コリン・ファースとスタンリー・トゥッチがカップル役を演じ、20年の歳月をともにしてきた2人が思いがけず早く訪れた最後の時間に向き合う姿を、イギリスの湖水地方の美しい風景とともに描いたヒューマンドラマ。ピアニストのサムと作家のタスカーは互いを思い合う20年来のパートナーで、ともにユーモアや文化を愛し、家族や友人にも恵まれ、幸せな人生を歩んできた。ところが、タスカーが不治の病に侵されていることがわかり、2人で歩む人生は思いがけず早い終幕を迎えることとなる。最後の最後までともに生きることを願うサムと、愛しているからこそ終わりを望むタスカー。それぞれが相手を思う2人は、ある決断をするが……。無口で不器用だが熱い情熱を胸に秘めたピアニストのサムを、「英国王のスピーチ」でアカデミー主演男優賞を受賞したファース、人をひきつける才能を持ち周囲に笑顔をもたらす作家のタスカーを、「ラブリーボーン」で同助演男優賞にノミネートされたトゥッチが演じる。これが長編2作目となる新星ハリー・マックィーン監督が、オリジナル脚本で撮り上げた。
スーパーノヴァコメント(7)
C.ファース演じるサムとS.トゥッチ演じるタスカーの夫婦愛の話である。
病名は確か作品では明かされてなかったと思うがタスカーは不治の病を患い記憶も次第に薄れていきあとは死期を待つ状態となる。
そんな中2人はサムの故郷に旅をし、サムの親族達と触れ合いながら苦しいひと時を少しでも紛らわしながら前向きに過ごそうとする。
そんな中終盤にはタスカーが記憶もなくなり体も自由に動かせなくなり全てをサムに任せっきりな生活を送るこの先の事を見据え、それらを拒絶し自殺する決断をしていることをサムは知る事となる。
もちろんサムはタスカーの決断を最初は否定するも否定し言い争う時間すら無駄に感じこの一瞬一瞬を大切にしようとしながら作品は終わる。
ファースとトゥッチの掛け合いは非常に美しくそして繊細さも見せてくれ非常に魅了された。
LGBT作品ではあるが自然な感じがあり比較的ポプュラーに見られる作品にも思える。
ストーリーは正直あまり理解が追いつかなかったかな。タスカーが病気でサムの故郷を訪れるストーリーではあるがそれ以上になにか展開が待ってるわけではない。
彼らの会話劇が中心になるのだが、彼らの人物像だったり背景が丁寧に描かれているわけでもない。
残り少ない時間を愛し合う者同士が過ごす淡いストーリー以上のものは無く少し退屈さを感じてしまった。
主役の2人の演技を楽しむ事においては十二分に楽しむ事ができた。
彼らのファンには勧めることのできる作品ではある。
スーパーノヴァの NOVAとは、新星のことで、それにスーパーが付くから「超新星」。星がその核の原子力を失うと、爆発して粉々になって滅ぶがそのときの光は太陽よりも明るい光となって消えていく。その大爆発を超新星爆発という。銀河系の中で起きる超新星爆発による衝撃波は、星どうしの密度に揺らぎを生み出し、新たな星の誕生を促すのだそうだ。私たちが何気なく夜空を見ていて、強く光を発する星があるかもしれない。その時私たちは何千億光年という遠い昔に激しく瞬いて、光と共に消えて行った星の残骸を見ているのかもしれない。残骸は周囲のガスに衝突して断熱圧縮されて高温を維持する。そして高温を維持できなくなるまで数万年輝き続ける。ふたご座にも、おうし座にも白鳥座にもその残骸がある。爆発の時、光となり、粉々になった星の粉は、地球に落ちてきて、私たちの体の一部になる。
そんなことを、夜空をみながら、作家のタスカーが、恋人のサムに繰り返し語って教えている。
