本作が長編デビュー作となるスペインの新人女性監督カルラ・シモンが、自身の幼少期の体験をもとに、思春期前の少女の繊細な心の機微を、カタルーニャの風景を舞台に描いていく。2018年アカデミー外国語映画賞スペイン代表作品。両親をある病気で亡くしたフリダは、若い叔父夫婦のもとで暮らすこととなった。叔父と叔母、そしていとこのアナは、バルセロナからカタルーニャの田舎へと引っ越してきたフリダを家族の一員として温かく迎え入れてくれるが、フリダたちが新しい家族として生活するためには、お互い時間が必要だった。初めて生と死に触れた少女の特別なひと夏をみずみずしく描き、ベルリン国際映画祭やゴヤ賞で新人監督賞を受賞。第71回カンヌ国際映画祭では、映画界で活躍する女性をたたえる「ウーマン・イン・モーション・アワード」などを受賞。
悲しみに、こんにちはコメント(20)
完全にネタバレなので、細かくは書きませんが、最後にホッとします。
両親が亡くなった幼いフリダが、母親の妹夫婦に引き取られ、家族になって行くという物語。フリダに対して優しく接する妹夫妻、フリダに懐く一人娘のアナの生活シーンがほとんどだ。
王道ネタだけど、スペインの田舎の風景と、その周りの人達の関係が少しづつ変化して行く様を、優しくのんびりと綴った映画だ。まぁ、見方によっては退屈なのだけど、フリダの振る舞いや、少し達観したような目が、印象に残る。内容は全く違うが、今年の傑作「フロリダ・プロジェクト」と同じような撮り方だ。
子供が子供らしくいられる環境って、大事ですよね。
最初は飽きそうな予感がしていたけど、めちゃくちゃ綺麗なシーンと繊細な感情表現をセットで惜しみなく重ねられていくうちに、この映画に惹きつけられていた。ここまでされると飽きることはできないなぁと思った。
この映画全体を覆っている不安定で簡単に壊れそうな関係性や感情を微妙なラインで保ち続けるのには、この主役の女の子の存在は絶対に欠かせないと思う。
ほとんど説明的な台詞や行動はないのだが、主人公フリダの親を亡くした大きな不安と、それに必死で耐えている小さな心の動きが非常によく見て取れる。弱く、残酷で、臆病で、思いやり深く、狡猾で、誰かの庇護を求めていることがすべてスクリーンに映しだれている。
一人の人物の心情を描いた映画として、出色の出来である。
だがしかし、正直に告白すると、昼食後の睡魔に耐えられず、最初20分は意識不明、気付くと主人公の両親がどうなったのかも分からないが、親戚宅に女の子が預けられていた。
そこからの鑑賞でも、十分にフリダの気持ちに寄り添うことができたのは、やはりこの作品の一つ一つのカットに説得力があったからだろう。
今年1番の作品。と評価するからには、再鑑賞は必須である。
そして、二度目の鑑賞。
今年一番の収穫である。
そのことを判断するために、再び劇場で鑑賞。
二人の女の子が実に自然で、芝居ではなく、実際にその場で起きていることを撮影したように見える。知らずに観ればドキュメンタリーかと見紛うであろう。
特に、主人公のフリダとの係わりが最も多いアナの、幼さゆえに伝える言葉を知らない無言の瞬間が素晴らしい。彼女のこの時の視線が、この作品の味わいを決定付けていると言ってもいい。
もちろん、母親を亡くしたフリダの、様々な感情を整理できないでいる不安定さも、芝居には見えない現実味を湛えている。この彼女の演技が映画の骨格であることは間違いないが、相手役アナの反応があればこそ成り立つ。
いったい、この幼い二人のキャストからどのようにしてこの芝居を引き出したのか。もしかしたら、二人にはシナリオなど与えていなかったのではないか。
つまり、あの二人にはそもそも演技をさせていないのではないか。
子供たちを遊ばせておいて、カメラを回す。撮れたものを編集して、ストーリーに組み込む。撮影の能率は悪いが、そうでもしなければ彼女たちの、あの自然な様子をカメラに収めることなど出来ないのではないか。
だが一方で、ラストのフリダが泣くシーンは、自然に待っていたのでは撮れないだろう。
監督は必要な表情を引き出すために、様々な方法をその時々選びとったのではなかろうか。この細やかな演出の仕事をやり遂げたカルラ・シモン監督に脱帽する。
大変な力作である。
ストーリーに起伏が乏しいのでやや退屈であり、昼食後の眠くなる時間帯に見たこともあって少し寝てしまったが、結末ではボロボロ泣いた。邦題の「悲しみに、こんにちは」の意味は、映画の始まりではなく、終わりで明らかにされたのである。
もちろん、泣かせの演出は一切なし。子供の目線で日常を淡々と描いているだけである。ここにあったものは映像でしか表現できない世界であり、このような作品があるから映画は素晴らしい。
(ちなみに原題は「1993年の夏」である。これは正しい邦題変更であると思う。)