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01月15日 1965 劇場で
花登筐の原作を花登筐と「ああ青春の胸の血は」の才賀明が共同で脚色「美しい十代」の吉村廉が監督した喜劇。撮影は「俺たちの血が許さない」の峰重義。
12月06日 1964 劇場で
花登筐の原作を花登筐と「ああ青春の胸の血は」の才賀明が共同で脚色「ポンコツおやじ」の春原政久が監督した喜劇。撮影は「赤い殺意」の姫田真佐久。
08月25日 1965 劇場で
花登筐の原作を、花登筐と、「東京は恋する」の才賀明が共同で脚色、「秩父水滸伝 必殺剣」の野ロ晴康が監督した“大日本喜劇”シリーズ第四作目。撮影は「悪太郎伝 悪い星の下でも」の永塚一栄。
08月13日 1964 劇場で
「人生劇場 新・飛車角」の笠原和夫と「御金蔵破り」の野上龍雄「博徒」の村尾昭が共同でシナリオを執筆「次郎長三国志」のマキノ雅弘が監督した侠客もの。撮影もコンビの三木滋人。
11月17日 1973 劇場で
男まさりで客気に燃える女が、命をかけ体を張ってひたすらに真実の愛を求めつづける激しい姿を描く。原作・脚本・監督は「宮本武蔵(1973)」の加藤泰、撮影は「放課後」の村井博がそれぞれ担当。
08月09日 1969 劇場で
マキノ雅弘が原作・脚色・監督し、永田俊夫が共同脚色した任侠もの。「続 女の警察」の横山実が撮影を担当。
04月28日 1971 劇場で
「日本侠客伝」シリーズ第十作目。脚本は、「博奕打ち いのち札」の笠原和夫。監督は「女渡世人」の小沢茂弘。撮影は「博奕打ち いのち札」の吉田貞次がそれぞれ担当。
09月29日 1973 劇場で
08月07日 1982 劇場で
第二次世界対戦を背景に、その時代を生きた政府、軍部、民間の人々の生きる姿を描く。脚本は「二百三高地」の笠原和男、監督も同作の舛田利雄、撮影も同作の飯村雅彦がそれぞれ担当。
03月10日 1966 劇場で
「日本侠客伝 血斗神田祭」の笠原和夫がシナリオを執筆、コンビのマキノ雅弘が監督したヤクザもの。撮影は「監獄博徒」の山岸長樹。
02月01日 1991 劇場で
昭和末期の東北を舞台に対立する二つの組織の間で揺れ動く若きヤクザの姿を描く任侠アクション。脚本・監督は新人の佐々木正人。撮影は「妖怪天国 ゴースト・ヒーロー」の佐光朗がそれぞれ担当。
01月30日 1965 劇場で
「日本侠客伝」のコンビ野上龍雄、笠原和夫、村尾昭がシナリオを執筆「日本侠客伝」のマキノ雅弘が監督した侠客もの。撮影もコンビの三木滋人。
08月12日 1965 劇場で
「日本侠客伝 浪花篇」ですでにコンビの村尾昭、笠原和夫、野上龍雄が共同シナリオを執筆、マキノ雅弘が監督した“日本侠客伝”シリーズ第三作目。撮影は「宮本武蔵 巌流島の決斗」の吉田貞次。
02月22日 1968 劇場で
「人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊」の棚田吾郎がシナリオを執筆し、「日本侠客伝 斬り込み」のマキノ雅弘が監督した“日本侠客伝”シリーズ第八作目。撮影は「任侠 魚河岸の石松」のわし尾元也。
12月03日 1970 劇場で
火野葦平の「花と龍」の映画化。脚本は「日本女侠伝 鉄火芸者」の笠原和夫、監督は「シルクハットの大親分」の山下耕作。撮影は「舶来仁義 カポネの舎弟」の吉田貞次がそれぞれ担当。
11月22日 1969 劇場で
藤本義一の原作『ちりめんじゃこ』を作者自身が脚色し、「コント55号 俺は忍者の孫の孫」のコンビ福田純、逢沢譲が監督、撮影を担当した喜劇。
08月01日 1969 劇場で
ベテラン八住利雄がシナリオを執筆し、「連合艦隊司令長官 山本五十六」の丸山誠治が、メガホンをとった戦記もの。特技監督は「怪獣総進撃」の円谷英二、撮影は「肉弾」の村井博が担当した。
01月28日 1967 劇場で
「任侠柔一代」の中島貞夫と「兄弟仁義」の鈴木則文が共同で脚色し、マキノ雅弘が監督を担当した“日本侠客伝”シリーズ第六作目。撮影は「怪竜大決戦」のわし尾元也。
09月15日 1967 劇場で
「侠客道」の笠原和夫がシナリオを執筆し、「昭和残侠伝 血染の唐獅子」のマキノ雅弘が監督した“日本侠客伝”シリーズ第七作目。撮影は「博奕打ち 不死身の勝負」の山岸長樹。