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モリコーネ 映画が恋した音楽家コメント(20)
数々の映画音楽生み出したモリコーネ。
それぞれの映画の関係者と本人が登場し、彼の仕事ぶりを過去のエピソードを交えながら語ります。そして、スクリーンには出来上がった美麗な映像と音楽が映し出されます。
名作映画のPVを最高の解説付きで見ているような感覚であっという間の二時間半でした。
見終わった後には、一作の映画に秘められる芸術的価値を改めて考えずにはいられなくなるような作品でした。
曲を聞いて彼の曲だとわかるのがスゴい!
- 年代的に今作品でモリコーネが関わった映画の半分も観ていない。が、今作品は私には大変面白かった。-
◆感想
・若きモリコーネがトランペット奏者だった父親から医者に成りたかったのに、トランペット奏者になる過程。
- 彼が入学した音楽院でも、秀でた存在ではなかった事には、驚いた。そして、彼の終生の師であったペトラッシも、最初は彼を軽んじていたという・・。ビックリである。モリコーネは、努力の人だったんだ。-
・そして、ペトラッシの指導で作曲家としての実力をつけながら、小学校時代の同級生だったセルジオ・レオーネの「荒野の用心棒」や、「夕陽のガンマン」での口笛が印象的なメインテーマや「続・夕陽のガンマン」でのコヨーテの鳴き声から着想した印象的なイントロのメインテーマなどにより、確固たる地位と築きながらも、映画音楽である事で当時のクラシック音楽界からは、認められなかった事。
・だが、その後も映画音楽を作り続け、到頭、世界の音楽家、ロックミュージシャンたちや、タランティーノを始めとする、アメリカの映画監督からの多大なる支持を得て行く姿。
ー ブルース・スプリングスティーン、ジョーン・バエズ、ポール・シムノンは分かるが、あの変態ロック男、マイク・パットンが登場した時はビックリしたなあ。フェイス・ノー・モアだよ!モリコーネの楽曲が如何に広範囲の人々から受け入れられて行ったことが良く分かる。
・だが、ナカナカ、アカデミー賞には手が届かなかった(というか、劇中ではアカデミーが彼の魅力に付いて行けなかったと語られる。)彼が、2007年にアカデミー賞名誉賞、そしてタラちゃんの「ヘイト・フル・エイト」で到頭、アカデミー賞作曲賞受賞である。凄いモノである。
ー 名誉賞を取った時の、妻マリアに対する謝辞のシーンは沁みたなあ。
あと、タラちゃんの「ヘイト・フル・エイト」のパンフレットに記載された”マカロニウエスタンどんだけ好きなんだ!”リストも懐かしく思い出す。-
■劇中、モリコーネは自身が作曲したどんな楽曲でも直ぐにメロディを口ずさむ。
又、曲調の幅広さにも、舌を巻く。
若き頃に、即興音楽に傾倒した事も、大きいのだろう。
<今作は、ドキュメンタリーとしては、異例の尺の長さの作品であるが、それを全く感じさせない実に面白き作品であった。
それは、勿論、エンニオ・モリコーネの曲が素晴しい事と、彼を称える多くの映画監督、音楽家、ロックミュージシャンのインタビューが面白い事。
そして、劇中に登場する数多くの未映画が魅力的だったからである。
明日から少しづつ、モリコーネが音楽を担当した未鑑賞映画を観ていく積りである。>
絶対音楽からその音楽人生をスタートさせながら、映画音楽を生業にしていく中で、そうしたかつての仲間・同業者からは蔑まされてきたわけで、そして何より自分自身がそのことに長年折り合いを付けられてこなかった証明。もうやめるとは言わない。実験音楽も好み、そうした部分が、思いもよらない音楽的組み合わせなどを実現する手助けになった。よく取り逃しを叫ばれるアカデミー賞だけど、彼も6度目のオスカーノミネートにしてやっとの受賞。遅すぎる。だけどこうして見てみると、やっぱり全てつながっているのだな、と。受賞作品は言わずもがな彼を敬愛するタランティーノの『ヘイトフル・エイト』で、モリコーネなりの西部劇へのリベンジ。
彼の影響は今日において益々力を増すばかりだ。若者が新しく見つけては、ポップカルチャーの隅々にまで浸透しているし、今後もそれは続いていくだろうと確信できるような画期的・普遍的発明の数々に高揚し、時に涙し、そして震える。本作を見て彼の音楽を聴き直し、彼の務めた映画をまた見直したくなった。
P.S. GAGAがただの配給じゃなくガッツリ製作に絡んでそうで少し感心した
名シーンの数々が大きなスクリーンに蘇る興奮!
映画マジックの裏側を知って、更に鳥肌が立ちました。
日本未公開映画のレアな映像も必見です!
モリコーネがトランペッターになっていたら、映画音楽の位置付けはずいぶん変わっていただろう。少なくとも音楽が映画に与える影響の重要性に気付くのが10年は遅れただろう。….いや。むしろモリコーネが映画音楽の進歩を早めたのか。
テーマを的確に捉えてそのシーンで観客が辿り着くべき感情をアシストする。
時には監督のプランよりも的確に。
アプローチも多種多様で、シーンの効果音まで担うような映像の動きとピッタリ合った音楽だったり、映像の印象とは真逆の音楽だったり。
例として出てくる映画のシーンがとてもわかりやすいので、ぜひ見ていただきたい!
モリコーネの映画音楽は、そのフレーズを聴くだけで映画のシーンがよみがえる。
なんなら、その1フレーズだけで映画全体の印象が鮮やかによみがえることすらある。
“印象深い” “印象に残る”ということは、観客がそこに何かしらの違和感や引っ掛かりを感じているからだと気づきました。
たとえば、とてもナチュラルにシーンに溶け込んでいる映画音楽は、観客の心理に影響を与えてはいるが強烈な印象としては残らない(←これも素晴らしい映画音楽と言えますが)
実験音楽やノイズミュージックを主戦場としていたモリコーネにとっては、違和感のバランスを取るのはお手のもの。
モリコーネにとって映画音楽は、自由に本領を発揮出来るジャンルだったということでしょうか?
だとしたら運命の出会いですが、むしろ自分がやりたい音楽を映画の世界に持ち込んだのかも??
映画のスタッフはみんな、監督の表現したいことを理解して理想に近づける為に最善を尽くす職人集団だと思っていましたが、モリコーネは表現者として監督ともセッションしていたのだと感じました。
実のところ映画製作の過程では、映画音楽に限らず様々なジャンルのプロフェッショナルが集まっていて、それらがみな要望に応える職人であり、要望を超えた自分の作品を作る表現者でもあるのだなぁ。
よく「映画は総合芸術だ」と言われるのが腑に落ちました。
モリコーネの驚くべき仕事の数々のなかでも一番の貢献は、映画音楽の作曲家のステータスを上げたこと。
映画音楽界で偉業を成し遂げ、後に交響曲でも評価されるまでになるのですが…
音楽に対する挫折やコンプレックスが、自分に与えられた映画音楽という仕事を価値あるものに変えようとする底知れぬパワーの原動力になったように感じます。
人生に無駄な体験など何一つない。
そんな風に思える素敵な映画でした。