ゲド戦記

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ゲド戦記 プロット

アーシュラ・K・ル=グウィンによる世界的ファンタジー小説を原作に宮崎駿監督の長男宮崎吾朗が初メガホンをとったスタジオジブリの大作アニメ。世界で最も偉大な魔法使い「大賢人」と呼ばれているハイタカ(別名ゲド)は、世界に災いをもたらす源を探し出すために旅を続けていた。そんな中、ハイタカはエンラッドの王子アレンと出会うが、アレンは父である国王を刺し、国を出たばかりだった……。

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ゲド戦記コメント(20)

gqznpv
gqznpv
私の評価としては☆4かなですがあまりにも評価が低く応援☆5です。今回の「一生に一度はジブリを映画館で」の観賞でナウシカにつづいて二本目です。
評価があまりに低くく見ないつもりが次の作品までに間があったから初めて見る作品を選びました。見てよかったです。
原作未読です。この作品を見て原作が読んでみたくなりました。父親を殺したとありましたが「生きているのでは?」と思ったのが気になり、その後の展開も気になり読みたいです。評価低い人ってジブリ呪縛もあるかなと思いました。このシーンもう少し短くして他にと言うのはあったけど他のジブリ作品にもあるし。物語は最高ですが2時間にまとめるには難しいのかもしれません。ジブリは俳優さんを声優に使いますが、その点かなり失敗があると思うけどこの作品では思いませんでした。特に菅原文太さんの魔法使いは大正解だと思います。感動したのに感動シーンで少し寝てしまいました。物語のとっつきとしたらオススメなのでは。実写も見たい作品です。ジブリ作品ってあまり見た事ないかもですがカリオストロ伯爵風の人ってあっちこっち出て来るのかな。
気になる作品があったらまた見たいと思います。
mlvtdss
mlvtdss
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途中まではアレンもテルーも刺々しくてあまり感情移入出来なかったが、挿入歌テルーの歌辺りから二人が打ち解けてきて、感情移入もしやすくなってくる。声優は菅原文太、香川照之、田中裕子など圧巻の豪華キャストだが、新人のテルー役手嶌葵さんもすごくよかった。テルーの歌は名曲だと思う。話自体は囚われた女性を助けに行くという王道の話だが、原作の話がちょっとだけ会話にでてきたりして、原作を読んでいると結構壮大な話に思えてくる(影とか冥界とかテナーやテヌーの昔とか)。後テナーはドラゴン族だったんですね。原作とは話が違うけど、これはこれでよし。ドラゴンの造形が美しかった。最後にエンディングの圧巻の主題歌で涙😭
iuziiw
iuziiw
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私はジブリ作品のなかでゲド戦記が1番好きです。
竜と人間が暮らしているという世界観、テルーの挿入歌はとても素敵だと思います。また、生と死について深く考えさせられます。

しかし、他の評価にもある通り、意味がよく分からない。となるのも分かる、、、
その理由は、原作を読んでいないと散りばめられている伏線を完全に回収することが出来ないからだと思います。(原作を読んでも理解できない箇所があったが(--;))

映画ゲド戦記は、アーシュラ・K・ル=グウィンの小説『ゲド戦記』を原作としています。冒頭にはこんな詩があります。

ことばは沈黙に
光は闇に
生は死の中にこそ
あるものなれ
飛翔せる夕方のタカの
虚空にこそ
輝ける如くに
『エアの創造』

ゲド戦記はこの詩にもあるように、ことば、光と闇、生と死、タカがキーワードになると思います。

ゲド戦記の世界は、かつて竜と人間は一緒だったが、竜は自由を人は形あるものを望みます。
竜が火と風、人が土と水を選んでから、竜は西で暮らすようになり、一方で人は東で生活してきました。

