恋におぼれて
プロット
アメリカ
09月27日 1997 劇場で
恋におちたシェイクスピア
プロット
アメリカ
05月01日 1999 劇場で
ステラが恋に落ちて
プロット
アメリカ
01月01日 1900 劇場で
靴に恋して
プロット
スペイン
10月02日 2004 劇場で
ルートヴィヒに恋して
プロット
日本
11月27日 2021 劇場で
恋に焦がれて
プロット
アメリカ
10月09日 1993 劇場で
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恋におちてコメント(16)
ストーリー: 65
キャスト: 75
演出: 70
ビジュアル: 70
音楽: 70
デ・ニーロとストリープという大物二人が演じるのは意外なほどに平凡で地味な人物。二人は会った瞬間にときめくわけでもなく、ロマンチックな愛が燃え上がるわけでもなく、ここぞという見せ場になるような濡れ場もない。むしろ家族持ちの身という立場を考慮して相手に魅かれる自分の心に自制をしながら慎重な態度を崩さず、しかし感情を持て余して平静ではいられない姿を実力派らしく地道に表現する。
日本語の題も原題からそのままの直訳だけど、やはり「恋に落ちて」なんですよね、大人なのに愛ではなくて。だからすぐに恋に落ちたり体を交わったりしないかわりに、一歩ずつ踏み出しながら止まってまた踏み出してという心の葛藤を描くから、奥ゆかしい日本の大人には合っている映画ではないかと思います。
鉄道で出会うお互いに家族のある男女の物語です
終盤の踏切を猛スピードで通過する列車は、逢びきでの急行列車の通過のオマージュなのは間違いないでしょう
デ・ニーロ41歳
メリル・ストリープ35歳
二人とも中年の所帯持ちの雰囲気を見事に身に纏っています
特にメリル・ストリープは、まだ若く美しいながらも体のラインは崩れかけており服でそのラインを隠しています
容貌も20代の張りのあるものではなく最後のバランスを保っている、その微妙なところを上手く表現しています
本当に素晴らしい女優であると感嘆するばかりです
イーストウッド監督が「マディソン郡の橋」を撮るに当たって彼女しかいないと決めていたのは当然と思います
W不倫ものと言えば、確かにみもふたもありません
若い時には全く受け入れられなかったこの手の物語がそれなりの歳になると胸に染み入り、人気のジャンルになるのは何故でしょうか
不倫願望?
そうじゃないと思います
中年になってからときめきは、誰しも経験する普通のことだからだと思います
とはいっても誰しも家庭を大事に愛しているのです
本作の冒頭での二人のように
そしてそのときめきは、それだけで育つことはなく消えていくのです
希に大きく育ちかけるものもあるかもしれません
けれどもほとんどは踏みとどまり消えていきます
だからこそ、その消え去る時の痛みが多くの人にわかるものであるから胸に染み透るのだと思います
何が一体どうなったら、このような物語になってしまうのでしょう
冒頭のカイテル演じる友人との会食に注文を取りにきたウェイトレスは良く見るとメリル・ストリープに似ています
若干若いかも知れません
スタイルも良いです
なのにフランクは全く目にも入っていませんでした
それなのに二度目に電車の中で見かけたモリーには急激に引き寄せられてしまうのです
人と人との縁、不思議な偶然
確かにそうでしょう
しかしモリーは、今度は金曜日に来ると言わなくとも良いのに口走ってしまうのです
その一言で全てが走り始めたのです
モリーもその一言がこうなるとは思いもしなかったはずです
そこには水面下の男女の引力の相互作用としか言い様のないなにかかあって、水面下で互いの心が確かに触れ合ったという感触があるのです
それはとても甘美で抗うことができなるなるほどのものなのです
駅で待つ自分を自分で下らないことしているとボヤきながら、そわそわと待つ姿のときめき
彼を見つけた時のモリーの目の輝き
忘れかけていた気持ちの高まり
それはかって経験した甘い思い出を再現させようと麻薬のように理性を失わせてしまうのです
その過程を丁寧に素晴らしい演技で表現しています
ラスト近く一年ぶりにあうカイテル演じる友人が話す内容は、一年後のフランクとモリーのことになるかも知れません
だって一年前彼が話した内容は二人の今の境遇なのでしたから
ハッピーエンド?
そうではないのかも知れません
思い出だけにした方がよかったのかもしれません
しかしフランクの妻は何も無かった方が悪いと断じていました
花火のように燃え上がったものは、花火のように爆発さて終わらせるべきだったのかもしれません
けれども、それは父の臨終のとき一体自分は何をしていのかと一生立ち直れない程のダメージを彼女に与えたかもしれません
本当の愛はいくら箱に押し込めても出口を求めてものすごい力でこじ開けようと隙をうががっているからです
それもいつまでも色褪せずに
いずれにせよ二人の家庭は壊れてしまったのです
けれども家庭だけを形だけ維持してくいような牢獄を一生続けることも悲惨です
ときめきをときめきとして結晶のように純化できる強いこころの持ち主には、誰もがなれるわけではありません
だから泣いてしまうのです
最後に音楽も素晴らしかったです
登場人物の心の動きを見事に表現しています
当時、最高に人気のあったデイブグルーシンの絶頂期の傑出した仕事のひとつと思います
音楽としてもクオリティが高いです
M・ストリープが美しい。透き通るような白さが印象的。顔がややごついが(失礼)
デ・ニーロ、さすがの演技なのだが個人的にはどうもこの役柄はらしくない。
・序盤の妙なすれ違いシーンがうざ面白い。
・不倫を勧めまくる双方それぞれの友人、いいのか!なんともアメリカ。
・不倫に気づいた双方の配偶者がなんとも哀れ、嫁役の「どこの夫婦も愛なんてないのに」の台詞がなんとも。
最後、フランク(デ・ニーロ)の友人の再婚相手がモリー(ストリープ)であることを私は切に願った(笑)
女性からの評価が高いよう。不倫はダメだといいながら、これはいいのか!さっぱりわからん(笑)