合衆国最後の日
プロット
アメリカ
11月03日 2012 劇場で
スザンヌ、16歳
プロット
フランス
08月21日 2021 劇場で
英国万歳!
プロット
イギリス・アメリカ合作
11月22日 1997 劇場で
旅するジーンズと16歳の夏
プロット
アメリカ
10月01日 2005 劇場で
ソ満国境 15歳の夏
プロット
日本
08月01日 2015 劇場で
国姓爺合戦
プロット
中国・日本合作
11月02日 2002 劇場で
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16歳の合衆国コメント(5)
被害者家族と加害者家族、加害者に携わる人物と加害者本人それぞれの心情に葛藤などを描いて行く方向性でも無く人物描写の掘り下げ方が中途半端な気も。
主要人物、全員の感情の起伏の乏しさが目立ちそれぞれに抱えている問題や悩みも寧ろ本作の邪魔になっているようにも感じてしまう。
大風呂敷を広げて畳むのが面倒臭くなったが如くラストはメチャクチャな終わり方。
最後の刑務所内のオチは無理があると思った。
人生は断片の総和よりも大きい。なんてなかなか出てくる言葉ではない。決して的外れではなく実感として得た言葉であることを作品は物語っている。
映像は明るくて疲れないし会話の流れもいい。
派手さはないが見る者を確実に引き込んでいく良い脚本だと思う。
16歳のリーランドがなぜガールフレンドの弟を殺したのか?殺さなくてはならなかったのか?理由はなにか?父親との親子関係にあるのか?父子家庭であるが、父親の存在感のない生活が問題だったのか?ガールフレンドとの関係がうまくいかないから?自分の心の置き場がなく厭世観が漂っていたのか?などと高校生が殺人を犯す理由がどこかにあると考えてみた。はっきり言って何も理由がないのかもしれないとも思った。
はっきり理由付けがあって、この行為だけではなく、16年間積もり積もったものが何かの形で現れたのかもしれない。未成年の犯罪の場合、犯罪心理学で家庭環境は一番注目されると思う。前記のように、人生で学んでいく過程の何かを失ってしまっているんだと思う。人生において、彼のように純粋な心を保って生きるのは、彼が苦労すると言おうか、人に理解されにくいと思う。攻撃したり、破壊的なことをしたり、困らせたりするわけではなく、倫理的で感が鋭く生きている。この彼には、相手の気持ちをを察することができるから、相手に感情移入してしまう。ニューヨークのおばさんの目からは輝きが消え、伴侶の不倫で離婚したため、悲しさに溢れていると。自分をその哀しさを紛らせるために使ってもらっているようだ。でも、結局は何もしてやれないと思っている。
ベッキーが『大丈夫だ全て上手く行く』と言ってくれというがリーランドは言えない。現実はそうじゃないから。現実を見られないベッキーに対して一時的に相手を喜ばす、『うまくいく』というまやかしは言えない。
そして、ライアンは自転車が障害物の中から出せなくなっている。障害がある故に障害物を乗り越えるのは難しい。そこで、初めて、『大丈夫だ。心配はいらない』とリーランドはライアンを抱きかかえて言えるが、現実的ではない。大丈夫じゃないから。このライアンにもなにもしてあげられないと感じた。でも何かをしてあげた。
これらについて、この映画を自分勝手に理解したつもりでレビューを書いてみる。心理的な映画は大変理解しにくい。