しかし、最初のシーンで竜が人間の東海域に姿を表しただけでなく、竜同士で食い合いをしている。これは今まで保たれてきた「均衡」が崩れてきたことを示しています。

ことばについて。アレン?レバンネン?真の名?って映画見てるときになりませんでしたか、、

簡単に言うと、ハリーポッターで呪文を唱える時の言葉(レバンネン、太古のことば)と普段話す時のことば(アレン)は異なるのと同じです。

この世界は、大人になるとみんな一人ずつ真の名が与えられます。また、竜、魔法使い、それ以外の一部の人は太古のことばを自由に話すことが出来ます。
真の名は信頼している人以外には決して話してはいけません。太古のことばは知識がある人でなければ使ってはいけません。

人だけでなく、海、馬、石、全てに真の名があります。真の名を知っていれば、太古のことばを使って自由に動かすことが出来ます。その物の命を手中に収めたのと同然です。

アレンとハイタカが初めて出会った時、狼に襲われるアレンを救うシーンがありましたよね。ハイタカは魔法使い(の中でも頂点にいる大賢人)なので容易にアレンを狼から守ることが出来ました。
また、クモもレバンネンというアレンの真の名を手に入れたことで、ハイタカを襲うように仕向けることが出来ました。

光と闇について。アレンが暗闇に恐怖を抱いたり、アレンがアレンに怖がったり、アレン2人いるの?って疑問に思いませんでしたか、、

後半に明かされていましたが、2人のアレンは光と影、表裏一体なのです。

原作では実際に影と闘っているのは、ハイタカです。原作の第1作品目『影との戦い』で描かれていました。ハイタカが魔法学校に通っていたときの話です。

ちなみに、魔法使いはロークという島にある魔法学校を卒業し、杖を授けられることが多いです。
なので、ホートタウンで初めて会う商人達は杖を見ればハイタカが魔法使いだと分かりました。

ハイタカが死者を呼び出すという禁じられていた魔法を行ったことが全ての原因でした。その時に、左頬に大きな傷を負いました。
そのときから、ハイタカは姿の見えない影との闘いが始まります。最初はただの影だったのに、ハイタカ自身の体力(気力)が減っていくと、逆に影はだんだんとハイタカの形を取り力をつけて、ハイタカをより脅かす存在になります。

そして、闘いの最後は、、ハイタカが自身の影を抱きしめて終わります。自分が恐れていた自分自身を受け入れたことで解決しました。

アレンも死という恐怖などを受け入れ、テナーのお陰でクモの魔法から目を覚ましたことで、勇敢にハイタカやテナー達を救うことが出来ました。

生と死について。クモは死ぬことを恐れ、強大な魔法を使って不死の力を手に入れようとします。それが、世界の「均衡」を壊してしまっていました。

世界の「均衡」が保たれなくなると魔法の効きが悪くなったり様々な影響があります。ハイタカは大賢人として、その原因を突き止めるために旅をしていたのです。

クモは女?男?か分からないように描かれていたと思いますが、原作では男です。これらは小説の「さいはての島へ」に出てきます。
クモが生と死の扉を開けるのを防ぐために、アレンとハイタカが冒険に出ます。
原作では、クモを倒した後、ハイタカは魔法の力を使い果たし、魔法使いでは無くなってしまいます。

テルーについて。テルーは何者なのか、竜?人間?原作では、テルーは人間として生まれながらも、竜と潜在的に繋がっています。ちなみに、テルーの真の名であるテハヌーは炎という意味です。
そのような人は、勉強しなくても(生まれつき)竜と同じように太古のことばを話すことが出来ます。

しかし、自分が何者なのか自分自身でも分かっていなければ、竜に変身することは出来ません。
原作では、竜と人間の仲介人として重要な役割を果たします。

映画と原作は世界観は同じだとしても、内容は異なります。

原作では、アレンは父親を殺していません。テルーとハイタカが初めて会った時には、ハイタカは既に魔法使いではありません。テナー・テルー・ハイタカ・アレンの4人が会う場面はありません。

内容の濃い原作を映画にするのはこんなに大変なのだと感じました。作品の世界観、死生観に触れることで多くの学びを得られました。ぜひ、多くの人に原作を読んで欲しいとおもいます。

長文乱文失礼致しました。ありがとうございました。
bfhbsy
bfhbsy
「指輪物語」「ナルニア国物語」と並ぶ世界三大ファンタジー小説と評せられる。その第3巻「さいはての島へ」を原作とした本作。

