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ミッドサマー ディレクターズカット版コメント(20)
一見、非の打ちどころのない楽園のような場所。確かに都会や現代人の抱えるストレスは感じないかもしれないし、その中では、大した問題ではないと感じていまう。しかし、村のしきたりや風習は、私たちの想像を超えたものであるが、一般的視点と村人たちの視点は違い、それを恐ろしいこと、異質であることとは思っていない。村のことしかしらない人が都会に来て恐怖体験をするという逆パターンもあるが、このパターンはコメディになることが多い。
今作のコンセプト自体は、昔からある古典的な王道ホラーだと言える。若者たちが訪れた場所が実はヤバい所だったというのは、『悪魔のいけにえ』『食人続』『サイレン』『犬鳴村』などなど…各国のホラーでよくある設定だ。
今回、何が恐ろしいかというと、殺人鬼がいたりするわけではなく、村の風習に知らないうちに参加させられてしまうという、悪意のない恐怖が連発するということ。それは村人にとっては、普通のことであため、何をされても、その村内では、人格的に異常者ではないのだ。
私たちの常識は、国が違えば通用しないことなんて、よくあるし、また他国の中でも限られた場所の村となったら、想像しきれない風習があってもおかしいことでも何でもないのだ。世界のおかしな風習を疑似体験するという点では、ヤコペッティにも通じている作品だと思う。
アリ・アスターのド変態的世界観であるから、更に次に何が起こるかわからないという、恐怖なのか緊張感なのか、実はワクワク感なのか…なんだかわからない期待を自分自身がしてしまっていることに映画を観ていれば気づくだろう。
アリ・アスターという監督は、インテリのような人だが、実はそういう人こそド変態だったりするという象徴のような人物像である。
映画制作という点でも、いくらスウェーデンがかつて行っていたといわれるものを題材としているといても、基本的には完全オリジナルな民族の風習を描いているため、自由度が高いことからも、「とにかくお花を散りばめてみたら…」とか「飲み物に何かよくわからない草でも入れてみたら…」と楽しさが伝わってくるのだ。
今作を体感するという意味でも、ネタバレしないで観た方が絶対いいと思う。次に何が起こるかを知りたいという欲求をもったまま観た方が今作は楽しめるに違いない。
ヒロインのダニーは、両親と妹の死で日々、不安感に襲われ取り乱すこともある。気分を変えるべく訪れた村でも不安感は増すばかり…しかし、異質である儀式や風習がダニーにとっては、今までの負の連鎖が浄化されている様にも感じられる。結果的に何か嫌なこっとがあったら田舎や自然あふれる場所に行こう!という考え方は、今作のダニーにとっては正解だったのかもしれない。
負の連鎖が浄化されたダニーの表情は、純粋そのものと思えるほどフローレンス・ピューが幼く感じられる。あの表情は、なかなか出来るものではないと思う。
しかしながら私は普段ホラー映画を見ないからか、この映画が何を表現しているものなのかよく分からないまま最後まで見ました。
通常版(?)は見ずにこのディレクターズカット版だけを見ました。
双方の視点を考えればおかしなことは特になく、ストーリーも当たり障りなく、ちょっとグロさがあるかなぁという感じのなんとなく不思議な感じの映画。特に新しさも感じませんでした。
主題が分からない理由としては、グロテスクな怖さを必要としている映画(なのだろうと推測)なのに、演出にそれを効果的にするものが無かったというものがあります。
ミッドサマーというのはこれが夏の出来事ということなのかそれともあのみんなて寝る部屋の事なのか何だか分かりませんが、みんなが半袖を着ているのは夏だからなのだろうと思います。だがそうした季節感もなく(要するに体感する温度の表現がない)臭いも味も表現されていない。
死体の腐敗、死臭、体臭、料理の味や香りなど、あと眠れない事による体調の悪化なども含め体感で感じることをほぼ表現していない。視覚のみの効果を狙っているかのようです。
あの道路、そして集落の入り口を示す標識から向こうはこの世とは違う世界であって感覚もこの世とは違うということなのだろうか。
何なのかよく分からないけれど、とにかくホラー映画とはなにかにつけて中途半端だなと思わざるを得ない。
ただあのホルガの風景というか明るい世界は綺麗で良かったと思う
全体的には、人物の人間性や心情が分かる描写が通常版よりも多くわかりやすい印象。
通常盤を観たあとだからというのも多少あるとは思うが・・・
特にクリスチャンの人物像はこちらの方がかなりわかりやすく、ダニーとの関係性や、ストーリー全体を理解する上ではよかったかなと思う。
これは、好みの問題ではあると思うが、あえて細かな描写をカットされていることで見る側の想像力で楽しむか、わかりやすい描写で、ストーリーが理解しやすいほうが良いのか。
個人的に、ミッドサマーにおいては後者のディレクターズカット版の方が好きだった。
ちなみに視覚的な派手さはそこまで変わらなかったかなと思う。
先に公開された通常版は未鑑賞。
時間の都合でこちらを選ぶことに。
時として、自然の法則を理解する努力よりも、その予測不能な驚異をできるだけ都合良く迎えたいという人類の欲と傲慢さが、目に見えない権威を創り出し、讃える見返りに希望を叶えようと数々の儀式を生んで来ました。思うように願いが聞き入れられないと感じる度に、その残酷さは増すのでしょうか。
この共同体が90年ぶりに行うという儀式は、一見明るく楽しそうな慶事のようで、実は…という内容。その狙った意外性はそこまで意外という感じはなく、まぁそうなんだろうなと想像がつくものでした。
異文化を冒涜したMark
掟を破ったJosh
“Wicked”でずるいChristian
迷いながらも何故か最後まで逃げなかったDaniただ1人が、(とりあえず?)生き残るという結末は少々意外でした。女王にも(生贄選定以外の)何か残酷な役目が待ち受けているように感じてならなかったからです。
予め年齢で区切られた人生を送る決まりも、全ては共同体の新陳代謝のため。
「家族」が、一緒に踊り、一緒に嘆き、一緒に痛みを分かち合う運命共同体だとすれば、実の家族を失ったばかりのDaniが、全くの新天地で別の「家族」に迎えられたと考えられ、彼女にとっては再生の物語となり、新たな門出に微笑んでいるようにも思えました。
いくら同情を示しても、誰かの心の痛みを代わりに背負うことはできない。
一緒に泣き叫ぶことで、悲しみも激痛も和らげてあげることができると言いたいのか??
上から撮る映像は、神様目線を再現しているのか?
R15+がR18+になったことを心配しながら観ましたが、特に後半の儀式は…何だか失笑モノでした💦
本作の顔面凶器や不思議な合図?(コロッ!→ウーハー!)は、”Hereditary”ほどのインパクトはなく。こういった要素は次作にも引き継がれるのでしょうかね。
また、前作はもちろん、同じようなエログロ系と言える ”Suspiria” ほどの怖さや不気味さを感じませんでした。日焼けしそうなくらいずっと天気が良かったからかな。
***
“The Wicker Man”という作品に似ている!
ということで、こちらのオリジナル版をいつか観てみたいかも。