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パレスチナのピアニスト プロット イスラエル 07月02日 2022 劇場で
戦場のピアニスト プロット フランス・ドイツ・ポーランド・イギリス合作 08月28日 2015 劇場で
ピアニストを撃て プロット フランス 07月23日 1963 劇場で
真夜中のピアニスト プロット フランス 10月05日 2005 劇場で
海の上のピアニスト プロット イタリア・アメリカ合作 08月21日 2020 劇場で
4分間のピアニスト プロット ドイツ 11月10日 2007 劇場で
ピアニストコメント(15)
主人公のおばさんが高齢処女のなれの果てで、持て余した性欲でどんどんおかしくなっていく話なのかと思ったら、処女ではなかったようであった。
主人公は他者に対する配慮のなさは未熟な童貞と同じで、自分のことしか考えられないクソで、しかも老婆である母親と共依存のような関係にある。そんな内面なのに社会的には芸術家や先生としての地位もあり、アンバランスで、常に発狂寸前のような緊張感のある役どころを本当にそのもののように演じていて素晴らしかった。
しかしそんな人も感情を持った人間として世界に存在していることをきちんと表現している。クライマックスでそんなクソ女がどれほど素晴らしい演奏をするかと思ったらそこは肩透かしだった。その代わりに地味な自殺行為があって、それはそれでびっくりした。
ステレオタイプじゃない、本当のSMってこういうことなんだろうなあと思い、怖かった。変態の狂おしさは見事に表現されていた。
クソ人格の人間の行き着く果てを描いていた。また、世界にクソをぶっかけてやろうという気概に溢れていて、とにかく圧倒的な作品だった。
・緊縛を要求する、物置部屋でフェラしたら嘔吐、母親にキスをする、殴られてセックスするも無表情
・ラストは先生がナイフで自分の胸を刺して会場から出ていってエンド、思わず「えっ!?」って声出た
・監督がこの作品で世に訴える並々ならぬ意欲は伝わってくる
・この見ていて逃げだしたくなる感覚はハネケならでは
主演女優がすばらしい。40歳手前の女性と年若い男性の性愛を描く。主人公の女性は厳格な母親にもとに育ちいまだに母親と二人暮らし。抑圧された性愛がねじ込められた様を描く。最後は自分を傷つけて、去っていった建物の通りを引き構図の長回しで撮影。そのまま無音の黒いエンドロールが入るのはわたし好み。
ビデオ試写のシーンは当分の間忘れないほど印象深かった。
おそらく父親が抜けた跡であろうベッドに並んで横になるユペール。シューベルトの才能がある教え子の話をするが、シューベルトはお前のものだ。誰にも負けちゃいけないよ。と諭される。幼い頃からこう言われてきたのだろう。
シューベルトの晩年 自らの狂気を悟り、最期の一瞬正気にしがみつく。(エンドと同じだ)それこそ完全な狂気に至る直前の、自己喪失を意味する。
[夢を見て はかない この世を渡る
朝になれば消える
それでも
欲にかられ(頑固な中流階級)
手を差し伸べても
つかめるものは…]
[吠え続けろ 番犬どもめ
眠らせずに追い立てろ
私は とうに夢を捨てた
夢見る人に用はない
私は とうに夢を捨てた
夢見る人に用はない]
[昨夜の嵐で雲は千切れ
切れた 一つひとつが
争って 空を翔ける]
ユペールの唇の演技、手指の演技、まばたきの演技、首と目線の演技
リハ 見回すユペール 教え子アンナ緊張腹痛遅刻 アンナを助けるクレメール、安定したアンナの演奏とパートナーの歌 ドアに寄りかかり聞くエリカ 涙目 ホール出て階段降りて、一度座る、グラス割って教え子のコートの右ポケットに入れる
ここの感情がわからない。(嫉妬でも救済でもなく、絶望かもしれない。なんとなくハネケは演技する上での解釈をユペールに委ねた感じがした。あるブログで破壊衝動と書かれた文を読んだ。その方はその破壊衝動がやがて自分に向くのにそう時間はかからないとも言っていてなるほど納得しました。)
ウサギのようなユペール。
[人の行く道を
故なく避けて
隠れたこの道を探し続ける
雪に埋もれた岩間の道を求める
隠れたこの道を探し続ける
雪に埋もれた岩間の道を求める
やましいことなど何もないのに
人を避けてる
人を避けてる
愚かな願いに
身を蝕まれる
身を蝕まれる…]
エリカの愚かな願い、トイレでのテスト。と手紙。支配欲求、従属欲求、、、
自分の母親と教え子アンナの母親を重ね合わせてるのかもしれない。
アンナ母「すべてを犠牲にしてきたのですよ」
エリカ「アンナがでしょ」
アンナ母「誰にも負けませんわ」
そういう意味では結果的にエリカは教え子を、救ったかもしれない。
付けてきたクレメールに手紙を読ませる。初見では手紙を読もうとするクレメールに対するエリカの表情は、何処か勝ち誇っているような気がしたが、二度目は理解を求めて期待しているような気がした。
知的な顔してクソ同然の内容だ。やはり理解されない。からかわれているのだと感じるクレメール。
本当に愛してた。そんな愛もあるんだよ。と言って去るクレメール。
誰にも理解されない孤独。母親に馬乗りに覆い被さり、接吻した。愛してると。母親にすがったが彼女にも狂ってると言われた。
ワルターに直訴、自らの狂気を悟り、最期の一瞬正気にしがみつく。完全な狂気に至る直前の、自己喪失。喪失の後は自己回復があるかもしれないが。自我を捨て、普通にやろうとした。
ワルタークレメールもユペールを理解しようと頑張ったように見えたが、結局は出来なかった。ただ努力はしていたと思う。母親の隔離、母親からの解放。遊び方を教えてよ、先生。ルールはふたりで作るんだろ。少しは協力してよ。人の心を乱しておいて。僕だけにやらせるな。愛してくれ。
秘密にしておこう。君に忠告しておく。男をもてあそぶな。愛に傷ついても死ぬことはない。じゃあ。
ワルターを殺そうとナイフを持参するも、何も無かったかのように普通に接せられ、持ってきたナイフを自らの胸に突き刺した。最期の表情。
服に血を滲ませながらホール玄関を後に。通りからスクリーンアウトしてエンド。
本当に気の毒だ。抑圧された自我がどう出るかが見ものだった。お父さんの存在。屋内の倉庫から屋外のスケート場に開けた瞬間カットが素晴らしかった。どう子育てするか考えさせる。鏡カット、テレビカット。オープニングカット。いつまでも娘を管理下に押さえつけたい母親。病院に入った父親の存在。
挿入シーン TV
手術台、馬