シークレット・ジョブ
プロット
韓国
07月24日 2020 劇場で
シークレット ウインドウ
プロット
アメリカ
10月23日 2004 劇場で
オフィシャル・シークレット
プロット
イギリス・アメリカ合作
08月28日 2020 劇場で
シークレット(2010)
プロット
韓国
08月21日 2010 劇場で
シークレット・ガーデン
プロット
イギリス
09月30日 2022 劇場で
シークレット・サンシャイン
プロット
韓国
06月07日 2008 劇場で
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シークレット・デイコメント(12)
・それぞれの心の闇と歪んだ関係が事件にどう絡んでいくのか観ていて引き込まれていった。
・ロニーのことをもう少し知りたかった。尖っているけど心優しい部分もあるように感じたけど、どんな娘かもう少し掘り下げてもらえたら感情移入出来たと思う。
・女性刑事が過去の事件で苦しむ理由が分からない。
Brimstoneはいいけど重い。Please Stand Byは軽いが楽しい。が、Zygoteというショートフィルムで見せた恐慌の演技は凄かった。あんな千手観音ていうか手どころか足も目も頭もぜんぶなばけもんに追われてたら、そうなるわなとはいえ、大仕掛けのVFXとはいえ、ほとんど追われるダコタファニングだけで魅了せしめているのであって、その恐慌演技の迫真度は凄かった。かんがみれば子役から数えるとき既に20年の大ベテランなわけである。
女子高生の無駄づかいというタイトルのドラマを見つけたのだが、これはおそらく女子高生が無駄遣いをするという話ではなく、女子高生を無駄遣いしているという話であろうかと思う。とすれば、この作者には女子高生が希少や価値の高いものである──という見地があるに違いない。しかし、その見地がない観衆にとってみれば、女子高生の雇用創出である。現代社会というものは、益体もない女子高生に、ありったけの希少と価値をぶちまける不思議なリテラシーを持っている。それは女子高生自身が呆れる類のものだ。
一方、ファニング姉妹には、ファニング姉妹の無駄づかいとタイトルし得る映画が存在する。なにせファニング姉妹である。ワンスアポンでさえ、映画牧場のヒッピーの母親分だが、注意しなければ解らないほどのちょい役だった。本作にも無駄遣いの気配があった。本国の批評はこけているが、たんたんとベーグルを売っている、寡黙なダコタファニングはかっこいい。囲み目メイクで、ひっつめ髪で、黒いチョーカーを着けている。寡黙を裏付けるマイルドなゴシックだった。
こけた原因はキャスティングが大きい。アマンダ役をDanielle Macdonaldがやっていて、彼女に罪はないのに、残酷な対比を呈してしまうのである。なにせアマンダの母親がダイアンレインである。ロニーはダコタファニングである。完全に暴れた配役だったが、アメリカの批評家たちは、迂遠な言い方をしていた。そこに公開処刑だの、Danielle Macdonaldを責めた言及をすると、彼らの人口の4割を数える肥満の人々を刺激してしまうのである。いや、美醜を置いても、Danielle Macdonaldが出ずっぱりで、はるかに先輩格のダコタファニングが殆ど出てこない、不可思議な映画だった。すなわちファニングの無駄遣いだった。
ときどきポータルに黒い砂漠というゲームのバナー広告を見かけるのだが、そのキャッチコピーに、この世界には脇役なんて一人もいない、とある。ごく冷静にみて、これは、プレーヤーは脇役でありそれを慰撫するためのコピーと捉えるべきだろう。
ましてゲームは仮想世界であり、脇役にすら届かないカスタマーである。この矮小な存在は、慰めて、慰めきれるものではない。だからこそ、この世界には脇役なんて一人もいないと壮語しているわけである。
キムオクビンとチェソジンの姉妹、広瀬姉妹や上白石姉妹、ファニング姉妹。彼女らを見ると、世の中には恵まれた人がいるなあと、妙に率直すぎる感覚に捕らわれることがある。脇役に甘んじることにはやぶさかではないが、いい年こいておきながら、なんか圧倒的な星の差みたいなものを感じることはある。その青さに抗うときDanielle Macdonaldがすてきに見えるが、目でなく観念がそう見るのだ。