タスカーは2年前に若年性認知症と診断されて、いまは、思考する自由も、体の自由も失いつつある。名のある作家として活躍してきたが、20年来の人生のパートナーであるサムに面倒をかけている。2人は休暇を取って、キャンピングカーで昔の友人や、タスカーが生まれ育った田舎を旅行することになった。サムは、いまはタスカーと会話を楽しんでいるが、もう自分で服を着ることもできなくなったタスカーが、じきに普通に日常生活を送ることもできなくなり、サムのことを認識できなくなる日も近いことを予感している。サムはタスカーが自分のことを忘れてしまっても、そばにいて支え、排尿便出来なくなっても世話して、自分の腕の中で死なせてやりたいと心に決めている。
二人はタスカーが生まれて育った田舎で親戚や兄弟たちと、なごやかに過ごした後、湖に面した、静かな山荘に数日間過ごす。しかし、サムは偶然、タスカーが毎日几帳面につけている鍵つき日記帳を、開けて中を見てしまう。そこにはもう活字がかけなくなっているタスカーの殴り書きと、自殺用の薬が入っていた。タスカーには、まだ自分の意志で自ら死を選ぶ判断力も行動力もある。しかし進行性の病ゆえ、明日それが実行できるかどうかわからない。じきにタスカーがその薬が何なのかわからなくなったら、自分の意思を達成することもできなくなる。サムとの激論の末、タスカーは言い争いに疲れて眠ってしまう。目が覚めた時、机の上には彼の鍵つき日記帳が置かれていた。もう心配することも、思い残すこともない。トスカーはしっかりとサムに抱かれて旅立つ。
というストーリー。
美しい映画だ。イングランドの自然がいっぱいの田舎、深い森、静かな湖、落ち葉の絨毯。冷たい清涼な風。「明日」がない二人の愛情が画面をみながらしっかり伝わってきて、せつない。コリン ファースも、スタンレー ツチも素晴らしい名優だ。年を取って、二人ともどんどん魅力的な役者になってきた。
テーマは認知症と尊厳安楽死。星もいつかは爆発して滅亡する。星の爆発で地球に降りかかってきた粉をまとった人間もいつか死ぬ。尊厳死を望む人間が認知症に陥った時に、どう死ぬべきか。
オーストラリアでは、ビクトリア州(州都メルボルン)で、2017年に「VOLUNTARY ASSISTED DYING法」(医療的自殺ほう助法)が立法化され、2019年から施行されている。施行後6か月で52人の末期患者が安楽死で亡くなった。そのうち42人が医師の処方の薬で、9人が医師の静脈注射で亡くなった。安楽死の条件は、成人で、ビクトリア州に1年以上居住し、余命半年以下であると2人以上の医師に診断され、生存よる苦痛が耐えがたいと認められた場合に限っている。
ビクトリア州に続いて、タスマニア州と、南オーストラリア州(州都アデレート)でも同様の安楽死法がすでに議会で決議され、来年からの施行を待っている。安楽死は、EUでは、スイス、オランダ、ベルギーなどで同じような条件つきで認められている。しかし、オーストラリアの法は、医師が患者に直接静脈注射で致死量のモルヒネを投与できるという意味では、EUの国々の法よりも積極的に患者の要望に応える内容になっている。
これに対して、バチカンでは神に対する冒涜だと、おきまりの批判をしている。しかし、人間は自分の人生に自己決定権をもち、本人の尊厳を守るために苦痛より安楽死を望むのは自然の流れだ。私は医療現場にいて、パラテイブケア(終末医療)に関わっているが、処方箋に従って、たくさんの末期患者にモルヒネを投与してきた。 命は時として科学では説明できない。治療効果がなく、飲めない食べられない状態になって輸液もせず、全身皮膚がんに侵された90歳の患者が激痛に苦しみぬきながらも死ねず、1か月以上も生存しなければならなかった例を見てきた。
オーストラリアは6州1準州と特別区に分かれているが、6州のの半分の3州ですでに安楽死法が議会を通過した。今後、安楽死法は各州で論議され、法整備されるだろう。
この映画は、ゲイのカップルが片割れを安楽死させる。 少し前まではタブーだったことを正面から描き、美しく描写している。人は長く生きるようになりすぎた。人はどう生きるのか、そしてどう死んでいきたいか、もっとオープンに語られなければならないが、この映画がそのきっかけになれば良いと思う。