立派な王様である父親を刺し殺してしまったアレンが、大賢人ゲドといっしょに、世界から魔法やまじないの力が消え去りつつある原因を探る旅をしてクモという魔法使いと対決する話。

以下は、映画を観た俺が勝手に想像した、宮崎吾郎監督(息子)から宮崎駿監督(父親)へのつぶやき。
「父さんは、"ひとり" 対 "世界" というか、"ナウシカが、アシタカが、世界をよくしよう、変えていこうとする映画" を撮るよね。それは、大人にはウケるかもしれない。でも、実際の若者が悩むのは、自分の中にある闇の面と光の面のギャップ、二重性ではないのかな。『一体、どっちが自分の本当の姿なんだ!』と悩むことが多いおのではないかな。その悩みの前では、大賢人ですら無力だ、というのが真実ではないだろうか。だから、俺はそういう映画を撮る!」

親子共にファンだというこの小説のこの巻を原作にしたのは、上記のような思いからだったんじゃないかなあ、と本作を観ながら思った。

怖いのはみな同じだ。なのにあなたは、死を恐れて、生を失っている。
あなたはひとつしかない命を生きるのが怖いのだ。生きて命を引き継げ。
そうやって命はずっと続いていくのだから。

上記は、劇中クライマックスで、少女テルーが主人公アレンに話しかけるセリフだ。いいセリフだ。おそらく、小説ならば、読んで心にじんと染み入るだろう。
しかし、映画でそのまま語らせると、なんか説教みたいに感じた。
このあたりが、原作と映画の難しい所なんじゃないかな。
必ずしも、そのまましゃべらせるのがよいとは思わなかった。どうすりゃいいのかはわからないけれど、理想なら言える。俺は、それらのことが、そのままセリフで自分の耳に入ってくるのではなくて、映像や、もっと短い別のセリフの積み重ねで語られて、上記したセリフのようなことに、なんだか自分で気づいた感じになったとき、猛烈に感動してる気がする。

もしも、本作が、上記したセリフを丸ごと言うのではなく進み、それでいて、観終わったときに俺が
「ああ、俺は、死を怖がっていたんじゃなかったんだ。ひとつしかない命を生きることを怖がっていたんだな。生きるって、そうじゃないんだ。生き切って、引き継いでいくものなんだなあ・・・」なんてことを、考えるというか感じることができたら、それこそ最高の感動で映画館を出るだろう。

なので、本作は現段階では、まだ、"読むべきもの" になってしまっていて、"観るべきもの" にはたどりついていないように感じた。絵本になったけれど、アニメにはなっていないと言うか… 贅沢を言うな、という話なのだが、ジブリだと、そんなところまで期待しちゃうな、ということです。

ほんの少しの差だと思うが、吾郎監督にはまだまだ頑張ってほしい。こっちが考えたみたいに勘違いする映画を撮れるまで。

なお、終始一貫して、淡々と語る主人公は、感情移入できるキャラクターでは、ない。だが、今回の話が、影の話であって、本人というか光の部分は、霊魂のみとなって後から追いかけてきている、という以上はしょうがないのだと思う。ただ、感情移入できるキャラクターがいないと、寂しいことは確かだった。

追伸
ジブリの人たちは、みんなスプーンの持ち方が変。めっちゃグー握りするよね。

2020/7/13 追記
でも、よく考えたら、宮崎駿監督も、「千と千尋の神隠し」で、子どもの自立の話を撮ってるな。
enzvvot
enzvvot
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リバイバル公開で観賞
この作品を巡る評価は知っておりましたが
未見でしたのでこの機会にと思いました

感想としては
皆さんの言ってることがわかりました
ジブリ映画が期待される「ビジュアルを通じたメッセージ性」
をまるで感じることが出来ませんでした
足りないところをセリフで埋め
それでも何が言いたいのかわからなかった

父を殺すシーンも話題作りだったようですし
息子の初監督作品で終わってしまった作品という感じ

今回の公開で千と千尋の神隠しやもののけ姫と
同時にと言うのはあまりに酷な感じでした