イタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニの代表作の1つで、ゴシップ紙の記者の目を通し、1950年代後半の退廃したローマ上流社会を絢爛に描いた作品。作家を夢見てローマにやって来た青年マルチェロは、現在はゴシップ紙の記者として享楽的な日々を送っていた。彼はナイトクラブで出会った大富豪の娘と一夜を過ごし、取材したハリウッド女優と狂宴を繰り広げる。そんなある日、友人家族を訪ねたマルチェロは安らぎに満ちた彼らの生活を羨むが、友人は子どもを道連れに無理心中してしまう。絶望感に苛まれたマルチェロは、狂乱の渦へと身を投じていく。主演のマルチェロ・マストロヤンニは本作で一躍世界的スターの座へ駆け上がった。第13回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞。1960年製作・公開。フェリーニ生誕100年を記念した「生誕100年フェデリコ・フェリーニ映画祭」(2020年7月31日~8月20日=東京・YEBISU GARDEN CINEMAほか)で4Kデジタルリマスター版が上映。
甘い生活コメント(12)
ある一定の階層の、退廃的な、出口のないお話なんだろうなぁ、とは感じましたが、疲れていたのか、結構寝ました。
ストーリー: 30
キャスト: 70
演出: 60
ビジュアル: 65
音楽: 65
なんでしょうか、こういうふうに目の前の快楽だけを追及し退廃に身を任せて将来のことなどおざなりにしたい、そんな気持ちもわからないではない。自分の理想とするものが見つからなくて、ここだけは真実とすがっていたものまでも簡単に崩壊して、結局は絶望して軽薄な生活に逃げてそれを続けてしまう。
それが出来る人はもしかするとかっこいいのかもしれない。理想とは違ってもその分野では認められた存在で、傍目には派手な生活を送る。不安を感じても流されて、破滅するまでは自分を改めはしない。でも多分こういう自分のことが何よりも大好きで人を平気で傷つける虚飾だけの中身の無い人が、私は結局好きではないんだろうな、だから憧れと妬みも少しあるけれどやはり軽蔑もして、見ていて面白い映画だとは思わない。
物語もはっきりとしなくて、くる日もくる日も延々と芸能界のネタ探しとパーティを続けて、派手だけど流されるままの日常を延々と描くだけ。名優マルチェロ・マストロヤンニはまだ若くて美形ではまっているし、賞もとっている有名作品だし、「異臭を放つ浜辺に打ち揚げられた死んだエイのように腐った彼ら」を比喩的に表現し、浜辺の向こう側にいる純粋な少女との間には溝があり別世界にいるという、文芸的な示唆の価値は少しだけは認める。それでも3時間もだらしのない他人の軽薄な夜遊びを長々と見せられ続けてはひたすら退屈、それが正直な感想。同じことを示唆するにしても、その時間を使ってもうちょっと違う表現や構成は出来なかったものか。