華氏451(1966) プロット

ヌーベルバーグの巨匠フランソワ・トリュフォーが1966年に製作したSF作品で、トリュフォーにとって初の英語作品。レイ・ブラッドベリの原作小説を映画化し、読書が禁じられた近未来の超管理社会を舞台に、焚書係の男と本を所持していた女の心の交流を描いた。読書や本の所持が禁じられた未来。書物の捜索と焼却を仕事にするモンターグは、妻リンダと瓜二つの女性クラリスと知り合う。本に対して情熱を持つクラリスに刺激され、モンターグも禁じられた本に手を出し、その魅力にとりつかれていく。しかし、夫が読書をしていることを知ったリンダにより、モンターグは密告され……。後に映画監督となり「美しき冒険旅行」「赤い影」などを手がける名手ニコラス・ローグが撮影を担当。音楽は「タクシードライバー」のバーナード・ハーマン。2014年12月、「ヌーヴェル・バーグSF映画対決!トリュフォー×ゴダール」と題し、ジャン=リュック・ゴダールの「アルファヴィル」とともにデジタルリマスター版上映。

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華氏451(1966)コメント(10)

Xisgohmsnkp
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冒頭ではいきなり音声でキャストとスタッフの紹介。しかも、日本語版では字幕があるが、元々は存在しない。そう、ここは活字が許されない世界なのだ。漫画にも文字はついてない。劇中テレビドラマの内容はすごくつまらないのだが、壁掛けの薄型テレビであることや番組が双方向ドラマになっていて、現代のTVを想像させるので非常に興味深い。

思想的書物が燃やされるという史実は焚書坑儒や文化大革命を思い出してしまうが、この作品では活字が印刷されていれば何もかも燃やしてしまう。活字がない世界ということには矛盾点がありすぎるが、権力者によって奪われてしまうこと、それに疑問を持ち反抗することをテーマとしてとらえれば、それなりに楽しめる。

しかし、このストーリーが映像化されたのは時期が早すぎたのでしょうね。現代で映像化すれば、いい映画になると思われるシーンも多かった。何といっても、トリュフォー監督にSFは似合わない気がする。
qljbew
qljbew
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フランソワ・トリュフォー監督の1966年作品。初のカラー作品のSF映画。

正直に言って66年製ということもあり色々と時代を感じる。
SF的なビジュアルも少なくシンプルで情報量も少ない。ちょっと…というシーンも少なくない。
しかし物語はまさにSF。ディストピアを描いた映画の原点とも言えるんじゃないかな。

ただフランス映画でよく見る、男女の退屈に等しい長い会話劇がメインだったりはします。

トリュフォー監督とSFは相性が良いとはやはり言いがたいかなやっぱり。

しかし書物に対する深い愛情はひしひしと伝わってはきました。
面白くなってきた終盤をもっと詳細に描いたら別の映画として作れるんじゃないだろうか、とも感じましたね。
Pnriuatormnt
Pnriuatormnt
令和にあまりふさわしくない映画を選んでしまいました…。

近未来の時代を描いた独裁政権のファンタジー。

本を読むことを禁ずる国では、国民が隠し持っている書物を消防士たちが焼き滅ぼします。

火を消すことが職務の彼らが、火を操り沢山の書物を消滅させるという…。

テレビから発せられる謎の電波によって、女性たちはどんどん考える自由を失い、子供を産み育てる道具と成り果てる世界。

国民の考える自由を国が奪ったなら…。

民主主義の社会が確立したからこそ、この映画は意味あるものとなったようにも感じます。

まだまだ独裁政権の国が、世界のあちこちに存在するのも事実。

書物を焼いても、考える自由が失われないように、国が国民を抑制することは何をどう頑張っても無謀な行為だと信じたくなります。

押さえつければつけるほど、歯向かいたくなるのが人間なのかもしれないと感じました。
Ksnsmohxpig
Ksnsmohxpig
書物の森で死にゆく祖父から口承している孫のシーンは、物語も文字も最初は口承から始まったという事を思った。
焚書の初めの本が「ドン・キホーテ」だったのでアナーキストの統制かと思ったけど、ヒトの心の自由を守る為に全文を暗記してまでその糧となる先人の思想を受け継ぐべきだという結びは綺麗だった。
ゴダールのアルファヴィルも行ってみようかな。
Apckarihpte
Apckarihpte
ブラッドベリの華氏451はKindle出版されているがまだ読んでいない。
1953年に出版された名作が1966年にトリュフォーによって映画化されたが、2015年正月にボクは初めて渋谷で観た。
二人の図書館狂いが描いたデストピア、なんとも大げさな書きようだが、感想はこれがすべてだ。
まだどう評価すべきかよくわからない。

華氏451は書物が自然発火する温度。
込められている意味は秦始皇帝やナチの焚書という神話ではなく、禁書・発禁に近いような気がする。
しかし、禁書・発禁がテーマなら中世の修道院を舞台にして、エーコが「薔薇の名前」を書いているが、これとも違うようだ。
ブラッドベリは未来社会のデストピアを書いたのではないだろうか。

本を焼かれた人々は森の中に逃げ込みブックピープルと化す。
そこには当然、図書館も本もなく、居心地の良さそうな森はピープル一人一人が一冊ずつ丸々暗記する事で生まれた未来の図書館だ。
しかし、その森では各々がブツブツと暗記した字面を口するだけ、一切の会話もなければコミュニケーションもない。

その姿は毎日見かけるメトロの中のスマホ人間のワークスタイルに似ている。
イヤフォーンを耳にかけ、しきりに話しかけ、歩き回る煌びやかな無印都市。
各々は満足そうだが、外見からは一切の想像を拒否し、自己の世界に埋没する2015年のボク自身の日常。
トリュフォーはそんな森を映画にした。
そう、春樹が1Q84で書いたリトルピープルのデストピア。