F・スコット・フィッツジェラルドの名作小説をロバート・レッドフォード主演で映画化。「ゴッドファーザー」シリーズのフランシス・フォード・コッポラが脚本を手がけ、「年上の女」のジャック・クレイトンが監督を務めた。1920年代のアメリカ。ニューヨーク郊外のロングアイランドの豪邸で暮らす大富豪ギャツビーは、毎夜のように盛大なパーティを催していた。隣人ニックはパーティに招待され、謎に包まれたギャツビーの過去を徐々に知るようになる。ダコタの農家に生まれたギャツビーは、第1次世界大戦中にデイジーという女性と出会い恋に落ちる。しかしギャツビーがフランス戦線へ送られた後、デイジーはシカゴの富豪と結婚。帰国したギャツビーはその事実を知り苦しむが、再び彼女の愛を取り戻すことを決意し、5年の歳月をかけて大富豪へとのし上がっていく。1975年・第47回アカデミー賞で衣装デザイン賞と編曲賞を受賞。
華麗なるギャツビー(1974)コメント(13)
いろいろ思うことはありましたが、
鑑賞した当時、ギャツビー以上に幸せな死に方はないんじゃないか、と思った記憶があります。
青年の日の夢と野望と社会における階級制度と・・・。(涙)
私の不良少年時代に最も影響を与えてくれた映画です。
最底辺の公立高校ですら、退学寸前だった私は、この映画に出てくるギャツビーの姿に憧れて大学進学を志すようになります。
けれども、一浪後、進学出来たのは明治学院大学社会学部社会学科の夜間。
ANA系の旅行会社の添乗員として働き、4年間成績優秀、奨学金を貰いながら卒業しました。
1980年代後半に学生時代を過ごした私は、運よく学生時代がバブル全盛期と重なりました。大学1年の秋から、六本木のDISCOを借りきってのパーティーを主催。
やがて他大学の友人達と一緒に始めた合同パーティーのリーグは大当たりし、春の新歓、秋の文化祭、クリスマスシーズンなど、毎週のように合同パーティーを主催るようになります。
私は、主催者の一人でありながらも、司会や受付などの表舞台はハンサムな友人達スタッフに任せて、スポンサーと金と、美女と利権を操り、常にVIPルームなどから、パーティの様子を眺めているギャツビーのようになっていったのです。
そして、冬のスキーシーズンには、北海道への格安スキー旅行を企画し、学生ツアーとして大当たりしたのです。
さて、この映画の見所のひとつは、豪華なパーティーシーンや衣裳の素晴らしさ。
ロバート・レッド・フォード演じるギャツビーは、男から見てもそのかっこ良さに痺れてしまいます。
エール大学卒と称するギャツビーの学歴は、勇敢な兵士として、戦場で手柄を立て勲章を貰った褒美として聴講生として通ったもの。
正式な卒業生ではなかったのです。そんな普通の庶民出身のギャツビーが心から愛した運命の女性は、上流階級の美女ディズィ。
ディズィは、優秀な下士官であったギャツビーと恋に落ちるも、エール大学卒の上流階級の男性の元へと嫁いでしまうのです。
転戦し、戦地にてディズィの婚約を新聞記事で知ったギャツビーは、上流階級の人妻となったディズィの心を取り戻すという大いなる野望を抱くのです。
手段を選ばず、金の亡者と化したギャツビーは、ディズィ夫妻の邸宅のある対岸に、豪華な屋敷を建て、毎週のように豪華なパーティーを主催するのです。
全ては、ディズィの心を取り戻すためだけに・・・。
【明日に向かって撃て!】
【スティング】
【華麗なるギャツビー】
を、私は勝手にロバート・レッド・フォード三部作と称しています。
【華麗なるヒコーキ野郎】
や、
【追憶】
よりも、どうしても、私の思い入れの上では、
【華麗なるギャツビー】
の方が強いのです。
フレーム効果でしたっけ?服、食器、家、宝石、車とキラキラ。人間関係は、ドロドロ
ウッディ・アレン監督作品の、「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」鑑賞後に、再鑑賞。
主人公の名前「ギャツビー」つながり。
ディカプリオの最新作を先に観て、あらためてレッドフォード主演作と比べてみた。
まず、両作品の類似点の多さに驚く。特にオープニングのシーンなどバズ・ラーマンがあえてジャック・クレイトンに忠実に作ったのかと思えるほど。とはいえ、ジェイがニックに自らの半生を語るところは最新作のほうが丁寧で、逆にラストシーンで登場するはずの父親が出てこないところは大きく食い違う。またデイジーの夫で大金持ちのブキャナンが修理工ウィルソンに女房殺しの「犯人」をそそのかすやり方も多少の違いが見られる。
個人的にはディカプリオのジェイ、ミア・ファーローのデイジーのほうがが印象に残るという困った結果になった。ニックも見た目はサム・ウォーターストーンなんだけど、語り部としての役割はトビー・マグワイアのほうが大きく、うーん悩ましい。