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終着駅 トルストイ最後の旅コメント(11)
今まで知らなかったが妻ソフィアは世評では悪妻といわれているらしい。だがソフィアが自分の家庭のことを考える一方で、トルストイは自分の理想とロシアのことを考え、さらに自分の崇拝者と支持者によって自由が効かなくなる。作品の中では気が強くても普通の常識人であるソフィアと、どんどんと浮世離れしていく夫との間に生き方の違いが生まれ溝が出来ていくのは自然なこととしか思えなかった。トルストイについて事前知識がないと深い理解がし難い部分もあり、自分はやたらと重いロシア文学が元々苦手で、トルストイにあまり関心がなくて彼の思想にも生き方も知らない。問題を抱えつつも高度に発達し成功している現在の資本主義国家に生きていると、崇高な理想を追求するトルストイ主義など現実離れした夢物語にしか思えない。そのためそれほど物語にはのめりこめなかった。
しかし登場人物の演技と演出はいいし、音楽と美術もいい。そのように情緒的に人間関係を描いていく様子は質が高いし評価できる。トルストイの生き方に特に共感はしなかったが、このような部分を楽しめたので退屈はしなかった。
自分の作品の権利まで放棄するトルストイの行動は彼の本意だったのか、この作品を観ているとトルストイ自身が大きなうねりに巻き込まれているような気がする。
遺書を書かせようとするウラジミールを敵視し、トルストイの愛をいまいちど勝ち取ろうとするソフィアは、ときに荒々しく、ときに優しく、また可愛い女であろうとする。愛されているのは自分であり、トルストイに必要なのは自分だけという絶対の自信も持つソフィアにはヘレン・ミレン以外考えられない。
三つ巴の関係の中に何も知らずに入ってきた助手ワレンチンはもうひとりの主役と言っていい。少しずつそれぞれの立場を理解し始めた純朴な青年は、渦巻く策略の中で何を信じればいいのか、誰に与したらいいのか大いに迷い翻弄される。
そんな彼に自由な愛とその考え方を突きつけるのがマーシャだ。物事に囚われず純粋に愛に生きる考え方は、ある意味、彼女がトルストイの理想主義をいちばん正しく継承しているといえる。
82才にしてトルストイは家を飛び出してしまう。自分を取り巻く環境や陰謀にうんざりした結果だ。
あてもなく小駅アスターポヴォ駅に辿り着く。
まもなく終わりを告げる愛と、新しく始まったばかりの愛、ふたつの愛を通してトルストイとソフィアの関係を知る手掛かりを得た。
p.s. エンドロールに投影される当時の映写フィルム。本人と役者があまりに似ていることに驚く。とくに、弟子のウラジミールと思われる人物とポール・ジアマッティはそっくりだ。
ソクラテスの妻クサンティッペ、モーツァルトの妻コンスタンツェ、そしてトルストイの妻ソフィア。以上が世界三大悪妻だ。ロシアのみならず世界的な文豪トルストイは、ソフィアのあまりの仕打ちに耐えかねて、80歳を過ぎて家出をし、自宅から遠く離れたアスターポボォ駅(現トルストイ駅)で客死した。これがソフィアを悪妻とする「史実」である。しかし「真実」はどうか?
