昼顔(1967) プロット

昼は娼婦、夜は貞淑な妻の顔を持つ若き人妻の二重生活をカトリーヌ・ドヌーブ主演で描き、1967年・第28回ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した作品。「アンダルシアの犬」のルイス・ブニュエル監督が、ジョセフ・ケッセルの同名小説を映画化した。セブリーヌは裕福な医者の夫と何不自由ない暮らしを送っていたが、その一方でマゾヒスティックな妄想にとらわれていた。そんなある日、パリにある娼館の噂を聞いた彼女は、好奇心から足を運び、「昼顔」という偽名で働くことに。封印してきた性を解放することで夫への愛情も深まり、満ち足りた気分を味わうセブリーヌだったが……。2018年、フランス映画界を代表する名優たちの主演作を集めた「華麗なるフランス映画」(2018年2月~、東京・角川シネマ有楽町)で、4Kレストア版が日本初上映。

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昼顔(1967)コメント(13)

Ucenoisumhqt
Ucenoisumhqt
男性の私としては、カトリーヌ・ドヌーヴ
の裸がチラチラしてなかなか冷静に観れない
作品だった😅

ルイス・ブニュエル作品は若い頃に
「哀しみのトリスターナ」
「ブルジョアジーの秘かな愉しみ」
「自由の幻想」「欲望のあいまいな対象」
を観たが、正直なところ「自由の幻想」の
テーブルの椅子が便器になっているシーン
が強く印象に残っているだけで、
他の記憶がほとんど無い中での
歳を重ねてからの「昼顔」初鑑賞となった。

ストーリーは、子供の頃のトラウマから
性的不感症になり、
娼館での経験からの自信回復で夫婦生活が
元に戻るかと思いきや、という展開だ。

夫婦の性生活の不満足状態が家庭外での刺激
を通じて改善に転ずる、
というのは良くあるパターンだが、
ラストには今度は夫の不能という、
苦労の末に問題解決したはずの妻の
その努力の要因によって招いた皮肉な結末
が用意されていた。

この映画の中でも夢か幻想なのかのシーン
が数多く出てくるが、ブニュエル作品は
多分に象徴的・抽象的描写が頻繁で、
リアリティや社会テーマ性を重視する
映画鑑賞姿勢の私には印象に残りにくい
監督なのかも知れない。

そんな中では「昼顔」は多分に
現実と幻想の区別が付きやすい作品で、
ラストシーンも、せっかく妻は問題解決した
のに、今度は夫が不能になったとの
皮肉の裏返しの夢または幻想としか
思えませんでしたが、
皆さんの解釈はいかがなのでしょうか?
Hosmgsxknip
Hosmgsxknip
貞淑な妻の感じ、嫌いな友人を避ける表情、娼館に踏み入れて最初の客をとるまでの表情、その後の娼婦としての自信に満ちた表情と態度、そしてラスト。それぞれ美しく魅力的でした。
fehrhyx
fehrhyx
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カトリーヌ・ドヌーヴ演じる貞淑な人妻は、夫との性生活に満足を得ることができていないし、夫を満足させられないことへの罪悪感に苛まれている。この美しい人妻が娼館で客をとることで、性的な満足を得ることができるようになる。
フィルムには、夫を愛していながらも、性的には満たされない現実生活と、彼女の性的な妄想である白日夢のシークエンスが交互に現れる。白日夢では、毛嫌いしているはずの夫の友人が登場し、夫と共にサディスティックな仕打ちを彼女に行う。このことから、彼女が、夫を愛するが故の貞淑な妻としてのセルフイメージに縛られているが、心の底では、自分が男たちのむき出しの欲望の対象になることに憧れていることが分かる。
演出の上手さは、自宅で夫といる間や、妄想の中の彼女よりも、娼館で客を待つ彼女の姿のほうが美しく、エロティックであるということ。男の欲望を受け止めるためのすべてを兼ね備えたかのようなドヌーヴの肢体は、豊満な上半身と華奢な下半身を併せ持つ。
この娼婦「昼顔」にのめり込む犯罪者によって、彼女の夫との生活は破壊されてしまうのだが、このことによって夫は妻の昼間の顔を知ることになるのだ。そして、それが妻にとっては悲劇ではないところが、人の生と性との多様性である。
映画では、人々の多用な性が描かれている。中には観客の笑いを誘うようなロールプレイに耽る娼館の客もいるし、娼婦との間に「真実」愛を追い求める犯罪者もいる。皆が理知的であろうとするが、性というもの(愛ではない)へのこだわりからは自由にはなれない。こうした人間の姿を真正面からとらえようとするフィルムは、やはりフランス映画の真骨頂であろう。
Snletitifrangie
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カトリーヌ・ドヌーヴ24歳
シェルブールの雨傘が21歳
ロシシュフォールの恋人たちは本作と同年の製作
本作まではどちらかといえば清純派の娘役が多かった彼女ですが、それが本作では正に有閑マダム
化粧も衣装もそうで年齢以上に見せています
物凄く美しい!正に大輪の赤い薔薇です
豪華な金髪、細いのにグラマラスなのです

大人の女性に脱皮するためのイメージチェンジの映画と言えるでしょう
その彼女が娼婦役を演じ、裸にもなり下着姿を晒し、SMプレイに体当たりするのです
いささかショック療法ですが、効き目は絶大でした

本作から半世紀以上時代は進み、ポルノは溢れかえっています
しかし本作はそれににも関わらず、21世紀の私達に取っても刺激的です
74年のエマニュエル夫人よりもエロチックであると思いました

お話の内容はどこまでが現実でどこからが彼女の妄想なのか混然としており入り交じっています
全ては彼女の妄想の物語で、ことによるとラストの室内のシーンだけが現実だったのかも知れません
しかし少女時代の消せない性的記憶のシーンは現実なのだとおもいます

性への欲求を拒絶し隠そうとする気持ちと、性の喜びを楽しみたい気持ちが相反して激しい葛藤が彼女にもたらす妄想のストーリーだったのだと思います

つまり、その葛藤の根源は少女時代の性的ないたずらを受けて、声も上げれず抵抗感できなかった記憶にあると読み取れます
怖くてたまらない記憶、しかし快感も感じてしまっていたのかも知れません
それが彼女を性への自然な欲求が抑圧され、妄想の世界の中でも、抑圧され支配されつつも性の喜びを得るという世界に浸ってしまうのでないでしょうか

性的なシンボルが全編に散りばめてあります
吹き上げるシャンペンの瓶
死んだように眠っているベッドの中で突き上げられる律動
服装は聖母マリア様で処女であったことを説明しています
テーブルクロスの下に隠れての律動
親にも誰にも隠れての性行為のことです
封筒のなかのゆりの種とは何でしょう?
封筒とはもちろん女性の膣、ゆりの種とは精液のシンボルに他なりません
終盤にユッソンが瓶の下を割るのは、男性器が機能しないシンボルではないでしょうか

冒頭とラストは馬車の鈴の音が響きます
少女時代の性的いたずらを受けた相手は配達員のような服装をしていました
馬車=乗り物に乗って否応なしに自分に性的体験をもたらす存在を示しているのだと思いました

一筋縄では行かない難解な映画だと思います
Laehhutylge
Laehhutylge
そこはかとなくドキドキする、フランス映画ならではの美しさ。