独裁者と小さな孫
プロット
ジョージア・フランス・イギリス・ドイツ合作
12月12日 2015 劇場で
独裁者たちのとき
プロット
ベルギー・ロシア合作
04月22日 2023 劇場で
孤独の暗殺者 スナイパー
プロット
フランス
05月30日 2015 劇場で
バナナシュート裁判
プロット
日本
03月25日 1989 劇場で
ニュールンベルグ裁判
プロット
アメリカ
04月28日 1962 劇場で
メーデー裁判
プロット
日本
01月01日 1969 劇場で
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独裁者コメント(20)
って、そんなコト言ってられないね。ヒトラー全盛と言っても過言ではない1940年に、こんな作品を作り上げちゃったチャップリンは凄いどころじゃないわ。
ただ、凄いは凄いけど、面白いかと言われると、
それは別。テーマ的に両立は難しいわな(^_^;)
改めてみてセットやロケシーンの美術がものすごく手が込んでいる事に驚かされた
ナチスによるユダヤ人迫害の映画は実に沢山の作品がある
しかしそれらは全て戦後のものだ
本作は1940年の作品だ
正に現在進行形の中で作品にされているのだ
そこが決定的に違う
他にはないのだ
ファシズムを阻止して民主主義を守れ
ラストの有名な演説シーンがもちろんテーマだ
だから本作の役割は第二次世界大戦の終結を持って終わった
21世紀に生きる私達にとっては、あの当時はそうだったんだ、ふーん
チャップリンのギャグは面白いなあ
それだけだろうか?
80年が経ってまた強烈なメッセージを放ちはじめてはいないか?
敵国の首相はまるでトランプ大統領だ
迫害されるユダヤ人はチベットやウイグルの人々そのままだ
ゲッペルスに相当する幹部が述べる独裁が民主主義に勝るとの演説は中国共産党の言説そのままだ
そう独裁者は習近平だ
進駐され征服されるのは台湾かも知れない
いや日本かも知れない
コロナウイルス禍はいつか終息するだろう
その時独裁国家の中国がいち早く復興したとき中国が世界の覇権を握るとしたらどんな恐ろしい世界が訪れるか知れたものではない
コロナウイルス禍より恐ろしい残酷な世界になるだろう
今こそチャップリンのラストの演説を聴くべきだ
独裁者を打倒して民主主義を守らなければならない
喜劇の対義語は何だろうか?
もちろんすぐに出てくる単語は悲劇だ。しかしこの作品を観た後だと喜劇の対義語は戦争なのではないかと思う。
じゃあ悲劇はなんなんだ?自分は悲劇は喜劇の類義語だと今は思う。誰かにとっての悲劇は誰かにとっては喜劇にもなりうるからだ。この作品はそれを教えてくれた。独裁者のチャップリンが最後の方で兵士に理髪師のチャップリンと間違えられた。これは独裁者のチャップリンからすれば"悲劇"だ。しかし、その他のユダヤ人であったり、兵士などにとっては結果的に"喜劇"となった。
このように喜劇と悲劇は紙一重だ。
じゃあ喜劇の対義語は?それが戦争だ。
戦争が喜劇の対義語だといいことは、今作や「この世界の片隅に」や「ジョジョラビット」などの作品も証明している。
その喜劇と戦争を何十年も前に扱ったチャップリンはやはり凄い!
彼は偉大なるコメディアンであり偉大なる道徳者だ。
面白く作りながらも「ここがダメだ!」というメッセージが散りばめられている。
ラストの演説はチャップリンの心の叫びだったのだろうと感じた。
現代でこそ、批判や風刺ができるが、この時代にこれを作ったチャップリンは本当に偉大だと思う。