50% 欲しいです,合計 138
レビュー | 共有する
欲望の谷 プロット アメリカ 02月08日 1955 劇場で
欲望の法則 プロット スペイン 05月01日 1990 劇場で
女狐の欲望 プロット イタリア・スペイン合作 07月01日 1989 劇場で
欲望(2005) プロット 日本 11月19日 2005 劇場で
欲望(1966) プロット イギリス・イタリア合作 06月03日 1967 劇場で
ビジター 欲望の死角 プロット アメリカ 11月13日 1993 劇場で
欲望の翼コメント(20)
この映画の登場は衝撃的だった。それまで見ていた香港映画のイメージを覆し、新しい感性を持った才能が現れ、新世代の香港映画の誕生を世界に知らしめたのだ。そして、俳優たちの美しさを永遠にフィルムに焼き付けた作品としても語り継がれるべき傑作である。
「今夜、夢で会おう」「1960年4月16日、3時1分前、君は僕といた。この1分を忘れない」こんなキザなセリフから始まる本作は、デビュー作「いますぐ抱きしめたい」(1988)に続くウォン・カーウァイ監督の長編第2作。1960年代の香港を舞台に、若者たちが織り成す恋愛模様を描いた青春群像劇だ。レスリー・チャン、マギー・チャン、カリーナ・ラウ、アンディ・ラウ、ジャッキー・チュン、そしてトニー・レオンという当時の香港映画界を代表するトップスター6人が競演し、「あの時にしか生まれ得なかった」と言われるほどの奇跡的な映画である。
冒頭、タイトルとともに熱帯雨林がゆっくりと映し出され、じっとりとした高温多湿な雰囲気が作品全体を覆う。脚本も手がけたカーウァイ監督は、時間や数字へのこだわりをみせ、文学的なセリフと構成、モノローグを多用した語り口が特徴だ。さらに撮影監督クリストファー・ドイルのスタイリッシュな映像美とカメラワーク、ウィリアム・チャンの美術、そして印象的なラテン音楽が融合し、カンフー映画やノワール映画では見たことのない、独特なスタイルを提示。映画からはその“熱気”が伝わってくる。
赤や、青のイメージの映画もあるが、この映画はウォンカーワイグリーンの世界。
心の中のウエットな部分が、じとっとした、森林の緑と溶け込んでゆく。
時計を拭く、床も拭く、香港での生活は現実的だ。
鳥に脚は無いが、欲望の翼は付いている。
地に足を付けた生活ができない脚のない鳥にも欲望の翼だけは付いていた。
この鳥が主人公を象徴している。
人は本当は地に足を付けた暮らしをして、望まれる場所で生きた方が幸せだ。望んでくれる女は育ての母を含めれば3人もいるのだから。
しかし欲望の翼は、望まれてもいない産みの母を探しに飛び立ってしまう。
まるで飛び立つ先は楽園であるかのような欲望を抱き嫌気のさした香港を捨てて。
美しい産みの母のなんと残酷なことか。
愛してあげてそこで着地させてあげて欲しかった。そこに楽園はなく、翼を翻すしかない悲しさ。
自分も産みの母に顔を見せてやらないと負け惜しみのひとつも言って後は、自暴自棄になるしか道はなく金もパスポートも失い…
列車が次の駅に到着するまで時間は12時間もたっぷりあったのだ。
報復に合って撃たれるのに1分もかからなかった。
一生に1度しか着地出来ない脚の無い鳥は生きていればやりたかったことに思いを馳せてスーとの1分の時間を思い出しながら着地し命を終える。
最期を見届けてくれた船乗りに感謝。
警官をしていたことも船乗りになった事も不思議な縁だ。
行動力のあるミミがせっかくやってきたのに、列車は走り去る。
他の鳥たちは脚が付いているので、やり直せるさ。着地してまた飛べばいい。
個人的には勝気でチャーミングなミミにも清楚な待つ女スーにも、幸せになってもらいたい。
望まれる場所は2人ともそれぞれある。
愛してくれる男の元で望まれて生きて欲しい。
最後のくわえタバコのトニーレオンの身支度は、客船の中だろうか。
船は香港に到着したようだ。
船乗りも一旦船を降りてサッカーを観にいってスーと再会してほしい。
ミミもいつか車を売って空に飛ばせてくれた男を思い出して香港に戻って来て欲しい。
2020年になって、久しぶりに観た。悲しい鳥に思いを馳せて。
もう、レスリーチャンもこの世にはいない。
香港もこの頃と随分変わってしまっただろう。
この映画を初めて観た頃に比べると、自分の残りの人生もだいぶ少なくなってきた。
1分が2分になり2分が1時間になるような最初の1分の時を大切にしようと思う。
映画をこんなにもかっこよく
撮れる監督は他にはいない
仕草や台詞が最高にかっこいい
淡いグリーンの世界で男女の恋愛劇と
アメリカンニューシネマを思わせるラスト