昭和11年に起きた「阿部定事件」を題材に、大島渚監督が男女の愛の極致を描いた問題作。料亭「吉田屋」の住み込み女中となった定は、店の主人の吉蔵とひかれあい、情事を重ねる仲となる。やがてその関係が露呈したこと2人は駆け落ちし、さらなる愛欲の世界におぼれていくが……。性愛を題材にした作品が日本で十分に制作できるかという懸念から、フランスから輸入したフィルムで撮影を行い、撮影済みの生フィルムをフランスに直送して現像・編集するという方法で完成させた。日本公開版は修整が加えられたが、芸術か猥褻か表現の自由をめぐって論争が巻き起こり、後に出版されたシナリオ本をめぐっては裁判に発展するなど大きな注目を集めた。海外では1976年のカンヌ映画祭で上映され、芸術作品として高い評価を受けた。2000年12月には初公開時にカットされたフッテージをほぼ完全に復元したバージョンが「愛のコリーダ2000」として公開された。2021年4月にも「愛のコリーダ
修復版」としてリバイバル公開。
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愛のコリーダコメント(15)
だが、調べてみると、彼はこの映画に触発されて、”愛のコリーダ”を作ったとの事であった・・。
”そんなことも知らないのか!””とお叱りを受けそうであるが、年代的にお許し願いたい。-
■感想
・初鑑賞作品である。2000年の、修正なし作品の公開の際も興味なくスルーしていた。
・阿部定事件を、モチーフに描いている事も、知ってはいた。
・このような作品が、東洋の春画の世界を描いていると思われていたのか・・、等と邪推すると、ちょっとなあ・・、と言うのが当時の今作を観なかった正直な感想である。
ー 琴の音とか・・、ちょっとなあ・・。
◆役者さんについて
・後年、現在でも現役バリバリで活躍されている藤竜也さんのインタビューを読んだ記憶はある。確か、衆人環視の中で偽りなき行為を行う際には、相当な集中力が必要であった・・、という内容であったと思う。
同性としては、驚嘆するしかない・・。
・そして、”定”を演じた松田英子さん。
当時、24歳である。
驚きである。正に畢生の演技であろう。
この役のイメージが強すぎて、(それはそうだろう・・。)今作後、スクリーンで活躍される機会は少なく、58歳と言う若さで亡くなっている・・。
<大島渚監督が、フランススタッフと製作し、一世を風靡した作品。(当時のレビュー・・。)
邦画を代表する偉大な監督は、この後、男色に傾倒していくのだが・・・。
主演のお二人には、敬服するしかない作品である。
特に、故松田英子さんに対して・・。>
死は永遠である。
永遠の愛は死を持って完結する。
男は死を覚悟し死を持って女のものとならんと欲し、女はそれに応えた。
表題にも記したが見事な演出である。
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戦前に実際に起きた女性が不倫相手のブツを切り落として逃走した阿部定事件を題材にした男と女の情事を描いた話。
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劇中ほぼずーっと2人はヤってるんだが、何がすごいって普通の本番を映してること。日本じゃモザイクかかってるけど、恐らく藤竜也のブツがガッツリ映ってるっていう。すごいわ。
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2人とも性欲が異常に強くて、特に女の方は食欲と睡眠欲が全部性欲に注ぎ込まれてる。AVのようだけど、もう見てるこっちの性欲はこの女に全部吸い取られてなんか疲れてくるから、そこがAVじゃなくて芸術なのかなと。
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トイレの時以外ほぼずっとブツを掴まれている男の姿は完全に手綱を握られてるようだし、なんでもお前の好きなようにしていいよっていうあの感じ、なんか見覚えあって腹立つなと思ったら『人間失格』の小栗旬の太宰治だった。
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公開当時は性的描写が過激すぎて裁判にまでなったらしいし、今だに日本はブツを映しちゃいけないっていうルールがあるのに、ネットでAVが大量に見られたり、日本の風俗文化は他の国からしたら性大国と言われてるんだよ。おかしな国だね日本は。
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役者本人のブツはモザイクかかるのにブツの作り物にはモザイクかからないってちょっと意味わからんし。
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全てが美しかった。画面の隅から隅までの構成、色彩、音、役者陣の演技、設定、演出、ストーリー…。
過激な内容のため規制がかかって当然とは思うが、エロティシズムだけではない 芸術、美学が確固としてある。
序盤から、途中のとある儀までは 圧巻の美しさで、何度も何度も泣きそうになった。私自身はこの男女のように愛に狂う思いはしたことが無いが、それでさえ どうしようもなく切なくなるほどの画面の美しさ、情景に胸の奥から感動がこみ上げ、打ち震えた。
そこを越えると執拗なほどに2人のまぐわいをずっっと映す。定の激しい愛による狂気が募っていく。完全に2人だけの世界で、たまに見える異物(他人)にも定は狂気と激情を垣間見せる。
廃退的かつ排他的。定の髪や服装が乱れるにつれ定の正気は失われていく。見ている中で延々と続くセックスシーンに何度も飽きたが、それは定の激情についていくことができないから。そしてそれにずっと答える吉。見る者をも排除する2人の世界。
交わるにつれ、ラストに向かうにつれ段々と2人の交わりの奥の背景が暗くなっていく。
中盤から終盤にかけて、朱の使い方が良かった。もしかしたら序盤からそうだったのかもしれない。
定があそこまでセックスを求めたのは、2人にはそれしか無かったから。未来もなかった。お金もなかった。
吉も定を愛していた。たぶん、吉は愛された分だけその人を愛す人だったのかも。全てわかっていながら(もしかしたら定が怖かったのかもしれないが)
「お前がそうしたいなら、いいよ」
定も吉も魅力のある男で、女だった。
死ぬほど良かった(いろんな意味で)、見て良かった。人生No. 1の映画を塗り替えたかも(今まではジョーカーだった)
こんな作品を作った大島渚監督に改めて頭が下がります。
戦争中の実話ですが、ラストはしびれました。