女はそれを待っている
プロット
スウェーデン
09月03日 1960 劇場で
流れる星は生きている
プロット
日本
09月18日 1949 劇場で
“それ”がいる森
プロット
日本
09月30日 2022 劇場で
歌っているのはだれ?
プロット
ユーゴスラビア
09月29日 1984 劇場で
そして僕は途方に暮れる
プロット
日本
01月13日 2023 劇場で
アンナ・カリーナ 君はおぼえているかい
プロット
フランス
06月13日 2020 劇場で
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ボーはおそれているコメント(16)
迷子になると子どもは不安になるが、何度もそういう経験をすると迷子状態に慣れてくる。自分からデパートの然るべき所に行って「迷子になりました」と告げて自分の名前と年齢、母親の名前、住所などを言う。なぜ迷子になるのか?母親が子どもの手も繋がず振り向きもせず、満員のデパート地下フロアを先にどんどん歩むからだ。子どもにとって昔のデパ地下には夢のようなお菓子やディスプレイが山のようにあった。だから立ち止まりたい。そういう子どもの気持ちを母親はまるでわからず理解しようともしない。想像力の欠如。
迷子アナウンスが流れてしばらくすると鬼の形相の母親が来る。迷子になった子どもをやっと見つけて母親は嬉しい顔もしなければ心配してたんだよ、とも言わない。子どもだって母親の顔が心配とほっとした顔でなくて怒っていることは見てわかるから、嬉しい顔もしないし泣いたりもしないし、まして笑顔になる訳もない。なんで迷子になるのよ、ちゃんとついて来ないからでしょ、と言いながら母親は子どもをつねるのだ。
そんな子どもの頃の迷子話を大人になって母親にしても忘れている。か、忘れたふりをする。迷子話以外でもとにかくよくつねられた。夫や姑や舅との関係でイライラしていたんだろう。まだ20代の若い母親。かわいそうに。でも子どもの私もかわいそうだったのだ、と言いたい。
自分はこれこれのつもりなり意図をもって何か話したり行動するけれど、必ずしも親なり家族は同じように理解してくれるとは限らない。それは相手もそうだろう。自分だって親や家族や親戚のことを「正しく」理解しているとは限らない。だからボーは誤解されるのだ。誤解されるから不安でいっぱいになってしまうのだ。
不条理な不安でいっぱいのホアキンの顔、情けなくも笑うしかない。咆哮ばかりのメノーシェ、可哀想だけど笑えて仕方なかった、でもいい役だった!最後かっこいい!そしてボー、Wassermannは水に戻った。
アメリカあるあるを一通り体験出来てお腹いっぱいになった後の葬儀。
トンネルに始まりトンネルで終わるアナロジー?,メタファー?
かと思っていたらんーん。
面白い映画だけどんーん。
4つのシーンにざっくり分けられる。
3つ目が一番眠かった。
マライアキャリーの音楽の使い方が生々しかった。
誰か全シーンちゃんと説明して。
結局、何が言いたいの?
ホワキンくんの演技も見応えあったし。
ただ、時間と金を返せ!と思う人は少なからずいるはず。それくらい、訳判らん話でした。
この監督さん毒親に育てられて、それがトラウマになってるのかな?
日常の些細な事、この後どうなるみたい事も全て悪い方で考えてしまう男ボーの話。
先程まで電話でやりとりしてた母親が突然の怪死、翌日母親の元へ帰ろうとするも、深夜就寝中のゴタゴタ、朝出掛ける際の鍵とバッグの盗難と思う様に動けず…風呂に入ってると上から降ってきた変な奴と鉢合わせ、慌てて家出たら車で跳ねられたちゃったボーのストーリー。
ボーの住む家の外で全裸で踊るオッサン、まずニューステロップのしたからポロリからのテロップなしでのポロリ。
慌てて家から出て車に跳ねられボーの玉ポロリ、「んっ?何か玉でかくね?!」何て思ってたらその伏線であのオヤジっすか?!(笑)
とりあえずリアル描写と妄想描写が切り替わるし、その描写がどっちなのかが分かりにくい為、ストーリーが掴みづらい印象でした個人的に。
ちょっとおかしな世界観を作ろうとする製作側の考えは分かるんだけど、もうちょっと分かりやすく観やすくしてほしかった。