シークレット・サンシャイン プロット

夫を亡くし、生きる希望を失っていた32歳のシネは、夫の故郷の地方都市ミリャン(密陽)でピアノ教室を開いて新たなスタートを誓う。だが、ミリャンでも彼女を新たな悲劇が襲い……。監督は「ペパーミントキャンディ」「オアシス」のイ・チャンドン。主演のチョン・ドヨンが第60回カンヌ国際映画祭で主演女優賞を受賞。共演はソン・ガンホ。

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シークレット・サンシャインコメント(15)

Xhoinkmgpss
Xhoinkmgpss
「パラサイト 半地下の家族」は鑑賞済ですか? ソン・ガンホに惚れた方、今後もその思いを貫いた方が良いです。かなり素敵な恋なので。参加作品の大半がクオリティ◎。私は“良作兄貴”と呼んで崇めています。そんな彼が、寡作ながらも“全てが逸品”のイ・チャンドン監督とタッグを組んだのが「シークレット・サンシャイン」。本当、何度見ても飽きません。

主人公は、亡き夫の故郷「密陽」に愛息子と共に引っ越してきたイ・シネ(チョン・ドヨン)。ピアノ教室を開き、新たな一歩を踏み出した彼女に、予期せぬ悲劇が…。映画は時として活力を授けてくれますが、本作が放つのは心を削ぐ衝撃。容赦なし、情けなしの展開に挫けてしまうかもしれません。でも、正面切ってタイマンを張れる作品との出合いって、結構貴重で、幸せな機会だと思うんです。濃密な142分、真正面から向き合ってみてください。時に痛みを感じますが、損する事は一切ございません。

チョン・ドヨンの芝居は、「驚いた」というよりも「たまげた」と表現した方が適切かもしれません。特筆すべきは“見えないもの”との対峙。電話越しの通話相手、周囲から消えてしまった者たち、そして、陽の光一筋にも存在しているという“神”。それらは彼女に慟哭すら許さず、言葉を毟り取っていきます。カンヌ主演女優賞の受賞も納得の演技。予告編にも使用されている教会での一場面は、今でも脳裏に深く刻み込まれています。

さて“良作兄貴”が扮しているのは、自動車修理工場を営むジョンチャン。「常に空回りする俗物」といったコメディリリーフなのですが、シネにとっても、鑑賞者にとっても“救い”となっていきます。ただひたすらに寄り添うだけ。それがどんな行為よりも、優しく、愛おしく見えてくるんです。こういう役どころを演じさせたら、ソン・ガンホは本当に天下一品。マジで“リスペクト”。

余談:「集会」のシーンがめちゃくちゃ好きなんです。「嘘」の歌を聴きながら日々仕事に励みたいんですが、音源がどこにもない……。
Eebixittecd
Eebixittecd
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罪を赦す事で人は神に一歩近づき
神と一体化できると信じたシネは
自分の息子を誘拐し殺した相手を赦すと伝えに留置所まで行くが、犯人はすでに留置所で宗教に目覚め、
神に赦され穏やかに生活していた。

自分の子供を殺した相手を勝手に赦した神に裏切られた思いのシネは
自分も罪を犯し、それでも赦すのかと神に問いかける。

重いテーマで救いはないのだけれどシネに下心ありで近づいたキムさんがいつもヌケた笑いで緊張感を解き
また、冷たくされても常に静かに寄り添う姿に恋愛感情を超えた愛を感じ、ラストのシーンでは風に飛ばされる髪と道端の日差し、草の影にも優しい神の眼差しを感じさせた。

スコセッシの『沈黙』にも似た
神はいくら問いかけても何も答えてくれないが
沈黙のなかに答えがある、というメッセージを感じた。

シネの演技に全てがかけられた作品であり
それに見事に答え演じきった女優に感服。
Slshelpefr
Slshelpefr
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主人公のチョン・ドヨンの演技がすごかったとか、キム社長役のソン・ガンホがユル・イイ奴で良かったとか、一本の映画としてイイ映画だったと思います。それは間違いないですね。

でもさらに、「神様ってなんだ」とか「宗教ってなんだ」とか、「赦しってなんだ」っていう命題をグリグリと突きつけられる作品で、考え始めたらえんえん考えちゃうタイプの映画でした。

