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ビル・エヴァンス タイム・リメンバードコメント(20)
モンクやバド・パウエルに夢中になっていた。
美しい人生を送っているのだろうと想像していた。
冬の公園の池に浮かぶ白鳥のようだったんだ。
しかし、悲嘆に暮れるが故に美しさが必要だったのだろう。ヤク中で自己中で映像化されない所では嫌な奴に違いないのだ。銀行マンのような出で立ちにすっかり騙されていたのだ。僕は…。
数多いるジャズ・ピアニストの中でも、どういうわけかビル・エヴァンスが聞き心地がよく一番好きなので当然観に行きましたが。
好きと言っても彼についての知識は全くといっていいほどなかったので、驚きの連続、あの静かなピアノの音色の裏に、それほどの濃いドラマが隠されていたとは。
平穏しか知らない人間にはあのピアノは弾けなかったのかもしれない。
もうちょっと長生きしてほしかったけど天命を全うしたのかもしれない。
マイルスと一緒にやっていたことは知ってましたが、あのわたしの大好きな超名曲の作曲も彼がとは…そりゃ、好きなわけだと納得。
ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督の『雪の轍』『読まれなかった小説』『昔々アナトリアで』の三本を続けて見た後だったので、エヴァンスの音は心にしみこんだ。彼の生涯にはあまり、感心しなかったが、早速彼の曲をもっと聞いてみようと思った。
作曲家のジョージ・ラッセルの録音に参加してから、1956年に最初のアルバム『New Jazz Conceptions』をだした。1958年にはマイルス・デイヴィスのトリオやオールスターなどに参加している。私にとってはこの時期(米国社会は「人種分離法」の時代ー有色人種と白人は同じホテルにも泊まれない(映画グリーンブックを参考に)。そして1964年7月2日に公民権が制定され、ひとまず法の上での人種差別はなしされる )のビルエバンスの心の中や米国での演奏活動に興味がある。しかし、この映画ではあまり触れていない。
マイルスデイビスもジョンコルトレーンもキャノンボール(?)も黒人で、トリオの一人ビルエバンスが白人。米国ツアーに出かけるいるとき(どこをツアーしているかしれない)ビデオでは、黒人の音楽のなかで、なぜ白人の彼がいるという言葉にも『マイルスがエヴァンスを演奏させてたい。』といったらしい。マイルスが認めているということは全ての人も理解しろということだ。
マイルスも彼のことを『白人のピアノ演奏家』といっていたらしいが、マイルスにとってもエバンスのエレガントな音色が必要だったと思う。
黒人は差別されていると考えるようだが、こういう状態では、白人も差別されているので、ビルエバンスは黒人だったら生きやすいのにと思ったのに違いないが??
ビデオではビルエバンスの曲「Blue in Green」をマイルスの曲だとしてしていると。当時は著作権の問題もうるさくなかったろうし、もう古すぎて問題視されないだろう。兄のハリー(は統合失調症で自殺)の娘デビーのために作った曲がエヴァンスでもっとも有名だと聞いた。
。
ジャズの天才はどうして誕生したのかをもっと知りたかった。
彼を側で知っていた人の称賛のコメントばかりでつまらなかった。
彼を知る人物、あるいは彼自身によって語られます。
私がそれまでに知っていたビル・エヴァンスといえば、
『ワルツ・フォー・デビイ』のアルバムのみ。
ライブ録音で、アルバムのタイトルともなっているこの曲は、
客席のざわつきや、食器やグラスの音、
そして何より、ピアノ・ドラム・ベースの響きの美しさに、
どこまでも奥深く聴き入ってしまいます。
彼の代表作とも言えるこのアルバムですが、
それしか知らないような私にとっても、
作中に出てくるようなジャズ演奏者、曲、歴史を知らなくても、
(もちろん、知っていた方がより楽しめるのでしょうが)
彼を語る人物から、彼がいかに偉大で尊敬されていたのかが伝わり、
また、劇中に流れる彼のピアノがなんと美しいものかを、映像を通して聴き感じることができました。
一方で、彼の性格・生活が、波瀾(メンバーとの死別、親愛な兄の自殺、薬物依存など)
を含んだものであったことも知りました。
ただ、それこそが、
彼=(イコール)彼の音楽
たらしめているということをこの映画は教えてくれます。
演奏による自己表現と、その対(あるいは前提)となる自己探求、という、
ジャズに限らず、芸術家として最も目指すべき姿をどこまでも追求し、
また、体現してみせた彼の姿に、感動せずにはいられませんでした。