本作は史実を基としたフィクションであるため、どこまでが「真実」かは解らない。しかし、ソフィアが本当の悪妻であったのなら、何故トルストイは50年近くこの妻と連れ添い、13人もの子供をもうけたのか?それ以上に、妻の協力なくしては『戦争と平和』も『アンナ・カレーニナ』も出版されなかったに違いないのだ。
トルストイは文豪であると同時に、“トルストイ主義”と呼ばれる自然思想を提唱した思想家でもあった。人道主義、戦争反対・非暴力、自然主義、土地私有化・農奴解放を唱えたトルストイ主義は、若者の熱狂的な支持を集めた。トルストイだけではこの思想は単なる”理想”で終わっていたろう。しかし、実際に行動できる若者たちによって、トルストイ主義は「形」をなし、トルストイ本人は神格化された。
トルストイと妻ソフィアの諍いは、熱狂的なトルストイ主義者たちによってもたらされたもので、50年近く連れ添った夫婦は実は深く愛し合っている。ただソフィアが少し感情的な性格だったのが災いしただけだ。確かにこの夫婦の価値観は大きく違う。しかし、トルストイの弟子たちの存在がなかったら、これほどまでの争いにはならなかったはずだ。弟子たちは「神」であるトルストイを主義の異なる卑俗な女の「夫」であることを許さない。妻は人類の幸福よりも家族の幸福を願い、家族である「夫」を奪い取った弟子たちを許さない。ここには「主義」以上に互いの「嫉妬」があるにちがいない。夢見る「夫」は、現実に疲れ「家出」という逃避に走る。これこそトルストイが「神」ではなく、たんなる理想主義者(夢見る人)であることの裏付けだ。弟子たち任せではなく本人が現実と向き合えていたら、妻との和解も簡単だったろう。えてして作家というものはそういうものだ。浮世離れしているからこその文豪だろう。しかし女は現実的だ。妻が家族の利益を主張するのは当然の権利なのだ。ただ、エキセントリックな性格ゆえ、時に醜態をさらし、夫や弟子たちの顰蹙を買う。
家を出た年老いた夫が、小さな駅で病に倒れた時、弟子たちは妻が看取ることを拒む。混濁した意識の中で妻の名を呼ぶトルストイのちぢかんだ姿を見ても、なおも主義を通そうとうする弟子に向かって、私は「主義主張なんてクソくらえだ!」と大声で叫びたくなった。自由を提唱するトルストイ主義者が、その主義にとらわれて、「不自由」になっていることに何故気づかないのか?しかし最後は「主義」よりも「愛」が勝つ。文豪は妻の見守る中静かに息を引き取る・・・。
さて、ソフィアが本当に悪妻かどうか。その答えは、この臨終の場ではなくラストシーンにあると思う。夫の棺と共に、静かに汽車で去る夫人に、集まった群集が声をかけるのだ。「奥さん、早く元気になってください」と・・・。真実を知るのは、主義主張に囚われなず、純粋にトルストイを愛した人々なのだ・・・。
天才に愛され、それ故の苦労も味わってしまった奥様の生活も★
もうひとつのラブストーリーも同時進行して、
愛をテーマにお話しは終着します。
文学好きにはとくにおすすめですが、そうでない方も、
熱いものがこみあげる作品かと思います☆ o^-^o
映画「終着駅 トルストイ最後の旅」(マイケル・ホフマン監督)から。
ロシアの文豪・トルストイの晩年を映画化した作品であるが、
ハッピィエンドとは言えない最後に、心は重たくなった。
困ったのは、主人公が誰なのか、わからないところ。
タイトルどおり「トルストイ」なのか、妻・ソフィアなのか、
それとも、トルストイを崇拝する青年ワレンチン。
誰の視点で、物語が語られているのか、微妙なところ。(汗)
気になる一言は、レイ・トルストイ「戦争と平和」の一節。
「私の知る全てのことは、愛によって知りえたこと」
しかし、ラストでは「弱い心や愚かさは、愛を台無しにする」と
メッセージが発せられる。
また「農民は貧乏だから純粋とでも?」と問う妻に
「そうとも、富は人間を腐らせる」と言い返し、
突然、爵位や財産を捨て、菜食主義の独り身になると宣言する展開は、
富に対する人間の卑しさに疲れた感じがよく表現されていた。
献身的な妻として50年近くトルストイに寄り添ってきた彼女が、
「世界3大悪妻」として名を残すことには、ちょっと意外な気がする。
夫の考えとは、まったく反対の生き方をした妻が「悪妻」と言うのなら、
50年間連れ添ったことはどう評価されるのだろうか。
私は、彼女の生き方に「悪妻」という評価はしないと思うから。
P.S.(参考に・・「世界3大悪妻)
ギリシャの哲学者ソクラテスの妻「クサンティッペ」
偉大なる作曲家モーツァルトの妻「コンスタンツェ」
ロシアの小説家トルストイの妻「ソフィア」