えんえん考えて、とりあえず至った解釈は、

「神様は直接的には助けてくれない」という真理を主人公は誤解して、アテが外れてイジケていたけど、実は主人公が気付いてないところでちゃんと救われていたというお話です。

主人公が誘拐殺人事件で我が子を失って、心のダメージを負いました。どれ程のものか想像すると、子を持つ親としては胸が痛いですが、仮にその損失を100とします。

損失100を復讐100で直接的に回収することは、犯人逮捕によって不可能になりました。

でも損失100をひとりの個人が抱えるには、あまりにキツイようです。
損失100は、心の中では怒り100になったり悲しみ100になったり、悔恨100になったりと暴れ回ります。このままでは心が壊れてしまうので、いったん損失100を「債権譲渡」みたいなカタチで宗教に委ねることにします。

宗教に委ねた100の空白は、「神の愛」とか「救済」で補填されることになりました。でも主人公が思っていたよりもずっとゆっくり、少しずつです。

待ちきれない主人公は、「犯人を許すという善行」によって、その100を一気に取り戻そうとしました。犯人が反省していれば「犯人の懺悔や後悔100」を、犯人が反省していなければ「犯人の囚われの苦しみ100」を目の当たりにすることで溜飲を下げることができたでしょう。どちらにしてもそれを“主人公が”許すということで、優越感100なのか、自己充足100なのか、なんらかのカタチで損失100を回収できると、漠然なりとも期待したのではないでしょうか。

ところが刑務所の面会の場面。あの展開はビックリしましたね。そこをヤマ場にして映画を終わってもいいんじゃないかと思いました。

なんと犯人は、すでに“神様が”許していたのです。「逮捕されてから入信して神に許しを乞ううちに、自分は神に許されたのです」としゃあしゃあと言いやがるわけです。
今日“私が”なんらかのカタチで回収するはずだった100を、こともあろうに“犯人が”「神の許し100」というカタチで手に入れてるってことです。

主人公にしてみれば、「私が預けた債権を神様が勝手にチャラにしやがった。裏切られた!」って気持ちになりますね。そうすると、主人公が回収し損なった債権100の取り立て先は、犯人から神様に交替するわけです。

神様から何を取り立てるか。

主人公のとった行動は、例えば「神の御前で」CDを万引きしてやる!とか、
宗教講演のBGMを、万引きしたCDにすり替えて講演を妨害してやる!とか、
聖人を気取った信者を誘惑して、姦淫の罪を犯させてやる!とか、
自分に純粋に尽くしてくれるキム社長の愛を、下世話な性欲で汚してやる!とか、
ついには自傷行為してやる(死んでやる?)!とかでしたね。

主人公はそういう行動によって、神の権威の失墜100を意図したのでしょうか?自分を裏切った神を逆に100裏切り返してバランスを取ろうとしたのでしょうか?

たぶんそうじゃないですよね。

こういう行動って「自分を捨てた男への当て付け」であったり、「自分を愛してくれなかった親への当てこすり」によくあるパターンじゃないですか。

つまりスネて甘えてるってことです。「こんな私を救ってみせてよ!」ってことなんですけど、それらの行動はどれもこれも途中で失敗します。

万引きしても店先で捕まるし、宗教講演は続いていくし、誘惑は未遂で終わるし、キム社長は純愛を貫くし、自分は病院から退院してきちゃうわけです。

退院ついでに美容院に寄れば、そこの美容師は犯人の娘で、その娘は、主人公が罰を与えたわけでもないのに、ちゃっかり神様から試練を与えられてそれを乗り越えつつあったりします。

捉えようによっては、何から何まで主人公の思うようにはなりませんでしたが、
それこそが「神の愛」であり「救済」であったことに主人公は気づきません。

主人公はさんざん神様に毒吐きますが、結果的には報復殺人者にならなかったし、(神を恨むことで)人を恨まずに済んだし、自分を汚したり殺したりせずに済みました。神様の仕事としてはグッジョブな部類に入る方のお話だったと思います。

神様は実体を持たないので、人を直接的に救うことはできません。実体がないのを擬人化したり、偶像化したりするので神様や宗教の話は往々にしてややこしくなってしまいます。

