、贅沢よりも歌ったり踊ったりが好きな女だ。昔は欲のない人間は馬鹿だと思われていたようだ。日本でも「欲がないのは駄目なことだ」という教育が罷り通っていた。いまだにそうやって教えている教師もいる。欲は文明を発達させ、生活の向上に寄与した、欲がない人間は努力しない人間になり、文明と人類の発展から取り残されるのだと。しかしそこには文明が発展することが本当にいいことなのかという反省はない。
ザンパノは欲の塊である。しかし他人に指図されるのを嫌うから独立した大道芸人で生きている。行きたいところに行き、やりたいことをやって生きる。ジェルソミーナを買ったのは盛り上げ役のピエロがいたほうが稼げるからだ。ザンパノの頭には今日と明日のことはあるが、それ以降のことはない。将来がどうなるかなんて考えても意味がない。
ジェルソミーナはザンパノと対照的に善意の塊で、欲があるとすれば承認欲求だけである。残忍で粗暴なザンパノにさえも認めてもらいたいと願う。それはストックホルム症候群かもしれないが、ストックホルムの銀行強盗事件が起きたのはこの映画よりも19年も後のことだ。人が喜ぶことをしたいジェルソミーナは、同じ意味で人が嫌がることをしたくない。本質的にはザンパノのことが嫌いだ。
人は時間と空間を移動し、出会い、別れる。ささやかな喜びがあり、少しの寂寥がある。人間は愚かだ。人生はつらい。本作品の結末は物悲しいが、世界中の至る所で同じような人々が同じような結末を迎えているだろう。
死にたかったジェルソミーナは死にたいと思わなくなった。それでも何のために生まれてきたのかという疑問は残る。人類すべてに共通する疑問である。他人の死を悲しむことは自分の死を悲しむことだ。死にたい人も死にたくない人も、いずれ死ぬ。自分の死を肯定するためには他人の死を肯定するしかない。
本作品には生も死も善も悪も、すべてひっくるめて肯定するような力強さがある。ときに人混みと熱気に高揚し、ときに寒さと寂しさに顫える。人はそうやって人生をやり過ごすのだ。意味を求めてはいけない。道があれば歩くだけなのだ。文句なしの名作である。
wbwkrkg
wbwkrkg
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・冒頭でザンパノがローザが死んだから1万リラで長女を買っていく?所から、凄かった。
・旅芸人が鎖を胸の筋肉で切るのとあとはお笑い劇のみとほぼ一本で食っているのが凄かった。
・物がない時代の感じが凄くて未亡人から亡き夫の服をもらえないかと申し出るザンパノのシーンがそういうものかと思った。
・暴力的なザンパノが綱渡りの青年を殺してしまってから更におかしくなったため、ジェルソミーナを置いて行ったあとに、ジェルソミーナのラッパの音楽をくちずさむ女がジェルソミーナは数年前に死んだと聞いてラスト、ザンパノが浜辺で嘆くシーンが印象に残った。どんな人間でも後悔は先に立たないな、と。
nhonji
nhonji
いや、良い映画で少女の純粋さとか切なさとか今見たらまた違うかもしれないけど、男性の理想なん?と思うと都合良すぎじゃないの?とジレンマ。
ま、若かったからか。
今見てみたい
ibbaeg
ibbaeg
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二人の主人公が表題の俳優にそっくりで、かなり驚いたのがファーストインプレッションである。
監督フェデリコ・フェリーニは名前だけは以前から存じ上げてはいたが、やはり今作品が映画館に掛かるということならば観ねばならないと、本当ならば“瘭疽”の治療に行かねばならぬところをこちらに選択したのだがはっきりと正解だったと思い込める、流石世界の名作であった。
特にヒロイン役の女優の演技の秀逸さは群を抜くレベルである。とぼけた仕草があれほど愛らしく、しかしどこか悲しげでニヒリスティックな佇まいに心を奪われてしまう。ロードムービーでもある今作は、その行く先々での二人の関係性に変化を持たせながら、それが不幸への切符である印象を端から印象付けているので、ストーリーが進む程に、より悲しくメランコリックさを強調させながら、それでもヒロインの健気さや生きる必死さを、観客に訴えかけるように頑張る姿勢に心を激しく打たれ続けるのである。そしてそれとは逆に男の卑屈さや粗野、そして狡賢さはこれまた類い希なる極悪さを強調させ、だからこそラストのカタルシスへと誘う演出に、唯々見惚れてしまうばかりだ。哀愁や悲哀を全て羽織って、それでもヒロインのあのトンチキな仕草に救われることでの心の持ち様は、さすが名監督の掌で転がされているが如く、心を弄ばれてしまう。やはり名作はいつの時代も人間の心を掴んで離さないものだと、改めて敬服するのみである。
yjjkeyu
yjjkeyu
生まれてきた意味を探し、
生きることに疲れ果て、、、

孤独を避けれど、影と同じく付き従う。

出会いと別れ、孤独と死。

決して色あせることのない、永遠の名作!