哀しみのトリスターナ
プロット
フランス・イタリア・スペイン合作
02月20日 2018 劇場で
哀しみのベラドンナ
プロット
日本
06月30日 1973 劇場で
哀しみのスパイ
プロット
フランス
02月01日 1997 劇場で
哀しみのラストダンス
プロット
アメリカ
09月03日 1988 劇場で
わが美しき愛と哀しみ
プロット
フランス
05月13日 1988 劇場で
哀しみの終るとき
プロット
フランス
01月15日 1972 劇場で
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愛と哀しみのボレロコメント(17)
同時に、世界どころか欧州の統合すらままならない現在から見ると、映画のフィナーレが滑稽なほどの絵空事に思えてくる。
また、こうした西欧の思想と世界の首都を任じていたフランスとパリの凋落ぶりは、今や誤魔化しようがないところまで進んでいる。
この「戦後」世界への大いなる信頼と期待が、もはやほとんど残されてはいないという事態を、観客はこのスクリーンから確認することとなる。
映画の彼が、目の前で生で踊るボレロ。長い長いクレッシェンドで、繰り返し繰り返しの高揚していくボレロのリズム。
客席の僕はあの映画のストーリーが、それこそ走馬灯のように思い出されて、自分までがステージの渦に巻き込まれてしまって
・・・音楽とダンスが終わった瞬間の、絶叫と嵐のような歓声の中、大勢の観客と一緒に両手を上げたままステージのたもとまで殺到してしまった。
あんな客席は後にも先にも見たことがない。
ジョルジユ・ドンはときを置かずして急逝。
映画と彼は、僕にとっては一つのものです。
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感慨深いのは、主人公たちが一堂に会するラストなわけだが、
まるでプラズマがぶつかり合い激しいショートの火花が散るようなこのエンディングにして
しかし、主役の四人は目の前の共演者が何者であるかを知らないのだ。
絡み合いつつニアミスしつつも、人間の歴史はその人において固有のものなのだと映画は語るのだろう。
凱旋門でのこの夜が終われば、彼らは再びバラバラに帰途につく。
つまり個人主義の讃歌、
そのことがまた面白い。
映画の他のシーンについては、何度か観て友人と不明点を解明し合うのも楽しい。
なんせ同じ役者が親子の設定で再度登場しているし。絡み合い巡り合うヨーロッパの歴史。
で、まだよく分からないのは戦地から復員して駅に降り立った若者たちのうち1人だけ出迎えがなかったのは何故だろう。どなたか教えて。
またレンタルだな。
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バレエもののDVDはたくさんあるがドラマ仕立てよりドキュメントが良。
草刈民代の「ダンシング・チャップリン」などオススメ。
実は僕もバレエ踊っていたのです。
もう一度観てみないと。
完全版だと違うのかな。