じゃあ神様とははなんだって話は、この映画でいうところではキム社長であり、店のインテリアをアドバイス通りに変えたおばさんです。
現実社会に存在する神様は、ピカピカの法衣を着ているわけでも、超能力者的なキャラクターを備えているわけでもなく、そのへんで暮らしにまみれて何気に支えてくれるのです。

世界全体を余すこと無く照らしてくれる天照大御神なんてのは、突き詰めていけば単なる「太陽の擬人化」です。太陽を科学的に「惑星」として認識するのであれば、天照大御神という神様は必要ありません。

でも自分の人生で足元がおぼつかない時、そこをピンポイントに照らしてくれる誰かがいるならば、その人をこそ神様として有難がればいいし、誰かが困ったときにその足元を照らしてあげられるなら、その人は誰かにとっての神様になるわけです。

「じゃあ、困ったときはお互い様ってことで、助け合ったほうが人類全体としては生きやすいよね。」っていう知恵とか仕組みを「宗教」って呼ぶんだと思うんです。

美容院には行き損なった。自分で髪を切るのはやりにくい。でも鏡をいい角度で持っててくれる人がいる。その程度の、ちょっとした暖かい「日差し」が、神様の正体ですって話だったんじゃないかなと思いました。
Mikospgsxnh
Mikospgsxnh
ずっと映画館で
上映されていたときから気になっていました。

ただ自分でも
その辺りの深層心理がわからないのですが、
映画館に足を運ぶのを躊躇っている自分がいました。

ストーリーも知らず、
ここでの評価も高かったのに。

ひとつだけハッキリ記憶に残っているのは
リーフレットに映し出された主人公の女優さんの
表情に近寄りがたい、いや近づいてはいけないオーラを感じたこと。

満を持して、というわけではありませんが、
覚悟を決め、DVDを手にとったのでした。

☆彡     ☆彡

重いですね
さすがカンヌ国際映画祭女優賞を獲っただけありますね
あのソン・ガンホが霞んでみえましたから

映画館で観るべきだった
映画館で観なくてよかった

両方の思いが交差しています。

映画館で観ていれば
もっと自信を持って星5個をつけます。

でも、映画館で観ていれば、
すぐに席を立つだけの力を
両脚に行き届かせた自信がありません。

家で観ただけなのに
気がおかしくなりそうですから
映画館で観ていたとしたら、一体どうなっていたことか。

わけもわからず、前の席をバンバン叩いたり、
なんの関係もない、赤の他人を睨みつけたり、
おそらくまわりに迷惑をかけてしまったような気がします。

『チェイサー』鑑賞直後のお手洗いで
まったく見ず知らずの男性を睨みつけ怯えさせてしまったように。

作中のシチュエーションではありませんが、
これほどまでに映画館から自分に今作を遠ざけたのは
なんらかのメッセージが込められていたのだと思います。

◇   ◇

なにをキッカケに
イ・チャンドン監督は今作を着想したのでしょうか。

作品タイトル
音楽の使いかた
ストーリー展開
オープニングとエンディング

こんな月並みな言葉で
大変申し訳ないのですが、
パーフェクト、完璧でした。

音に関していうと
ある出来事が起きているとき。

音楽流していないんですよ。
音楽流して観客の気持ちを動かすような場面なのに。
セリフだけで行ききっちゃうんですよ。その場面で
「この映画、エライ作品だぞ。やばいぞ、これは」とアラームが鳴りました。

もう、そこから先は・・・。
もう、ことばになりません。

☆彡     ☆彡

“嘘”
“赦し”
“偽善”
“青い鳥は心の中にいる”

主人公の彼女は
最後に気づいたのでしょうか。

あなたははやくからゆるされていたことに
Ecnnntadvoeeli
Ecnnntadvoeeli
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心に深い傷を持った女性が宗教により追い詰められてしまった。結局最後に人を救うのは人ってことなのかな。宗教の効用と限界を描写してると解釈しました。宗教は人により幸せな結末を迎えらる場合もあるだろうし、より不幸になる場合もあるんだろうと思います。見ごたえがありました。宗教にはまるのはやっ!とは思いましたが。