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春の夢(1960) プロット 日本 01月03日 1960 劇場で
裸のランチ プロット カナダ・イギリス・日本合作 01月01日 1900 劇場で
裸のキッス プロット アメリカ 12月22日 1990 劇場で
裸のマハ プロット スペイン・フランス合作 05月03日 2002 劇場で
裸のチェロ プロット イタリア 01月01日 1900 劇場で
裸のムラ プロット 日本 10月08日 2022 劇場で
裸の島(1960)コメント(10)
(午前十時の映画祭にて鑑賞)
2018-239
新藤兼人は多作であり、百歳まで現役を貫いた社会派映画監督の巨匠だ。
舞台である瀬戸内海の原風景の映し方は時に落ち着きを感じ、時に退廃的な雰囲気を感じた。全編を通してセリフは一切ない。というより、セリフを排除して、息遣いや叫びなど心の内の声を汲み取っている。この効果は長男の太郎が亡くなった後、母のトヨが畑で泣くシーンで生かされている。あそこで発する言葉ほどむなしいものはない。セリフを付けようものなら一歩間違えればチープな作品に成り下がっていたのかもしれない。
序盤、一家の生活様式を見るといつの時代か見当がつかない。しかし、貨物船が海峡を通るシーンを見て戦後ではないかと推測できる。内地に観光して子供たちがテレビを観ているシーンで初めて年代を感じ取れた。このシーンの後、この一家が不憫に思えて仕方がない。島暮らしで内地側の島と往復して水をくみ、農作物を育てて、また水を汲みに向かう。毎日決まった日課でさえ息苦しさを感じた。太郎が死んだときには父の千太は医者を連れてきたため最期を看取ることができなかった。島暮らしが裏目に出てしまった。内地は経済が発展していたが、島々まで行き届くことはなかった。もっと豊かになることはできたはずなのに、この一家はそれを選ぶことができなかった。
島だけに独自の時間が流れて、一家は精神的にこの島に囚われて抜け出すことはできなかったのだろう。内地の人はこの一家をある種見て見ぬふりをしていたのかもしれない。もっと言うなら好奇心の目で見られていたのかもしれない。忘れ去られて痕跡だけ残してどこかにぽつりと待っている島を想像すると非常にやるせない気持ちになる作品だった。
今はない当時の日本の風景が見られる。
音楽もとても良い。
コメンタリーで監督と音楽担当が当時を語っています。
白黒ですが画像がキレイです。
時々、観たくなる映画です。
映画の背景は描かれてませんが、おそらく流れ者らしい夫婦が島で暮らしている。
来る日も来る日も、水を汲み、畑に水を撒き、農作物を作る日々。
鯛が一匹釣れれば、街に出て買い物して外食も出来るのなら漁業に転換した方が良いのではないか。
実験的作品として評価は高いのかもしれませんが、それほど心打つ物は感じられませんでした。
船に乗ってあれだけの水を汲みにいくだけで重労働なのに、あそこで暮らし続ける事の苦しさ。
台詞はまったく無しで、唯一音羽信子が泣くとき位と思った。
モノクロとあのBGMのみの雰囲気にただただストーリーを追わされ続けるのだ。
「1枚のはがき」でも水桶を持って運ぶシーンがあったので、のちにこの作品を見たら、監督は水桶運ばせるのが好きなのか?と思った(笑)
長男死亡後も淡々と続く生活に何を見るのか?
衝撃的作品だ。