メル・ギブソンが「アポカリプト」以来10年ぶりにメガホンをとり、第2次世界大戦の沖縄戦で75人の命を救った米軍衛生兵デズモンド・ドスの実話を映画化した戦争ドラマ。人を殺してはならないという宗教的信念を持つデズモンドは、軍隊でもその意志を貫こうとして上官や同僚たちから疎まれ、ついには軍法会議にかけられることに。妻や父に助けられ、武器を持たずに戦場へ行くことを許可された彼は、激戦地・沖縄の断崖絶壁(ハクソー・リッジ)での戦闘に衛生兵として参加。敵兵たちの捨て身の攻撃に味方は一時撤退を余儀なくされるが、負傷した仲間たちが取り残されるのを見たデズモンドは、たったひとりで戦場に留まり、敵味方の分け隔てなく治療を施していく。「沈黙
サイレンス」「アメイジング・スパイダーマン」のアンドリュー・ガーフィールドが主演を務め、「アバター」のサム・ワーシントン、「X-ミッション」のルーク・ブレイシーらが共演。第89回アカデミー賞で作品賞、監督賞、主演男優賞など6部門でノミネートされ、編集賞と録音賞の2部門を受賞した。
ハクソー・リッジコメント(20)
途絶えることなく襲ってくる日本兵。
日本人の自分でも、アメリカ側に感情移入させられると、日本兵が怖くてたまらない。
日本兵は命を落とす覚悟で襲ってくるのを理解できないアメリカ兵。
これはよく聞く話だが、この映画でアメリカ側の立場に立って、その理解できない気持ちが初めて分かる。
一方で、1人でも命を落とさせたくないと勤める主人公。
訓練時には、いじめられた仲間や上官も助けた。
全ての人を殺してはならないという信念を持って。
日本人をも助けているシーンは胸に刺さる。
戦場での命の軽さと、当然であるべき命の重さの両方が深く理解できる映画。
砲撃音が炸裂する凄まじさ、吹き飛ばされる兵士達の腕、足、身体・・。その中をデズモンド・ドス(アンドリュー・ガーフィールド)は敵味方関係なく、躊躇いなく救い出す。
”良心的兵役拒否者”として、当初侮蔑の視線を浴びせられていたドスが何度も何度も”ハクソーリッジ”を登り、自軍が撤退した後も戦場に残り且つて自分を侮蔑した上官を含め75名を救出する姿には敬服するしかない。
彼が負傷した兵士達の元に駆け寄り”俺が家に帰してやる”と声掛けし、砲弾が行き交う中、負傷兵を背負いハクソーリッジの崖淵まで何度も何度も往復する姿に次第に感嘆の目を向ける米国兵士達・・・。
序盤のデズモンド・ドスが看護師ドロシー・シュッテ(テリーサ・パーマー)と恋に落ち結婚する姿や、自ら銃に触れない信念を貫く姿(軍法会議で信念を宣言する姿!)を見た後だけに、感動は高まるばかりである。
唯一残念だったのは(仕方がないのは充分承知しているが)、対峙する沖縄の日本兵の描写である。意を汲んだ感は感じられたが、哀しき悪役感が漂っており(無謀な攻撃の数々)もう一歩、日本サイドの背景も描かれていたらより心に残る作品になっていたのではと思う。
<良心的兵役拒否者の、武器を一切持たず傷ついた兵士達を延々と救出する姿に強烈な反戦思想を感じた作品>
<2017年6月24日 劇場にて鑑賞>
ただ、この映画のキモである主人公の主義というか信念にはクエスチョンがついた。自分だけ戒律を破らなければそれでいいのか。自分の主義を他人に押し付けない、だから戦争も否定しない。戦争で負ければ大事な人の命も守れない、だから戦争は否定しない。ただ、自分以外の人に戒律破りを押し付け、自分だけ戒律を守るのはエゴではないのか。このキモの部分に疑問があるとすっきり感動はしずらいのであった。
レビューを書くために主人公の信念について考えていくうち、あこれ=ニッポンだなと思った。9条があるから戦争には参加できないけど、後方支援なら出来ます頑張ります。そう考えると、この映画は議論を深めるのにも、日本の立場を説明するにも役にたちそうだ。
また、本作は主人公の半生についてドラマを重ね、彼が「絶対に武器を手にしない」という信念を貫く根拠をじっくりと醸成していく。そこで絡まり合う父親像の素晴らしさをどう表現すれば良いのだろう。ギブソンは弱い者、傷ついた者にどこか優しい。彼自身、人間の底にある弱さを自覚しているからこそ、再起しようとする者にかくも特別な見せ場を用意せずにいられなかったのかもしれない。
両作品のもう一つの重要な共通点は、どちらの主人公も敬虔なキリスト教者であり、その信仰心が試される受難が描かれていること。メル・ギブソンは監督作「パッション」でキリストが拷問される凄惨な描写で物議を醸したが、本作でも訓練時のいじめや地獄絵図な戦場での命懸けの救助活動が執拗に提示される。キリスト教圏においてあるいは自明なのかもしれないが、受難に耐え克服する熱情こそが信仰の本質である、より端的に言えば「受難は熱情と同義である」ということを、メルギブは諸作を通じて語っているように思える。