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アメリカ
02月02日 劇場で
METライブビューイング2023-24 ダニエル・カターン《アマゾンのフロレンシア》
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02月02日 劇場で
マイセルフ
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02月02日 劇場で
夜明けのすべて
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02月09日 劇場で
ザ・パイロット
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02月16日 劇場で
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Mommy マミーコメント(20)
まず最初にこの映画を見て出てくる言葉は、美しい。そして最後に出てくる言葉は、美しい。映画が始まって、私が死ぬまで私の中でこの作品は美しいの定義となるでしょう。
撮影
今作で最も目に止まるのは、何と言ってもアスペクト比。このアスペクト比を採用したことは、この作品の全てにつながっていて、フレーミングの美しさが際立っっていました。
1:1の正方形の画面では、幅広いのが映画という、これまでの常識が通用しない世界。映画の特徴とも言える画面いっぱいのに広がる景色や、3ステージを使ったストーリーテリングなどの映画の最大のパワーを捨てててまで採用したアスペクト比。しかし、彼はさらに新たな方法を発明することでさらに強力なものへと仕上げました。それがフレーミングの決まりを作るということ。この作品の90%のフレーミングがキャラクターが真ん中にいるというもの。たとえ会話のシーンであっても、キャラクターは常に真ん中。ウェスアンダーソンのようなシンメトリーの構図に加え、彼がストーリーテリングの方法として用いたのは、サイズ。単純に、ワイド、ミディアム、ミディアムクロースアップ、クロースアップdすが、そのサイズの違いを主体としてキャラクターアークを作る。それによって、この正方形の狭いアスペクト比をつかって、塞ぎこんだ感情と、寄添い合う愛情の2つを表現したのです。これはまさに発明。まぁもうドランは一生使わないだろうけど。会話でのシングルと、写真を撮るときの3人が1つのフレームに入るワイドのコントラストがとても強力。まさに、ビジュアルストーリーテリング。
それに加えて、フィルム特有のハイライトカラーの使い方、ししてエピックなライティング、アンドレターピンお天才か。
編集
編集者としてのドラン。フレンチニューウェーブに強く受けた編集スタイルだけでなく、私の好きなところは、間の取り方。怒涛の口喧嘩の後にくるのボイスオーバーのモンタージュや叙述的なショットを並べた音楽主役のシーンなど、ドランの作品には欠かせない要素。そのまさに芸術とも言える、意識の枠を超える、感覚の部分で脳に、心に強く印象に残るシーンは最高。このストーリーが一旦止まり、感情に深く入って行くところは、ヒューマンドラマではなくてなはらないもの。ドランはその入れ方、そこへの持って生き方が天才。泣かないわけにはいかない。
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この映画、ほぼずっとアスペクト比1:1のスマホの画面のような狭い画面で話が進行する。画面が狭い時ってだいたいその中の人がいかに狭い世界で息苦しく生きているかを表してるんだけど、2回そのアスペクト比が広がるシーンが出てくる。
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最初のテロップからもうこの3人が良いエンディングに向かうことは何となくわかっているからこそ、その画面が広がるシーンが泣ける。
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画面の比率だけじゃなくて、ほとんど画面に一人しか映らない中、いつ誰が同じ画角に収まるのか、誰と誰が絶対に同じ画角に入ることがないのか、全部が計算されてる。
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グザヴィエドラン監督、音楽の使い方がやっぱ上手いよな〜.
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あとは私の中の青いポスターの映画だいたい面白い説にまた1つ作品が加わりました(笑).
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スクリーンサイズが1:1という、TVではちょっと鑑賞しにくい画面。アップになると表情がわかりやすいけど、どことなく絵画的であるのも面白い。
火災を起こして施設を追い出されることになったスティーヴ(ピロン)。最初から黒人のタクシー運転手とトラブルを起こし、職場についたダイアンは突然の解雇。普段は優しい子なのだが、注意欠如・多動性障害というスティーヴは時折暴力的になるのがやっかいだ。父親が死んでから一人で育ててきたが、今は子供向けの翻訳の仕事を見つけたダイアン(ドルヴァル)。
そんな中、隣人のカイラ(クレマン)と仲良くなるが、彼女もまた教師でありながら2年前から言語障害を患い、長期休職している。次第に交流が深まると、スクリーンサイズは普通のビスタサイズに戻るが、放火によって傷を負った家族から25万ドルを請求する訴状が届き、再び暗い1:1の画面に・・・そしてスティーヴがスーパーでリストカットして登場人物の心が揺れ動く。問題を抱えながらもドライブに出かけ、そこでまたビスタサイズになるという、心理描写をスクリーンサイズに投影しているのだ。
そんなスティーヴを結局は施設に入れる決断をするダイアン。母と息子の心理もよくわかるけど、実際に知的障がい者が身近にいないので隣人カイラの気持ちがより伝わってくる。
母一人子一人で互いに溺愛しあい依存しあって生きてきた。だが、息子の自分の思い通りにならないと癇癪を起こす激しい気性は成長期に入って大人の手に負えなくなり、母親は疲れ果ててしまう。こんな子いなければとさえ思う。その過程の描写が細かく説得力があるので分かりみが深過ぎて哀しくなる。途中、第三者の隣人の女性が加わるという変化もあったのだが…。
ドラン監督らしい若々しいラストの演出が鬱積した暗い気分を少し軽くしてくれたのはよかった。また、息子役、隣人役共によかったが、母親役の演技力が特に光った。
それに振り回される母とのいざこざで、
内容に、得も言われぬ閉塞感がありました。
この閉塞感に、映像表現とBGM(有名な洋楽)を舞台装置として使い
視聴者を引き込み、心を揺さぶる
素晴らしい映画でした。